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高円誌#01 高円寺に来たことがあるかい


あの白い鉄塔、13本あるんだって。やっくんがそう言ってた。

いつか北口ロータリーの噴水に金魚が放されたことがあったんだけど、あれ、実は鯉だったらしいよ。

社長ってあだ名のホームレスは3回刑務所に入っているし、顔がバラバラおじさんは今日も元気に歌っている。

島田はいつも笑ってくれるけど自分の話はなかなかしてくれないし、りえちゃんは少しくらい悲しくても笑っている。

タブチのカレーの皿はスケボーくらい大きいし、門一のおじさんは食べきれないくらい次から次へとご飯を出してくれるし、小形さんは今日も水色の煙草を吸っている。




2015年、僕がまだ人見知りで今よりも臆病だった20歳の夏の日。
札幌駅近くの喫茶店で、前日にライブを終えた遠藤ミチロウさんとお茶をした。他人に背中を見せることも出来ないくらいに警戒心が強い僕でもミチロウさんとは安心して手放しで話せるのだから不思議なものだ。

昔はステージの上から豚の臓物を投げつけたり客の頭でスイカを割ったり全裸でライブをしていたような人なのに、僕はミチロウさんと居るととても心が安らいだしミチロウさん自身も「ハナちゃんと居ると好々爺になった気分だよお」と言ってこうしてたまに会う機会を設けてくれた。

そういえばこの日のミチロウさんとの会話がきっかけで僕は高円寺に住むことを決めたんだっけ。



東京の大学を辞めた後、何でかそうするのがよいと思って僕は札幌に引っ越して1年ほど暮らしたことがある。ミチロウさんとお茶をしたのはこの札幌生活最後の1ヶ月あたりのことだった。

中島公園近くの豊平川沿い、小規模なリフォームを重ねた真っ白のワンルームが当時の僕の住処だった。
築年数に見合わないその壁と床と天井のあまりの白さに「まるで閉鎖病棟じゃねえか。大丈夫かこんな所に住んで」と親戚に本気で心配されたのは今でもいい思い出ではないが、いいネタにはなっている。


札幌に住もうと思い立った数週間後にはキャリーバッグとカメラバッグだけを持ち、ガス爆発したことで有名になった今はなきあの不動産屋を訪ねた。内見を数軒済ませたが失踪した前の住人の荷物がそのまま放置されていたり、明らかに誰かが勝手に住み着いているような暮らしの残骸が散らばるトリッキーな物件が立て続きすっかり参っていた。

最後に内見したこのアパートはその中であれば一番マシであったし、何故か妙に集合ポストのボロさ加減を気に入ってしまいそれだけの理由で入居を決めたのだけどそもそもそれが間違いだった。

若干の退廃的な生活、そうだなあ今で言うところの「エモさ」に惹かれて入居したものの、少しずつ何かが削れていくような感覚に日々苛まされた。
共同廊下にこだまする各部屋から漏れ出たAMラジオの音の物悲しさは今でも鮮明に思い出せる。
エモさとは退廃や荒廃との一定の距離感やバウンダリーがあるからこそ魅力的なのであって、エモさを生活に組み込んでしまうとろくな精神状態にはならないとこの時学んだのであった。

後から知ったのだけど僕以外の住人は生活保護を受けていたり、何らかの事情を抱えた人が多く住んでいたらしい。
廊下は常に腐った玉ねぎのような異臭が漂っていたし、階段ではよくハイヒールを履いた細身の若い女の人が泣いていた。
直接的な害はないのでまあそれは別にいいのだけど、僕の部屋が1階にあったこと。
これこそが札幌暗黒期に拍車をかけることとなった。

北海道にお住いの方もそうでない方もお気付きかもしれないが、当時の僕は実際に住むまでそのことに気付かなかった。
そう、北海道のボロボロの賃貸の1階がとにかく冷えるということを。

