「傍観者」はいらない
状況を冷静に見られる人は素晴らしい。
私は違和感を感じると、不満を溜め込んだり、考え込んだりしてしまうからだ。
多少のいざこざがあっても、受け入れたり受けれてもらったりして、何とかやってきたグループがある。
その場は何とかやり過ごしても、お互い消化できなかった気持ちは蓄積していく。
ある日のミーティングでその溝は決壊した。
私は感情的な暴言に大変傷つけられたが
「率直な意見を言ってくれてありがとう。嬉しいよ」と言って和やかに会を終わらせた。
それで治まってくれると思ったのだ。いつも私の読みは甘い。
期待は虚しく外れ、調子に乗った相手から「また話し合いたい」との要求があった。
私はもうこれ以上傷つきたくなかったので、拒否した。
私は一部始終を見ていた人に
「私はカウンセラーではない。貴重な時間を使ってミーティングに参加しているのに、攻撃されるのはもう嫌だ」と伝えた。
思い返すと私が意見を言ったとき、この人はいつも側にいた。
「一人5分という決められた時間内で、20分以上話し続けているのを止めないのはおかしい!」という内容だった。
誰だって自分の話しは聞いて欲しいものだ。
でもそれを許してしまうと、他の人の話す時間がなくなってしまう。
それを防ぐための時間制限なのだ。
しかし、この人は「花さんが怒っているというのは分かったけど、私はそんなに気にならなかった」と言う。
いつもいくつもの葛藤を見ているのに、常に「傍観者」の立場を崩さない。
そこで仲裁に入ったり、他人の気持ちを理解しようとする事は一切ない。
自分もその会の当事者なのに、いつも「傍観者」だ。
この社会で生きていくには賢い方策だとは思う。
しかしこの人は「葛藤と問題解決」を焦点に当てたワークショップに多額のお金を払って参加しているのだ。
私も一度参加したことがあるが、本音を炙り出し、自らの内面を見つめ直す素晴らしい経験だった。
他人の葛藤や問題解決には涙を流して、目前の葛藤には「傍観者」で
いる。
矛盾していないか?
目の前で血を流し、もんどりうっているのに見て見ぬふり。
今回もそうだった。
あなたも当事者なのだ。
はっきり言うと、あなたが仲裁に入ってくれたらここまで悪化しなかった。
何で涼しい顔で「傍観者」気取りなの?
あなたはいつも遠い国の戦争や、口先だけの葛藤や、哲学に興味を示している。
でもそんな「意識高い系」のフリは、誰の感情も動かせない。
自分が攻撃される危険を犯すことはしない。
良さげなこと言って、何もできない人がほとんどだ。
差別を堂々と言ったり、侮辱している人より、良さげなこと言っている人の方が10倍マシだ。
それでも私はダサくても拘束されても言う。
「生活が苦しい!生活必需品に消費税はかけるな!汚職は許さない!」と。
彼女との関係はもう諦めた。
私(いつもヘラヘラしている初老女。でも心は過激派)
相手(心にたくさんの怒りを抱えていて、たまに暴発する)
彼女(何が起きても傍観者)
これじゃ上手くいくはずもない。
私の心が擦り切れるだけだ。
マトモな感性を持った人に入って欲しかった。
だから他のミーティングで出会った人に誘いをかけた。
すると「人数が増えても葛藤が増えるだけで上手くいかないと思います」だって!
私がおかしいと思っているの!?確かに色々おかしいけど!
私は日常生活で普通の人とは上手くやっている。
ボランティアで支援してくれる人もいるくらいだ。
もちろん自分のダメな所や、変な所は自覚している。検査済みだ。
あなたが私をおかしいと思うのは自由だが、私もあなたに違和感を持っている。
言ったら泣くほど悔しがるだろうから言わないけどね。
みんなおかしいのだ。言いたい事は山ほどある。
それを全部見透して、我慢している私が一番辛い。
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