縄文人の心

   

りんごを3つ描く、というお題があって、私はりんごを横一列に並べて描いた。そしたら、「あなたは縄文人の心を持った人なのね」と言われた。
その人によれば、だいたいの大人は、りんごを三角に並べたり、陰を描きこんだりするらしい。

私が人を描けば、首から手が出る。その絵心のなさゆえではないかと思うが、とりあえず、そのテストで私は縄文人の心を持った人だと判断された。


ところで、縄文人の心って何だ?

MKコーポレーション主催のワークショップにポジティブ瞑想がある。これは、直感やひらめき力のアップに役立つ。

毎回、瞑想のテーマがあるのだが、その1つに「縄文時代の自分を見る」がある。過去世を見ることで自分の才能に気づく、というのが目的だ(縄文時代は1万年も続いているから、ほとんどの人が縄文時代を経験しているらしいが、経験してない場合は、多分何か違うモノを見るのだと思う)。

私は2度、体験したことがある。

1度目は、もじゃもじゃ頭の小さな男の子の姿が浮かんできた。ひとりで過ごすことが好き、という感覚がわきあがって、笑ってしまった。縄文でもぼっち体質かよ、と思ったからだ。

彼は山を駆けまわったり、時には森の中で空を見上げて空想に興じたりしていた。木の実や植物の芽や周りにある色彩を見つけるのが得意だった。風の声が聴けた。それから、川で魚を捕るのがうまかった。

縄文人の生活に詳しくないので、整合性は確かではないが、瞑想の間、いろんなビジョンが脳裏に浮かび上がっては消えた。

不思議なのは、男の子と自分の間に、似通った点というか妙なつながりのようなものを感じたことである。

植物の新芽や自分の身の周りにあるモノの形や色に、意識を向けてみようと思った。なんとなくだけど、それが本来の自分の感覚を取り戻すのに役立つのかもしれないという気がしたのだ。

縄文人の心、私やっぱり持っているのかもしれない。

でも、それは珍しいことでもなんでもなく、持ってる人は結構いるんじゃないだろうか。あなただって持っているかもしれない。

さて、縄文時代の自分を2度目に見たときのこと。

頭の中に浮かんだのは、毛むくじゃらのおっさんだった。山の上で手に石斧みたいのを持って仁王立ちしていた。これが私!? その姿があまりにショックだったので、あとのことはよく覚えていない……。


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