見出し画像

【短編】知らない街の春の詩(うた)

目を開けた瞬間、夢を見ていたことに気がついた。

それはみつきがまだ小さい頃、夏休みに父の故郷を訪れた時だった。
祖母の家の裏にある、冬にはスキー場になる山の高原を家族で散策している時の夢。
父と母と、兄と従兄弟達がいる。
みつきがまだ4歳頃の記憶だ。
母に手をひかれてよちよちと歩くみつきの前に、高原の緑と眩いほどの青空が広がり、絵の具で描いたような入道雲がぽっかりと浮かんでいた。

肌をかすめる夏の爽やかな風が心地良かった。
午後の昼寝の時間が近いこともあって、手を繋ぐ母がなんども名前を呼びかけないといけないほど、みつきはうつらうつらと半分夢見こごちだった。
でも少し遠くで年上の従兄弟達が集まって遊びはじめたのが視界に入った途端、意識がはっきりした。
自分も仲間に入れて欲しいみつきは、母の手を振り解いて自分も混ぜてくれと言わんばかりに兄のところへ駆け寄った。
兄のゆうたは駆け寄ってきたみつきをわざと無視して、一つ離れた従兄弟のりょうとはしゃいだ。
必死で追いかけるみつき。
しかし、みつきより5つ以上離れた従兄弟達は足が早く、追いつけずにその場で転んでしまった。
悔しさで喉のあたりが熱くなったみつきは、ぽろぽろと大粒の涙を流して地面に手をついたままわんわんと泣いた。
涙で歪んだ視界には、無邪気に遊ぶ従兄弟達の足元が見えた。

「みつき。」

母の声でみつきははっと我に帰った。
「…今日はどうするの?」
無理やり現実に戻されたみつきは、ベットにうつ伏せのまま不機嫌に母の声を聞いた。
「…。」
「いい天気だよ。」

寝返りを打ってカーテンの隙間から外をみると薄曇りの空が屋根の間に広がっていた。
濁った和音のようなあいまいな薄いグレーの空。
みつきは再び目を閉じた。

「…今日行かない。」
それを聞いた早苗は”まだ続くのか”という無力感を掌に握りながら、みつきに聞こえないように静かにため息をついた。

みつきが学校を休み始めてから今日でもう2週間になる。
2学期の期末テストを控えた12月の初旬頃から学校を休みがちになった。
中学校の教室で感じた小さな違和感が、次第にみつきの身体を通して淡い音をたて、違和感はいつの間にか身体からの切実なメッセージとなった。
朝目が覚めると、体は鉛のように重く呼吸は浅かった。
倦怠感と憂鬱さが合わさった身体は、今日1日をはじめることを全身で拒否していた。
窓から差し込む冬の薄い光を顔に感じながら、"いつからこうなってしまったんだろう"とみつきはあてもなく思った。

最初は些細なことだった。
同じクラスで部活が一緒だった親友の美緒が少しよそよそしくなったと感じたことをきっかけに、小さな違和感とタイミングが合わない感覚が重なって上手く話せなくなったのだ。
その違和感はみつきの中だけで次第に膨らみ、部活にも顔を出しづらくなった。
自分以外のみんながみつきから距離を置いて、まるで違う世界にいるような感覚。
周りの空気は重たく、視界は薄暗く感じた。
吹奏楽部の音色が、どこか別の場所から聞こえてくるような疎外感を感じるようになった。

みさきは再び布団に潜り込んで目を閉じた。

***

冬休みも終わり3学期が始まって1週間ほど過ぎた1月のある日、家のインターホンがなった。
やわらかい日差しが感じられる1月にしてはめずらしく暖かい日の午後で、みつきは居間のソファに寝転んで学校の図書館から借りっぱなしだった本を読んでいた。
家族はみんな出掛けていて、家には誰もいない。
みつきは仕方なく起き上がってインターホンの画面を覗き込むと、そこに同じクラスの城山ひろとが立っていた。
みつきはひろとの姿を見ると一瞬目を疑い、思わず画面のスイッチを切ろうとしたが、寸前で手を止めた。
ためらいの後に恐る恐る顔を上げてもう一度よく画面を見ると、口をきゅっと結んで真面目な顔をしたまま立っているひろとが再び見えた。
みつきはインターホンのスイッチを押して答えた。
「はい… 。」
「こんにちは。木村さんと同じクラスの城山です。先生に頼まれて来ました。」

