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起きてほしくない人 ~ショートショート~


 点検作業を終え、仕事終わりに休憩室に行くと、坂本が弁当を食べていた。
「おう、お疲れさん。今日はなに?」
「生姜焼きです」
「おぉ、いいなぁ、もらって帰ろう」

 今起きて働いている人達の楽しみは食べることと、こうして仕事仲間と話をすることくらいかもしれない。

 半年前に猛威を奮った伝染病は世界中で多くの死者を出した。
 今現在、ワクチンが開発されるまでの間、世界中の人を睡眠ガスで眠らせるという対策が取られている。それでも最小限のライフラインを維持する必要があるので、私のように眠らずに働く人もいるのだ。

「そういや、野田さんは自宅でしたっけ。いつも支給された弁当持って帰ってますもんね」
 坂本は政府指定のホテルに宿泊している。三食付きで快適だそうだ。自宅と職場が徒歩圏内にあり、ライフラインが確保されている地域に住んでいる私は、ホテルの宿泊が許されなかった。
「起きている人間にはメシとか結構手厚いから有り難いですけど、やっぱり街は静かだし、何だか気持ち悪いですよね」
 坂本はそう言って弁当をかきこみ、箸を置くと、
「多くの人が眠っているのに、俺達は普通に起きてるこの感じって、何だかノアの方舟みたいだと思いません?」
 そんな妙なことを言い出した。
「ノアの方舟って、船に乗れなかった人間や生き物が大洪水で死ぬアレか?」
「えぇ。ワクチンが未完成の中で働く俺達と、眠らされてる人達、どっちが方舟に乗ってるんでしょう」
 坂本は冗談めかして話しているが、今眠らずに働いている人間は皆、漠然とした不安を抱えている。
「ワクチンが完成したら、睡眠ガスを覚醒ガスに切り替えて、皆を起こすらしいですけど、でも…中には起きてほしくない人もいますよね」
「え?」
 私は思わず坂本の顔を見た。
「俺達みたいに起きている人間が、覚醒ガスが発生する前にガス発生機を外に出せば、起きてほしくない人を永遠に眠らせておくことができるかもしれない」
 全世帯に供給されたガス発生機は、サッカーボールくらいの大きさで、持ち運び可能だ。睡眠ガスが効き始める5分ほどで作業すればできないことはない。
「でも、そんなのすぐにバレるだろう」
「バレなかったらラッキーじゃないですか」
 坂本はニヤリと笑う。私は、
「あぁ、まあねぇ」
 と曖昧な返事をしながら生姜焼き弁当を手にし、
「お先に」
 と言って、休憩室を出た。


 帰宅すると私は、すぐにシャワーを浴び、レンジで弁当を温め、冷蔵庫から缶ビールを取り出した。テーブルには読みかけの文庫本。それを読みながら1杯やり、弁当をつまむのが楽しみのひとつだ。
 こんな贅沢な時間を味わうと、もう元に戻れないのではないかと思ってしまう。ワクチンなんか完成しなければいい。

 隣の部屋はガスが漏れないようにしっかりと目張りがしてある。そこにはヒステリーで口うるさい妻が眠っている。

「バレなかったらラッキーか…」

 そう私は呟いた。





2作品まで応募可能とのことでしたので、
再度、こちらの企画に参加させて頂きました。
当作品の文字数は1193文字です。
ピリカさん、審査員の皆さん、こちらも宜しくお願いいたします。
素敵な企画を有難うございました。

お読み頂き、本当に有難うございました!