室内にも関わらず日夜底冷えが続いて家に居るのにいつも心細かったし、ユニットバスだったこともあり風呂で温まる習慣が失われたのはとても痛かった。
東北生まれの僕ですら備え付けのストーブだけではどうにも太刀打ち出来ず眠る時までコートを着込む羽目になったのだが、入居して数週間ほどで見事な扁桃炎になり呼吸がまともに出来ないくらいに扁桃腺が腫れて救急車で運ばれる始末となった。

それに加えて雪かきで押し退けられた重い雪が何故か我が家に1つしかない窓の前にみっしりと積まれ、見事に遮蔽されてしまったのだ。

温度も光も失った僕はいよいよ札幌で気がおかしくなり始めていた。
閉鎖病棟と揶揄される部屋で精神状態は日に日に悪化していくばかりだった。



どうしてそんな思いまでして無計画に引っ越しを繰り返してしまうのか、自分でも当時はよく分からなかったけれど、でも、今ではなんとなく思い当たる節がある。

高校1年生の時、東日本大震災で被災したこと。それが起因しているのかもしれない。

家も友人も親戚も1日で失ってしまった日から人や土地に思い入れを持つことが確実に怖くなっていたように思う。
そんな喪失体験は少し特殊な形で歪み、引っ越しという行為になって僕に取り憑いていた。


津波に飲み込まれる故郷を目撃してから僕は毎年引っ越しをするようになった。最初の2年は「止むを得ず」で、それ以降は趣味というか、何というか、まあ今思えば何らかの病気だったかもしれない。

どこか一ヶ所に定住することも特定の街に思い入れが出来ることもどうしようもなく恐ろしかった。
住宅地でよその家の洗剤の香りや夕飯の匂い、家族団欒の声なんかが聞こえてくると我慢できずにほろほろと泣いてしまうくらいに「生活」や「日常」が怖くて、怖くて、そしてそれと同じくらい愛おしくて、尊くて訳が分からなくなった。
見知らぬ誰かのこんなにも眩ゆい生活が、自分のように奪われないでくれと願わずにはいられなかった。

土地に限らず人間関係においても同じことが言えるかもしれない。大事な人を亡くすのも誰かの安否を心配する日々がまた訪れる可能性も極力減らしたかった。
大事な人間の死を、生活の喪失を「仕方ない」で他人に済ませられるのがもう耐えられなかった。

だから土地や人に思い入れが出来る前に次の街へ引っ越す。
思い出が積もる前にその場を去る。
またいつか失っても心の負担が少なくなるようにという保険が僕にとっての引っ越しだったのかもしれない。




「来月あたり東京に戻ろうと思うんですけど、住むならどこがいいですかねえ」とテーブルの向こうでマルボロを吸いながらコーヒーを飲んでいるミチロウさんに尋ねた。

ミチロウさんはいつもテーブルの下に火のついた煙草と灰皿を置き、煙がこちらに来ないように配慮してくれる。
僕自身もたまに煙草を吸うので煙なんて気にならないのだが、その光景にいつも静かな愛を感じて嬉しくなり、結局ミチロウさんが亡くなるまで僕はずっと喫煙者であることを黙っていた。

マルボロを美味しそうに吸うミチロウさんは迷うことなく「ハナちゃんなら高円寺がいいんじゃないかな。僕も高円寺好きなんだよね。うん、やっぱり高円寺だよ」と数ある中央線の中からやたらと高円寺だけをプッシュしてきた。

当時の僕は東京のパンクな人たちがやたらと高円寺にいることも昼から破格で酒を飲める場所がたくさんあることも、魔窟のような北口ロータリーの存在も知らなかったので高円寺の隣駅である阿佐ヶ谷のような穏やかな街を想像していた。
ただ、ミチロウさんが漠然と「いい街だよお」とだけ勧める高円寺は中の島の集合ポストとは比べものにならないくらい魅力的だったし、何よりも安心感があった。


