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没後五十年。三島由紀夫先生の命日  多磨霊園を訪れて  『詩を書く少年』の話


こんにちは。


今日は11月25日。

祝日ではなく、平日です。道ゆく人に「今日は何の日ですか?」と尋ねましても、目を点にすることでしょう。

そう、今日は題名通り、三島由紀夫先生の命日です。界隈では、憂国忌と呼ばれています。

今日はちょっと三島由紀夫先生の著書の話を。

好きな短編小説があります。

『詩を書く少年』

これは、『花ざかりの森・憂国』の短編集の一話です。

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あらすじ・・・。

主人公の15歳の少年は、風のようにすらすらと詩を書く。天才と自負し、詩が生まれ、詩によって生まれる比喩的世界の現出に、至福を感じていた。少年は、文芸部委員長のR(侯爵家)と交友を持ちます。互いの天才を認め合い、少年は、天才同士は一緒にいるべきだと思った。
時が経ち、少年の書く詩には恋愛の要素が含まれていったものの、恋愛の経験はない。だが、その必要性を見出せなかった。それは『ある不条理な確信』によって。
Rから恋愛で苦心している相談を受ける。少年は言った。
「詩って、そういうときに人を救うものじゃないんですか?」
と。
「そうは行かないんだ。君にはまだわからないんだよ」
先輩はゲーテ(ドイツの詩人)を引き合いに出し、少年を葛藤の渦中に動かした。少年は、恋愛をするなんてRは天才ではない、と悟る。
Rは、永久と恋人の美しさを、少年に話す。素晴らしい美人であるようだが、少年には何一つ浮かぶ形はなかった。
Rは恋人からおでこを褒められていることを少年に言う。少年はRのおでこに美しさを感じなかったが、その時、『恋愛とか人生とかの認識にうちに必ず入ってくる滑稽な夾雑物』を見た。少年は思う。自分もいつか同じよな悩みを抱き、生きつつあるのかもしれない。僕も生きているかもしれない。そして、いつかしを書かないようになるかもしれないと・・・。


ここで少し脱線しますが、三島先生の作品には、階級のお話しが出てきます。『詩を書く少年』では、Rです。他にも、『鏡子の部屋』然り、『美徳のよろめき』然り・・・。


他界されてますので、三島先生にお聞きすることは出来ません。ですから、僕なりの意見を。

先生は、川端康成先生との対談の中で、

『私が是非拝見したいと思っているのは前から伺っている足利義尚の話ですね。あれは前から私伺っててね、はやくお書きにならないかなと楽しみにしているのです』

と、仰ってます。

足利義尚は将軍でありながらも文化人として名高い、九代将軍です。和歌に熱心だったとか。

将軍と文化人。相容れないものを感じます。
上流階級と禁忌。これも相容れないものを感じます。

階級や立場から逸脱する感情。禁忌に足を踏み込む感情。そこに先生ならではの美学や関心を置いていらっしゃったのでしょうか。揺るがないものと、揺らぐ人間性の対立。そう、『金閣寺』も似ています。絶対的美の金閣寺と、吃音症の青年・・・。


話が逸れました。

『詩を書く少年』は、私小説に近いとのことです。
人生を俯瞰し、経験によって「生」の本質に気づきつつある少年。短い小説ですが、読み応えがあります。そして、三島先生の少年期というなら、尚更、三島文学を紐解く鍵が眠っているように思えます。


今日は、仕事が休みでしたので、経済的繁栄にうつつを抜かした都会を眺めつつ、電車で多磨霊園へ行きました。

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三島文学、永遠に。




花子出版    倉岡

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