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合唱曲を大人になって聴いたら、心に沁みるものがある

新年を迎えて、もう21日も経った。「行く1月」と言われるように、1月はあっという間に行ってしまいそうだ。

この時期になると、ふと学校で歌った曲を思い出すようになる。もうすぐで卒業式シーズンだからだ。卒業式自体の記憶というより、その練習でひたすら合唱している記憶の方が残っている。


中でも特に印象に残っているのは「Believe」という合唱曲である。

卒業式以外にも、事あるごとに歌わされた曲だった。「何らかの学校行事があれば、とりあえずこれを歌う」という頻度で歌わされた。なので、今でも歌詞をしっかり覚えている。

「歌わされた」とあるように、私は歌いたくて歌っていなかった。歌い終わると「声が小さい」と怒られ、私は声を出しているのに何度もやり直しさせられた。学生時代の嫌な記憶の一つである。

歌詞もよく分からなかった。子供の頃は人生経験が少ないから、歌詞の意味が分からないのは当たり前である。歌詞をただの言葉の羅列としてしか捉えられなかった。


今日私は、ふとこの曲を思い出して聴いてみた。ピアノのイントロの時点で、懐かしさが込み上げる。

たとえば君が傷ついて
くじけそうになった時は
かならず僕がそばにいて
ささえてあげるよその肩を

Believeの歌詞

出だしの歌詞は、当時は「どんな状況?」と思って歌っていた。社会人になって幾年が経った今聴くと、「あぁ、そんな人が必ず私のそばにいてほしかった……」という切実な気持ちになる。私は経験を積んで大人になったのだなぁ。歌詞に寄せる思いが少し悲しいけれど。


もしも誰かが君のそばで
泣きだしそうになった時は
だまって腕をとりながら
いっしょに歩いてくれるよね

2番の冒頭。私はこの歌詞のような、優しい人間になれたのだろうか?私のそばで誰かが泣きだしそうになったら、私は慌てふためく可能性が高い。


いま未来の扉を開けるとき
悲しみや 苦しみが
いつの日か喜びに変わるだろう
I believe in future
信じてる

子供の頃は、この抽象的な歌詞に首を傾けることしかできなかった。そもそも自分の未来を思い描くことすらできなかった。将来の夢の通りの未来にならなかったらどうしよう、という不安があった。


大学を卒業して、私は無職の状態で社会人となった。真っ当な社会人として生きる他人と比較されながら、理想の未来を求めてもがき苦しみながら生きてきた。

夢が叶い、ついに理想の生活を送ることができるようになった時、私は嬉しさでいっぱいだった。今まで感じてきた悲しみや苦しみが報われたと思った。

子供の頃より、今の私は未来に希望が持てるようになっていた。歌詞の通り、「I believe in future 信じてる」である。


学校でひたすら歌わされた「Believe」、大人になって聴いてみると感慨深かった。子供の時に歌詞に思いを寄せることができれば、私はもっと優しい人間になっていたのだろうか……?

優しさは経験の多さから来るものなのだろうか。そうなのだとしたら、色んな経験を積んで、私は今からでも歌詞のような優しい人になりたいものだ。


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