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大学留年と不登校の過去

大学留年してしまった私ですが、過去にも不登校歴があるので晒します。

学校に行かなくなった中学3年生のあの時から、人生のレールをドロップアウトし、自分に甘くなあなあに生きてしまうようになってしまいました。

そんな私が過去を振り返るだけのnote。

中学不登校

 いじめとか、人間関係の問題とか。学校に行きたくない明確な要素はなかった

 性格は内向的でおとなしくていい子ちゃん。大きい声を出すことと、歌を歌うことだけが苦手だった。友達は多くはないが、広く浅くの友達は何人もいて、中には親友と呼んでいた友達も居た。青春!って感じで輝いていたような中学生活ではなかったけれど、それなりに過ごしていた。

 そんな中、中学3年生の夏休み明けから学校に行けなくなった。理由は自分でもわからなかったが、とにかくぽっきり自分の中で何かが居れてしまい、動けなくなってしまったような気分だった。

 高校進学への不安があったのかもしれないが、別にお受験というほどいい高校を狙っていたわけでもないし、正直どこでもよかった。成績も塾に通っていたこともあり、とりあえず決めていた第一希望の高校には問題なく行けると言われていた。

 友達と喧嘩なんてしたことがないし、いじめもなければ、嫌いな人すらいない。担任の先生は私の友達に何か変わったことがないかと聞いていたらしいが、当然何もない。

 そんなこんなで「なんであいつは突然不登校になったんだ」と思われながら、自分でも理由がわからないまま不登校となった。正直今でもわからない。

 学校に行かないという楽な選択肢を取ったように思うが、とにかく辛かったことが一番記憶に残っている。学校に行くという当たり前のことができない、しない自分は人間として最低だと布団の中で毎日泣いた。

 だったら学校に行けよ、という話なのだが、学校に行こうとすると胸の内にもやもやが溜まるような、謎の焦燥に駆られるような、うまく言えない気持ちになる。そういうストレスに足を掴まれて、大きな決心をするくらいの気持ちでないと動けないのだ。そういうのは今もある。

 ちなみに、中学不登校時代に一番嫌だった出来事。親に夜になると「明日は学校に行く?」と聞かれて、夜に調子のいい私は「行けたら行く」「行けそうかも」と答え、朝になるとお察しのとおりいけなくなる。すると「嘘つき!!」と言われるのが本当に嫌でした。いや、その通りなんだけど。

高校不登校

 中学の3年、進路を決めていく大事な時期に不登校になった私は、このまま第一志望に進学しても、学校にいけないのではないかという三者面談での話し合いの末、県内の私立の高校に進学することになった。

 そこは中学時代に様々な事情で学校になかなか通えなかった生徒が集まる学科があった。9割不登校の集まりのようなクラスである。

 高校不登校という始まりからわかるように、高校に進学したら心機一転皆勤賞!なんて妄想はあっけなく崩れた。

 出だしは良かった。クラスの雰囲気はいつも静かで落ち着いていて、大きな声で騒ぐ人はいなかった。無事に出席番号の近い人と友達になった。

 問題は冬である。冬になると不登校になる。そう気づいた。それからようやく心療内科というものへ行き、冬季うつだと診断された。(中学時代にも一回行った記憶があるが、よく覚えていない)何故か中高生の時は心療内科に抵抗があった。今思えば、きちんとそのころから通院していればよかったと思う。高校の時に行った心療内科も、2回かそこらで行かなくなってしまった。

 てなわけで、高校の時は冬だけ不登校になるやつ、だった。しかし周りも理由は様々であれど不登校の集まりである。珍しくもない。(むしろ誰かしら休むのでクラスメイト全員が揃う日なんてなかった)

 中学ほど酷い気分ではなかった。遅刻していくことへの抵抗もなくなった。冬は行きたい時に行って、無理そうなときは休んだ。

 ポジティブな不登校の完成である。今の自分に甘い私は、この高校の過程で形成されている。「休みたい時は休む」というひん曲がった根性が染みついてしまった。

大学不登校

 さて高校の進路として就職か進学かというところで、私は県外の大学への進学を決めた。実家から通えない事もないが、一人暮らしもすることにした。

 この決断が、間違いだったような気がしないでもない。

 それでも一人暮らしで、県外の大学に出たからこそ、学べたことは多いと思う。それでも大学へ進学したのは無駄金だったと言われても仕方のない大学生活の過ごし方をしてしまった。

 1人暮らしで心機一転大丈夫!という気持ちになるのは決まって春だ。うつ病から抜け出した期間。何回も繰り返したのだからそろそろ学べと思う。

 結果1年の後期から単位を落としまくって留年した。いまここ。

過去の私へ

 最後に過去の自分に伝えたいメッセージ。もうどうしようもないのだけれど。

1.病院へ行け

 学校へ行けとは言わないし、言いたくないし、言えるような人間じゃない。けれど、病院へしっかり通院して、薬飲んだりメンタルケアしていれば、もしかしたらここまで酷くならなかったのではないかと思う。たぶん。知らんけど。

2.バイトしろ

 大学1年のバイトがブラックで3か月でやめたんだけど、それにしてもその後バイトしなさすぎ。扶養内ぎりぎりまで稼ぐくらいはバイトして、貯金していれば、留年費用も少しは楽だったし、社会勉強という点でも学べることは多かったと思う。バイトすることの楽しさに気づいたのが遅すぎた。

3.資格とれ

 学校に行かないなら行かないで、鬱々としないで。好きなこと勉強したり、好きなことに全力投球できればよかった、のに。しかし今は春だからこんなことを言えるが、冬は鬱々としてしまうから無理なのかもしれない。

4.犬を病院に連れていけ

 実家の犬が死んだ。私が頻繁に帰省していれば、病気の発見が早まって、もしかしたら手遅れにならなかったかもしれない。久しぶりの帰省時、些細な違和感を「もう老犬だね」で済ませた私は重罪。本当に後悔している。ごめんなさい。

未来の私へ

きっと、したほうが良いと頭ではわかっているけど、実践できない事。

1.相談しろ

 相談というものがすこぶる苦手。自分の弱みを晒したくないという変なプライドのせいなのか、ただただめんどくさいのか。とにかく友達や大人に相談するだけで、見方が代わったり、気持ちが軽くなったりするのだから、困ったら早めに相談すること。

2.家族に孝行しろ

 祖母も母も父も私より早く死ぬのだから、早く卒業して1人前になって家族の為に実家に帰えろう。結婚とかそういう方面での親孝行はできないだろうけど、金銭面や肉体面での助力をしていきたい。

3.行動しろ

 頭で考えるだけ考えて、調べるだけ調べて、実践しないことがいくつもある。とりあえず行動しろ。何の結果も得られないで後悔した大学生活を取り戻す勢いで行動しろ。

最後に

 自分がどうしようもないダメ人間であることは理解しているし、大抵の羨ましい気持ちはすぐにあきらめに変わります。自分が普通に頑張っている人と同じ楽しさや幸せを得られないのは仕方のないことだけれど、だからといって他人を巻き込んで不幸にはしたくありません。

 なので義理はきちんと通すこと。親に金を返すこと。

 これはきちんとしていかなければいけないところだと思います。

 長くなったけれど、最後まで読んでくださった方ありがとうございます。こんなダメ人間が世界のどこかで生きています。

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