みつきは戸惑った。
もう2週間も学校を休んでいて気まずい上に合わせる顔がない。心臓がどきどきと高鳴った。
すると、手に持った紙袋をインターホンの画面に突き出して、おもむろにひろとが言った。
「…先生に頼まれて、これを渡さないと帰れない。取りに来るだけでもいいから。」
みつきは迷ったが、あきらめて仕方なく言った。
「…ちょっと待ってて。」

玄関を開けると、午後の日差しの中に2週間ぶりに顔を見る同級生のひろとがそこに立っていた。
久しぶりに嗅いだ学校の匂いに、みつきは思わずくらくらと軽いめまいがした。

「三浦にこれを届けるように頼まれたんだ。体調が良い時でいいから進めておくようにって。」
そう言って紙袋を差し出した。
みつきが受け取って袋を覗くと、中には家庭科の裁縫の授業で途中になっているエプロンといくつかプリントなどの紙類が入っていた。
「あと、これも。」
そう言って、ひろとはフルートが入った古いケースを差し出した。
吹奏楽部に所属しているみつきは自分の楽器を持っていないため、部活で所有しているものを借りて練習に参加していた。
担任の三浦京子は吹奏楽部の顧問でもあった。

「時間がある時に少しでも練習しておいてって。」
「…うん…。」
曖昧な返事でみつきは渡されたフルートを渋々と受け取った。

しばらく様子をうかがうように見ていたひろとが、
「体調…どう?」と言った。

「…うん、まだあんまり…。」
そう言ってみつきは黙った。

それを聞いたひろとは姿勢を直して鞄を持ち直しながら言った。
「あと、これ、家から持って来た。」
そう言うと、1冊の本を差し出した。
みつきが受け取った本はどこか知らない外国の風景がうつる小さな写真集だった。

***

中学でバスケ部に所属するひろととは、小学校5・6年でも同じクラスで、当時一緒に図書委員をしていた。
ひろとの家族は、ひろとが小学校低学年の時にみつきの自宅の2軒隣に引っ越して来た。そのため集団登下校でも一緒になり、同じ学年同士だったこともあり二人の母親もよく会話した。

そして、いつの頃からかみつきはひろとのことが密かに気になっていた。
ただ、その感情が"好き"という感覚なのかは、まだ13歳になったばかりのみつきには正直よくわからなかった。

近所の割にあまり接点はなかったものの、6年の時、図書委員で一緒になったことでみつきとひろとは少しづつ話をするようになった。
好きな本の話をするうちにひろとの前では自分のままでいていいような気持ちになり、それはみつきに夏の高原で寝そべっている時のような安心感を覚えさせた。

卒業間近の6年の時、親友の美希にはっぱをかけられて、バレンタインデーにチョコレートを渡す計画をたてた。
恋なのか、そうでないのかよくわからないような気持ちだったけど、クラスの女子達が色めきだつ雰囲気に思わずみつきも便乗してみようと思ったのだ。
それに、中学に入ったら何となくもうひろととこれまでのようには話さなくなるような気がどこかでしていた。
そして大人になったら今の時間はもう永遠に帰ってこないとどこかで漠然と感じていた。

しかし、その計画はあっけなく頓挫した。
母に友達と交換すると言ってお金をもらい、美希と近所のお店でさんざん迷って買った小さな包みをバレンタインの当日にカバンに忍ばせて学校に行ったが、同学年の女子達が次々に行動に移すのを横目に、みつきは何となく自分の渡すタイミングを見失った。
あっけなく1日が過ぎてひろとに声をかけることもなくその日は終わった。
結局用意したチョコは帰ってから自分で食べた。
翌日、学校で美希に会うと、「やっぱりもうそんなに好きじゃない。」と言って、それ以来その話をすることは無かった。
と同時に、みつきは自分の心のうちにある想いを箱から出す前に蓋を閉じてそっと引き出しの奥にしまった。