実は札幌に引っ越す前の2〜3ヶ月の間、高円寺に住んでいたことがある。2〜3ヶ月を「住んでいた」と書いていいものか迷いもするが、ホテル暮らしや居候ではなくしっかり家を借りて住んでいたのだからここはやはり「住んでいた」と書かせてもらう。

そもそもどうして高円寺を訪れたのかは覚えてはいないが何となく駅に降り立った時の感じが好きで、高円寺を3回訪れた時にはもうすでに杉並区の住民となっていた。


だから全く知らない街というわけでもないし、かといってまだ思い入れがある街でもない。
そして何よりミチロウさんが勧めるような街だもの、なんだか良いに決まってる。
何が良いのかは分からないけれど、なんだか良いには決まってる。そう確信した。


札幌で心身共に疲弊していた身はこの高円寺という街の響きにある種のアジールのような匂いを感じていたのかもしれない。

高円寺、高円寺。頭の中で繰り返してみる。高円寺と言うくらいだもの、やっぱり寺でもあるのかな?おしゃれな街の代表格、吉祥寺だって寺っていう字が入っているもの、なんか、そういう徳が高い街なのかもしれない。

なんだそれ、良いではないか、良いではないか!
高円寺、良いではないか。
そしてあれよあれよと札幌を引き上げ、僕はいつの間にか高円寺に引っ越していたのだった。



そんな風に引っ越しばかり繰り返していた僕が結局21歳から27歳になる今まで高円寺に住むことになろうとは、この時一体誰が想像しただろうか。
故郷に次いで長く住む街になろうとは、誰が思っただろうか。

徳が高いと思って引っ越した高円寺は吐瀉物を見ない日はないというくらいに頭上注意ならぬ路上注意な街であったことも
異常なまでに警戒心が強い僕が人に声をかけまくって日夜ストリートスナップを撮るようになることも
この街に友達が出来ることも
10代で経験してこなかった青春を履修するかのように街を駆け回るようになることも
ましてやホームレスから食パンを恵まれるようになることも
そしてこの4年後にミチロウさんが亡くなることも、誰が想像しただろうか。

僕はもちろん、何も、想像出来てはいなかった。


予想していなかったことが目の前で起こる街。
想像すらしていなかったカオスが繰り広げられる街。
白昼夢のように輪郭はなく、悪夢のように生温かい不安の感触だけが色濃く残る街。
それが高円寺なのだ。


そんな高円寺…と言っても「どんな高円寺だよ」と思われるかもしれないが、主に写真家の僕がストリートスナップを撮影しながら見つめてきたこの街の日々や路上での記録をこれからのんびり綴っていこうと思う。


ひねくれ者故に「やっぱり高円寺って最高!」という文化祭のようなテンションでこの街を眼差したことがないため明るく楽しく面白おかしい話を書けるかは分からないけれど、頭のおかしい人たちにはよく遭遇してきたので話のネタはそれなりにある。

もしかしたらそれらの話は差し障りのないものではないかもしれない。

でもどんなにロクでもない記憶でも今を生きる上での慰めになることもある。

僕はこのどうしようもない街のどうしようもない人たちに愛された。

愛されて、死にたいなら死にたいなりに笑って生き延びることが出来た。


そんな誰かに愛された記憶に慰められることはどんな大人にとっても必要なことだし、街に愛されたという記憶は東京で生きるためには僕に必要なものなのだ。


タブーが生まれるスピードの速い社会で、やっぱり丁寧にこの街を見つめてみたい。

そして多少差し障りのあることも、諦めないで丁寧に手に取っていきたいと思った。


だからそんな日々を綴ることで、僕は僕を癒したい。

ついでに僕と、ちょっと似ているあなたのことも。





高円寺という街に
来たことがあるかい
サンジェルマン通りはないけど
エトワール通りならあるよ
シトロエンの馬車なんてないけど
トルエンで歯が溶けたオヤジが
梅割りイカガとまねいてる


ムッシュの「ゴロワーズを吸ったことがあるかい」が好きで高円寺のタバコ屋でゴロワーズを探しまくった小岩井より



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