哲学なのか?

こんにちは。

誰ですか?

哲学者の男です。

いえ、文学者です。いえいえ、文学を志す男です。

先日更新しました記事が、#哲学で”スキ”を集めたようです。通知が飛んできましたので、スクリーンショットを撮りました。

画像1


森博嗣先生もタグ付けをしていましたから、その効能でしょうか。

勝手に彼是タグをつけてしまい、申し訳御座いません。


『哲学』・・・とある辞書には、

1 世界・人生などの根本原理を追求する学問。古代ギリシャでは学問一般として自然を含む多くの対象を包括していたが、のち諸学が分化・独立することによって、その対象領域が限定されていった。しかし、知識の体系としての諸学の根底をなすという性格は常に失われない。認識論・論理学・存在論・倫理学・美学などの領域を含む。

2 各人の経験に基づく人生観や世界観。また、物事を統一的に把握する理念。「仕事に対しての哲学をもつ」「人生哲学」

と、記述されています。

根本原理を追求する学問!!! 
なるほど、僕の分野かも知れない・・・、と勝手な妄想を。


話は変わりますが、哲学の話を少しばかり。

「サウボナ」 

と、いう言葉を聞いたことはありますか? 

多くの方が、??? となるでしょう。

僕も初めて聞いた際、??? となりました。「サウボナ」「Sawubona」はズールー語で「こんにちは」との意味です。ズールー語とは、wikipediaによりますと、

ズールー語(Zulu、isiZuluとも)は、南アフリカ共和国のズールー族の95%、約900万人によって話される言語である。アパルトヘイトが終了した1994年には、南アフリカ共和国の11の公用語の一つと制定された。

とのことです。

この言葉を知ったきっかけは、TEDを見ていた時の話です。「サウボナ」を直訳すると、 わたしがあなたを見ることで、あなたが存在する。
''I see you, and by seeing you,I bring you into being''   です。

この話を聞きまして、僕は「唯識」を思い出しました。

「唯識」とは、この世の現象は客体として存在しているのではなく、人間の心「阿頼耶識」が展開している世界 という考え。ざっくりですけれど。仏教の教えの一つです。インド発祥。

私の心があなたを生み出し、あなたを瞳で捉えたから、あなたが存在している・・・。例えれば、道ゆく人とすれ違う際、気になる人と、気にならない人の二者が存在します。それは、気になる人は、自分の心が生み出しているから、気になるともいえます。


「サウボナ」「唯識」。そして、南アフリカ共和国インド。共通性があるような、ないような・・・。いずれにせよ、違う民族が、同じような思想を持っていることに感銘を受けました。


画像2


花子出版    倉岡



文豪方の残された名著を汚さぬよう精進します。