卒業して中学に入ると、みつきはまたひろとと同じクラスになった。
そのことで特に何かを変える必要もないと感じたみつきは、これまで通り普通のクラスメイトとして振る舞った。
ひろとの方も変わらなかったが、二人の間にはどこか小学校の時とは違った空気が流れた。
以前のようには話さなくなったし、同じクラスにいても二人はどこか遠い国の別々の場所にいるようだった。

***

「…でも、どうやって返せばいいの?」
みつきはひろとから渡された本を手に持ったまま言った。
それと同時に”なんか変なコトをいってしまったな”、と感じたが、みつきの意に反してひろとはさらりと答えた。
「次に学校に来た時でいいよ。」
みつきが返答に困っていると、ひろとは「じゃあね」と言って午後の日差しの中に帰っていった。

リビングに戻ると、みつきはひろとから受け取った本を眺めた。
どこか知らない国の美しい街並みが写る写真集で、女性写真家の一人旅の様子と日記を綴ったイラスト入りのエッセイ本だった。
表紙にはおしゃれなヨーロッパ風の街角で、カメラを片手に色鮮やかなお菓子を頬張る女性の笑顔が写っていた。
表紙の中央に「Little spring poetry」とタイトルが書かれていた。
小さな部屋でページをめくるみつきには、自分とはまったく関係ない別の世界のような気がしたけど、ひろとが貸してくれた本ということもあり隅から隅まで目を通した。
そしていつか自分もこんなきれいな国を訪れて旅してみたい、と思った。
"大人になったら今よりもっと自由に生きられるのかな"とぼんやりした想いがなんとなく浮かんだ。
外国へ行ったり、好きなことをしたり、恋をしたり。
でも今のみつきにはどんな未来も見えなかった。
考えようとすると胸の辺りが息詰まる感覚がして、目を閉じる他になかった。

その後、担任の三浦がひろとに届けさせた部活の古いフルートをケースから出して、久しぶりに口元に楽器を当ててみた。
ひやっとした感覚を唇に感じ、フーッと息をはくと乾いた部屋に春の風のような音が場違いに鳴り響いた。
もう一音、もう一音。
しばらく音階を弾いたあと、練習中の楽譜をなぞった。
ひととおり拭き終えると、みつきの頭はすっきりとして胸のモヤモヤが窓から消えていったような感覚になった。
みつきは少し暑く感じて窓を開けた。
夕暮れの日を受けた冷たい風が、優しくみつきの頬にあたるのを感じた。

それから2日して朝起きた時、みつきは学校へ行こうと思った。
クラスメイトは登校して来たみつきを見た時、一瞬はっと息を飲んだような気がしたが、すぐに仲のいいグループの友人たちが駆け寄って来てくれて体調は大丈夫かと声をかけた。
みつきは「心配ないよ、ありがとう」と友人たちに伝えた。
胸の詰まりが解けるような安堵感でみつきはクラスメイトたちを見た。

部活の朝練を終えたひろとが教室に入って来たのがわかると、みつきはひろとに向かって軽く手をあげた。
ひろともみつきを見つけると、まぶしいものを見た時のように首を少し傾げて瞳を揺らしたのがわかった。
ひろとと目があったみつきは少し緊張した面持ちで頷いたあと、やわらかく口元だけで微笑んだ。

2月のある夜、自宅で夕飯を済ませたみつきがテレビを見ていると、早苗がみつきに言った。
「来週バレンタインだけど、今年はお父さんとお兄ちゃんに作る?」
「うん…。」
「じゃあ、明日買い物行かないとね。」

早苗の言葉を聞いて、「お母さん、あのさ」とみつきが言った。
「わたし…、クラスの友達にも作っていい?休んでた時のお礼にあげたいんだけど。」
早苗はキッチンで洗い物をしながらみつきの方を見て、あたたかい微笑みで「いいよ。」とだけ言った。

バレンタインの当日、みつきは放課後の部活を終えると、家の前の小さな公園でひろとの帰りを待った。
みつきはひろとに借りた本に手作りの小さなチョコレートを添えて、袋に入れた。

