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ご贔屓の退団どうやって乗り越えた?

ご贔屓の退団

私は元宝塚歌劇団花組男役トップスターで現在は研音に所属している明日海りおさんのファンです。
宝塚歌劇団を辞めることを『退団』と言い、応援している方の退団となると、ファンの心はさとうきび畑に負けないくらいざわわざわわと揺らぎます。

『宝塚の舞台に立つ明日海さんがもう観られなくなるなんて悲しい。さみしい。』『実際に退団してしまったら、私は何をたのしみにしたらいいのだろう。』過去の私はそんな風に感じていました。


『ご贔屓の退団、どうやって乗り越えたの?』

とメッセージをいただいたので、私なりにこれまでの日々を振り返り綴ってみたいと思います。

毎日に散りばめられた『最後の○○』

今振り返ってみても退団が発表されたあの頃は『これが最後の○○』がいっぱいの日々でした。
『これが最後のグッズ』『これが最後のお稽古場映像』『これが最後のスチール』『これが最後の舞台』『これが最後の男役をしている明日海さん』歌では『フォーエバー』と歌っているにも関わらず否応なしに押し寄せる『最後』のオンパレードエトセトラエトセトラ…

当時私はその『これが最後の』をとにかくしっかり自分なりに味わうぞ!と心に決めて過ごしていたことを覚えています。

『これが最後』と思うと、それまで当たり前だった日々がなんとも儚く、尊くて尊くて。ぐっとくる瞬間しかないまさに『センチメンタルオータークー🎶』を体現していました。

退団とは辞めることが目的のようでそうではなく、応援しているご贔屓の男役人生・タカラジェンヌで在る期限をその方とファンが共有し、最後の時間を共に歩む時間を持つことそのものが目的であり、他では得難い唯一無二の経験であったと感じます。

舞台に脚を運ぶ度に輝きが増し、研ぎ澄まされていくご贔屓の姿が眩しくて眩しくて。涙で前が見えない。でも死ぬ気で目に脳裏に焼き付けたいという熱く重い想いと涙が溢れ、このまま時を止めてずっと眺めていたいとオペラをあげる手に力が入り暗転の度にオペラを下げて涙を拭う、手元と心がやけに忙しい怒涛の観劇期でもありました。

退団するまでと退団した後

退団するご贔屓を見送ること、それはもしかしたら宝塚という所属を離れ人によっては芸事に身を置かない場合もあるので、今生の別れになるかもしれないということがファンの脳裏によぎります。
だからご贔屓を見送るファンは『この後』について大なり小なり不安がよぎるものです。

ほとんどの方は芸能活動をしたりSNSに登場したりと、何らかの形で『今』を知ることができる場所に存在してくれます。
ですが退団するまでの時間を生きるオタクの手元にはその確証どこにもなく、ただただ目の前の時間とのみ向き合うこととなります。

私も明日海さんが退団後研音に所属するとニュース発表されるまでの期間は、猛烈に信頼できる馴染みの店の店主が『またね!』と言って雲隠れしてしまい、その『またね』を信じて行き先もないまま『あの味』を求めてもんもんと待っている常連客かのような日々を過ごしていました。(どんな日々だ)
あの味が食べたい、あの店主の笑顔がもう一度見たい…!今まで好んでたくさん摂取してきたあの『ときめき』は、あの店のあの店主のつくる表現からしかもらえない唯一無二の味なのですからそうなって当然だと思います。

明日海さんの所属が決まり、今後の動向がわかった時のあのほっとして心が燃え上がり、物理的にも精神的にも飛び上がって喜んだ大歓喜の瞬間のことは今でも鮮明に覚えています!

退団するまでの期間は、『最高な今』が終わってしまったらこの今が最高だという気持ちはどこに向けたらいいのだろうという気持ちの落とし所のなさに不安を感じ、退団後は『あの人は今』状態で動き出すまでの時間をひたすらに待つという終わりの見えない日々への不安がありました。

退団までの日々は毎日がラストに向けて一度踏んだら消える氷のような宝石の上を歩き、もう二度と戻ることのできないお別れに向かうカウントダウンが連続技で繰り出されていきます。
カウントダウンが終わってしまった後またご贔屓に逢えるのか、『最高』を失った自分自身の心は大丈夫なのかと、経験したことのないことに対して漠然とした不安がよぎってしまうのは当たり前のことだと思います。

とにかく退団前も退団後も、個人差はあると思いますが時には『不安』になって当たり前だと私は思います。だって『ご贔屓』とは『最高にだいすきなあのひと』のことなのですから!

応援の日々は青春の1ページ

タカラジェンヌのみなさんが宝塚で過ごした時間のことをよく『青春でした』と表現されますが、応援している側のファンにとってもあの濃ゆくまばゆい応援した時間はまさに『青春』そのもの。

『誰かを応援していること』が自分のパーソナルな部分の『私を創る要素』として存在している。こんなに甘酸っぱい日々を青春と呼ばずして何と呼びましょう!

ご贔屓の退団を経験した私が今思うのは『あの経験も味わうことができてよかった!』ということです。

もちろんたのしいことだけではなくさみしさや不安も心のどんぶりにてんこ盛りでしたが、自分が出逢えて最高だと感じる他者のために心のどんぶりをてんこ盛りにして、横っ腹が痛くても夢中で走り続けた日々は今振り返ってみても色んな思い出が煌めきすぎている『青春の1ページ』に他なりません。

さみしいも不安も喜びも。感じた感情は全部あなたの大事な一部になる!

