岸 華子

生まれつき膀胱尿管逆流症、そして15歳から血液透析開始。21歳から過敏性腸症候群も発症…

岸 華子

生まれつき膀胱尿管逆流症、そして15歳から血液透析開始。21歳から過敏性腸症候群も発症。 何があっても次の日には笑顔で前を向く! ドロドロな心も温かな心も、私の中の事実をそのまま書いていきます。

最近の記事

第30話 初めてのシャント閉塞

前の記事です▼ 初めてシャントの音が聞こえなくなりました。普段は血液がゴーゴー流れる音が、聴診器で分かるものが、聞こえないのです。(シャントとは、透析をするために動脈と静脈を手術で繋いだ血流量が多い血管です) これでは透析ができません。 透析出来ないと死んでしまいます。直ぐに新たなシャントを造る手術になりました。 局所麻酔で手術は出来て、新しいシャントが出来ました。 でも左腕の内側を切られた汚い傷ができました。8cmほどの斜めの傷が曲げる所にできています。傷は順調に治り

    • 第29話 趣味の合う友情と死をみつめる心

      前の記事です▼ 養護学校高等部から漫画の貸し借りをしていた同級生がいました。その子をフジセと言います。癲癇(てんかん)の病気で、かなり重度でした。 フジセとは漫画の趣味が合い、部屋には面白くて濃い内容の漫画がそろっていました。 重度の癲癇なので、動作が鈍くゆっくりな彼女。階段は人の何倍も時間がかかります。音楽室は別棟の3階にあり、とてもゆっくり登ってきて、頑張っていました。 「フジセ!大丈夫?」 「大丈夫ーー!」 としっかり答えてくれていました。別棟にはエレベーターが無

      • 第28話 友情ってどういうもの?

        前の記事です▼ ちゃんとした深い友情関係というのを、私は作ってこれてなくて、養護学校でそれは叶うのではないか?!と期待していた私です。 ですが話しかけてもいかず、話しかけられず過ぎていきます。 病室で同じ部屋の子達とは、程よく仲良くしていました。 そんな生活の中で、2つ年下で糖尿病のミカちゃんと動き回るようになります。ミカちゃんは良い子なのですが、あまり自分を大切にしない子でした。 他の運動が必要な糖尿病などの子達と一緒に運動しないのです。なのにお菓子を食べて、血糖値は

        • 第27話 主治医の薬剤ミス

          前の記事です▼ 養護学校時代の私の生活に、話を戻したいと思います。 ある日、私は風邪をひきました。 国立療養所中部病院小児科の主治医が寝る前に、ペニシリン系の抗生剤を入れた点滴を処方したのです。 ですが私は小さな頃から、ペニシリン系とセフェム系の抗生剤は、アレルギーで使えないのです。 (ペニシリン系とセフェム系の薬が使えないということは、世の中の抗生剤の3分の2が使えないということです。) 私は医師を普通に信じていて、普通に部屋で点滴を受けました。 点滴を始めて、看護

        第30話 初めてのシャント閉塞

          第26話 いらぬ説教とくれた安心

          前の記事です▼ 中ちゃんが私の母の首を絞めたのを勘づいた私は、その日の睡眠時間に自分の体を抜け出します。 そうです、幽体離脱。 中ちゃんに会ったのです。あの世とこの世の中間へ行きました。 中ちゃんは背中を向け、座っていました。 「こらっ!」 と怒る私。 どれだけ中ちゃんが私のことを思ってした事でも、実際にしてはいけません。母には母の寿命があるはずです。 その寿命の間に、私と親との関係性も変わるかもしれません。一時の思いでしていいことではありません。 ですが中ちゃんは、

          第26話 いらぬ説教とくれた安心

          第25話 あの時の会話とコロンの香り

          前の記事です▼ 中ちゃんが死んでしまう半年くらい前でしたか、話した会話で後悔している話があります。 私はある夜、寝ている時に中ちゃんが肩くらいの髪の長さの女性と、楽しそうに駐車場を歩いている夢を見たのです。その女性には青いロンパースを着せてある赤ちゃんが抱っこされていました。 その話を中ちゃんにした時は、離婚からだいぶ立ち直ってこれていた時で、私は良かれと思って話したのです。ですが、中ちゃんには良い話には思えなかったんです。 「マジで?!男なの?」 「たぶんね、青かっ

          第25話 あの時の会話とコロンの香り

          第24話 二度と聞けない声

          前の記事です▼ いつものように中ちゃんからの電話で、血の繋がっている父親が死んで、借金が残っていて人に言えない事をして返済したと言ってくれました。 中ちゃんの父親は、いわゆる“ カタギの人では無い人”でした。 だから、自分の人生なんてどうでもいいという笑い方をしてたんだ。。私がどうにかできる問題じゃなかった。。 中ちゃんは返済が済めば、ちゃんと普通に稼いで道を外すことなく、生きていました。ただ、稼いだお金で、パーッと遊んでストレス発散をしていた様です。 ある日の夜、母

          第24話 二度と聞けない声

          第23話 友人として長い付き合いの中で

          前の記事です▼ 中ちゃんとの長い友人期間の話をしておこうと思います。 中ちゃんの卒業式の日に、3階で会いました。制服のボタンは全て、袖のまで無くなっていました。モテモテです。 卒業式後の事は話していませんが、大学に行ける学力は十分ある人ですが、通い続ける気力が無さそうです。高等部も普通校ではなく、養護学校高等部を選んだ彼ですし。深くは問いません。 私はその頃は、名古屋の大原簿記専門学校へ通っていまして、ある年末近くです。専門学校へ中ちゃんが車で来ました。相談事があると