角を曲がって来たひろとの姿をみつけると、「城山くん」とみつきは声をかけた。
上は部活のユニホームに、下は制服のズボンという格好のひろとはみつきの声かけに振り返った。

「この間、これ…ありがとう。」
そう言ってみつきは紙袋をひろとに差し出した。

「あ…、うん。」
「その…、気晴らしになったよ。」
「…ん。」
俯いているひろとにみつきは目が合わないまま続けて言った。

「それでね、その、お礼にお菓子入れておいたから。昨日作ったやつ。」
「…チョコ?」
「うん、チョコ。」
「…。」
「毎年お母さんと作ってるの。お父さんとお兄ちゃんに。」
「そっか。」と、ひろとはどこか他人事のように答えた。

「あのさ、あの写真の国…、どこ?」
みつきは気になっていたことを聞いてみた。
ひろとがなぜその写真集を貸してくれたのかも聞いてみたかった。

「子供の頃住んでたんだ、たぶん4歳くらいの時。」
「え、そうなの?」
「父親の転勤で小学校2年まで暮らして、その後日本に戻った。」
「そうだったんだ…。」
「最初、日本で言葉がわからなくて大変だったんだ。クラスにもなじめないし…。しばらく友達もできなくていつも一人だった。」
「…。」
みつきはひろとの言葉に、返答できずにいた。

「3年の終わり頃、居場所がなくて図書室によくいたんだ。そしたら、木村さんがこの本面白いよって図鑑を渡してくれて。」
「…そうだったっけ。」
「宇宙の図鑑だったんだ。銀河系がなんとか、そうゆうやつ。ひらがなが読めなくても見るだけで面白くて。…覚えてない?」
みつきは古い記憶を辿るようにして、ひろとの話を聞いていた。
ふと、みつきとひろとの間に乾いた夕暮れの風が吹いたのを感じた。
ひろとは黙ってみつきの足元をなんとなく見ながら返事を待った。

みつきが言葉に迷っていると、ひろとがおもむろに言った。
「…たぶん、春になったらすぐ転校する。父親の転勤でまた外国へ行くって。」
みつきは「えっ」と言って顔をあげた。
ひろとの言葉に何と返事をしていいか戸惑っていると、ひろとが先に言った。

「知らない外国のどこかの街ってさ、…行ってみたくない?」
そう言うと、みつきから渡された袋から写真集を取り出して、みつきに差し出した。

「…あげる。」
「…え…、いいの?」
「よかったら。」
みつきは差し出された写真集を受けとり、”ありがとう”とひろとに伝えた。
顔をあげたみつきがひろとを見ると、瞳の奥にこれまでみつきが見たことのない深い色が広がっていて、それは今まで一度も聞いたことのない異国の音楽のようだと思った。
その瞬間、みつきは自分とひろとの間にまだ知らない春のにおいがする風が吹いたのを感じ、どこかからピアノの練習をする音が鳴るのが聴こえた。
みつきの胸に言葉にならない想いが込み上げてきたが、みつきはピアノの音に耳を澄ませることで、ただ時が過ぎるのを待つしかなかった。

 --------15年後---------

朝からよく晴れた早春の3月初旬、みつきは成田空港へ向かうバスの中にいた。
レインボーブリッジに差し掛かると、朝日がきらきらとまぶしく都会の街を照らし、新しい1日を祝福しているようだった。
印刷された原稿のゲラを手に持つみつきの手には、小さな出版社の名前が記載された赤いペンが光った。
ふと、みつきが鞄から古びた写真集を取り出し手に取ると、スマホに1通のメッセージが届いた。
スマホを取り出し、添付の写真を開くと、写真集の表紙と同じ風景がひろがった。
やわらかく微笑むみつき。

顔をあげて窓の外に流れる風景を見つめるみつきの瞳の先に、新しい季節の予感がした。
もうすぐ春の詩(うた)が聞こえる季節だとみつきは風の音に耳を澄ませた。

いいなと思ったら応援しよう!

アサクラ トモコ
最後までお読みいただきありがとうございます!フリーランスのお仕事のこと、デザイン、創作、映像表現や日々の暮らし、考えたことなど何でも発信しています。コツコツ更新していきますので、良かったらフォローお願いします☆