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睡眠売買 ~ショートショート~


とある部屋の前に立つと、
男は意を決したようにドアノブに手をかけた。
ガチャという音がして、重たいドアがを開く。

「予約した者ですが」

男は部屋の中にいた老人に話しかけた。
すると老人は、部屋の中心にあるリクライニングチェアに
男を座らせると、

「1日何時間、売って頂けますか?」

少々しゃがれた声で聞いてきた。
男は食い気味に言う。

「何時間でも、可能な限りお願いします!」


男は焦っていた。
何としても、今年こそは司法試験に合格したい。
今年ダメだったら諦めるつもりでいた。
もっと勉強したい。
しかし男には時間も金もなかった。

そんな時、男は奇妙な噂を知る。
自分の睡眠時間を、高額で買い取ってくれるというのだ。
特殊な催眠方法で睡眠時間を取り出すので、
身体への影響はないらしい。
売られた睡眠時間は、
不眠に悩む一部の金持ちが買い取っているそうだ。
眠る時間さえ惜しかった男にとって、
それは時間も金も手に入る好都合な売買だった。

「あなた様の場合ですと、一日5時間の買い取りが可能です」

老人は言う。
男は5時間の睡眠時間を1ヶ月分売ってみることにした。

「では、そのまま目を閉じて下さい」

老人にうながされ、男は目を閉じた。
身体がじんわりあたたかくなり、徐々に気が遠くなっていく。
まどろみのような時間に身を置いていると、
一瞬、頭の中にスーッと気持ちの良い風が通り抜けていった。

「終わりました。目をお開け下さい」

男は爽快な気分で目を開けた。
時間は30分もかからなかった。


それからというもの、男は毎月のように睡眠時間を売るようになった。
ひと月分の生活費がまかなえるうえ、5時間も机に向かう時間が増える。
こんな効率のいいことがあるだろうか。
しかも、睡眠時間を売ると、なぜか頭の中がスッキリし、勉強が捗るのだ。
男は今までになく勉強に集中できるようになった。

司法試験まで、残りひと月となったその日も、
男は睡眠時間を売ろうと
いつものリクライニングチェアに座っていた。

「5時間を1ヶ月で」

男が言うと、老人は、

「もう、これ以上、あなた様の睡眠時間を買い取ることはできません。お帰り下さい」

そう言って売買を拒んだ。
男がどんなに頼み込んでも、聞き入れてもらえず、
理由を聞いても、「お帰り下さい」の一点張りだった。
老人のあまりに頑な態度に負け、男は仕方なしに部屋を出る。

試験まで残り一ヶ月の生活費をどう工面しようか。

男がそんなことを考えながら、横断歩道を渡っていると、
大きなクラクションが鳴った。
その音にハッとした時にはもう遅く、男はトラックに跳ねられ、地面に勢いよく叩きつけられた。

薄れゆく意識の中で男は思った。

あぁ、だから、睡眠時間を買い取ってくれなかったのか…

そうしてゆっくり目を閉じると、男は永遠の眠りについたのであった。






今回、こちらの企画に参加させて頂きました。
当作品の文字数は1134文字です。
読んで頂けたら嬉しいです。
ピリカさん、審査員の皆さん、素敵な企画を有難うございました。

お読み頂き、本当に有難うございました!