          第23話 友人として長い付き合いの中で

          第22話 初めてお付合いした男性

          前の記事です▼ 学校と透析室を行き来する日々に、出会った人がいました。夏休みも終わる頃。 その人の第一印象は(なんで自分の人生なんてどうでもいいっていう笑い方してるんだろう?)でした。ちょうど透析が終わって出てきた時に、長椅子に座って後輩を両手にはベらせて、そんな笑い方をしていました。 思わず立ち止まって見てしまったので 「何?!」 と言われてしまいまして、何でもないと言い、その場は帰りました。 それから、その人の事が気になって仕方無くなったのです。私は高等部1年生、

          第22話 初めてお付合いした男性

          第21話 高等部進学と血液透析

          前の記事です▼ 更に悪化する体に対応するべく、私の左腕の上腕に局所麻酔手術でシャントができました。(シャントとは、血液透析をする為に体内の動脈と静脈を手術で繋ぎ、流量の多い血管を造りだしたもので、内シャントと言います) 透析室に見学に行きました。 確か5床だったかな?ベッドが並んでいて、血液が外へ巡っていました。不思議と怖いとは思わなかったですね。 先輩が3人血液透析をしていたのもありましたが、私は色んな事を受け入れてきたからか、次はこれか、、とわりとすんなり受け入れた

          第21話 高等部進学と血液透析

          第20話 初めての院内学級

          前の記事です▼ 愛知県大府市にある国立療養所中部病院の小児科に入院しました。(国立療養所中部病院は今は閉院しており、平成16年3月に国立長寿医療研究センターになっています。) ここ入院したまま、先ずは慣れるために院内学級に行くことになりました。制服は地元の学校の制服です。 ちゃんと愛知県立大府養護学校(病院の閉院にともない、小児科も無くなり直ぐ傍に県立あいち小児保健医療センターが今はできてきます。)に入学させてもらえました。 ホッとしながらも、ドキドキの新たなスタートに

          第20話 初めての院内学級

          第19話 養護学校への転校

          前の記事です▼ 私は病室でカウンセリングを受けて、中学3年生から愛知県大府市の愛知県立大府養護学校への転校の話が持ち上がります。 喘息や心臓病や腎臓病や膠原病や心身症など、色々な病気の子達が通う学校です。 ですが、ことはそう簡単に運ばなかったんです。 地元の中学校で、あからさまな強いいじめは無くとも、心の底を話せる友人はいないし、クラスで机に花瓶が置かれれば十分な理由です。誰もそれを止めないのですから。来るなという言葉は無くとも、向けられる表情だけで分かります。 慌て

          第19話 養護学校への転校

          第18話 入院の日々と心の基盤

          前の記事です▼ 中学2年生の私は、病院でのハンストをやめて治療食を食べるようになりました。 その頃から、看護師さんや小児外科専属保母さんのお手伝いをするようになっていきました。今思えば、情操教育みたいなものでしょうか? 難しい子は任せられませんが、比較的元気な赤ちゃんにミルクを与え、ゲップさせて寝かしつける。 自分の食事を後回しにして、ベッドの柵を半分上げて、そこに赤ちゃんを座らせ離乳食を与える。 はい、重湯だよー。噛み噛みしてごらん? そうそう!上手上手! ほうれん

          第18話 入院の日々と心の基盤

          第17話 登校拒否と机に花瓶

          前の記事です▼ いつからだったか、登校拒否をするようになりました。 友人が 一緒に行こう! と朝に来るようになりましたが、私はそれでも行きませんでした。 全てを投げ出してしまいたかったのでしょう。 でも、管の交換は病院に2週間に1度行かなくてはいけません。 パックの日々の消毒や管の入口の消毒とガーゼの貼り替えの管理は自分でしていました。受け入れて、受け止めて、対応していく。もう、それできっと精一杯だったんです。 妹はすくすく健康に大きくなっていました。 それだけが、

          第17話 登校拒否と机に花瓶

          第16話 1ヶ月遅れの入学

          前の記事です▼ 心が氷のように固まり、右にも左にも動かない。 というか、動かないことが自分を守る手段だったのかも知れません。 体に入った腎臓の管は、2週間に1度交換が必要でした。 初めての交換では検査室ですることに。 管が通っている道がしっかり出来上がってないとの事で、医師はガイドワイヤー(医療用のワイヤーで、太さは用途によって色々あります。柔らかく痛くないです。)を使い、管を交換しました。 管の場所は、真横の肋骨から3cm下あたりに、左右に造られています。 元々腎

          第16話 1ヶ月遅れの入学

          第15話 母の妊娠と病気の悪化

          前の記事です▼ 離婚問題が始まり、よく言いあらそう両親の元に、赤ちゃんが来ました。 幸せそうに妊婦服を買いに行く両親。 私は嬉しさと怖さが半々。 私みたいな病気の子が生まれたらどうしよう? お願い!!元気な子にして! 心の中でいっぱい祈ってました。 その最中、私が小学校6年生の冬休みに、左右の腎臓に管を入れる手術をしました。 その頃の小児外科では、手術を受ける子供に手術説明をすることは無かったんです。親のみに話し、了解をえて手術です。 看護師 華ちゃん、この日に手術

          第15話 母の妊娠と病気の悪化