さて、このnoteのタイトルでもある本題『ご贔屓の退団どうやって乗り越えた?』ですが、結論から言うと明確な『乗り越え方』は私にもわかりません。

ですが、あの日あの時あの瞬間自分自身が『この方だ!』と決めたご贔屓が命を懸けて表現してくれた舞台の余韻や香り、言葉にできない程複雑な想いを感じられたこと、そしてご贔屓が迎える大切な人生の瞬間を共にできた経験は別の場所では経験できなかったプライスレスな時間なのです。

それは応援している長さも濃さも関係なく、その人を『ご贔屓だ』と胸の真ん中に置いているファン全員に当てはまる、価値あるひとときだと私は思います。

さみしいもかなしいも不安も喜びも、最高なご贔屓と一緒だったからこそ感じられた本物の感情。日常でこんなにも心のメーターが、高速に設定したメトロノームのように喜怒哀楽さまざまに振り切れ続ける経験はなかなかできないことだと思います。
その感情や経験が年月が経った今も私の中に、色鮮やかな忘れられない思い出として残っていることだけは、自信を持ってお伝えすることができます。

今もし大切な方の退団発表があった、もしくは退団された後で、悲しみの中に在る方は思い切りご贔屓が退団された(もしくはこの後される)さみしさを感じまくるのもよし、他にたのしみをみつけて物理的に忙しくするもよし。そのすべての過程、すべての選択がちゃんとあなたの背中を少しずつ少しずつ未来の方向へと押してくれているはずです。

『乗り越えよう』とするよりも『今自分が感じる気持ちをたいせつに、嫌と言うほど味わいきって「何かを選択する」というコマンドが出てくるまで時間と自分自身を進めること』が何よりもたいせつであるように思います。
『ご贔屓の退団を乗り越える』の主語になるのは他の誰でもない自分自身なのですから。

ご贔屓から渡された『乗り越えバトン』

振り返ってみて気づいたことは『ご贔屓の退団』の主語はご贔屓である『あなたのすきなひと』で、ご贔屓自身が様々なことを乗り越える日々だと思いますが、退団後に『ご贔屓の退団を乗り越える』の主語になるのは自分自身に代わります。

つまりご贔屓から『乗り越えるバトン』を渡されたようなものなのです。

退団まではご贔屓自身が退団の主人公として、退団後を乗り越える道のりの主人公はこれを書いている私自身、そしてこれを読んでくださっているあなた自身なのです。

応援していた側が、いつの間にか主人公としてこれから未知のダンジョンに繰り出さねばならないという状態がご贔屓退団後の日々。突然渡されたバトンの持ち方がわからず戸惑ったり迷ったり立ち止まったりして当たり前だと私は思います。

ご贔屓退団後ランナーとしての歩みを経験してみた私が今言えること

ご贔屓退団後ランナーとしての歩みを経験してみた私が今明確にお伝えできることは、

あの日消えたと思っていた日々は他の記憶とは比べ物にならない程鮮やかに自分を創り支えてくれる、永遠に輝くご贔屓とあなたの思い出になる

ということです。
あの時ご贔屓がくれたときめきや煌めきは新しい日々を重ねている今も全く色褪せることはなく、また新しい日々によってそれらが上書きされてしまう感覚もありません。
年々心の特別な場所にくっきりと浮き出てくるような感覚すらあります。

だから今これを読んでくださっている方の中で、消えてしまうさみしさや不安の中でどうしたらいいのかわからない方がいたら、まずはそんな自分を『それでいいんだよー』とそのまま抱きしめてあげてください。

今はまだ見えないしわからなくても『これからのご贔屓』があなたに届けてくれるときめきが待っている可能性だってあるのだから。



さみしくてくよくよしてもおーるおっけー!
なかなか他の楽しいことがみつけられなくてじめじめしてきのこが生えてきそうになってもおーるおっけー!
そんな気持ちも今しか味わうことのできないご贔屓からもらう感情のひとつなのです!

最後に

ご贔屓の退団というカロリーの高いイベントを摂取した後の、体も心もさまざまなことに使いまくったお財布も脳みそもかなりお疲れが溜まっていることと思います。

今まで誰かをたくさん応援してきた自分自身をこんどはちょっとだけ応援し癒してあげる気持ちで、日々をゆっくりまったりと過ごし『オタクのお暇』を自分自身に許可してあげちゃいましょう!
そうやってお暇をいただきながら自分と少しずつ向き合って時を進めていくことこそがご贔屓の退団を乗り越える1番の近道になるかもしれません。

明確な答えを綴れなくて申し訳ないのですが、私の経験が『あ〜このオタクもそうだったのか〜』なんて、これを読んでくださった『あなた』の『何か』役立てたなら嬉しいです。

素敵なご贔屓と出逢えたことは、あなたや私の人生にとって唯一無二の素晴らしい宝物!

苦しい時も楽しい時も続くのが人生のマラソン!
お互いにこれからもたっぷり給水しながらぼちぼちと、時々猛烈にスパートかけてたのしんで走って参りましょう!
最後まで読んでくださってありがとうございました。

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