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そこの君、名を聞こう             長谷川伸先生  横浜

『どこの誰だ!!! 
文豪の一子相伝者であると身勝手に思い込み、資本主義の基本である経済活動を最低限のものでおくりながら読書と執筆に時間を割き、ヘンテコな文章と物語を積み上げてnoteのサーバーに負荷を掛ける、傍迷惑な奴は!!! おい、名を聞こう!!!

『花子出版の倉岡だ!!!』

・・・。

と、軽快な書き出しで、ちょっとした小話を入れてみました。なぜ、下らない小話を入れたかは、後ほど。

さて、こんにちは。
三月になり、汗ばむ陽気の日が増え始め、梢で眠る新緑や、土の中で眠る土筆が、そろそろ目を覚まして準備を始めるころでしょう。

僕は横浜に住んでいます。横浜にも麗かな春が訪れようとしています。そんな横浜は、どこの街と変わらず、偉大なる作家さんを輩出している街です。

長谷川伸先生。
1884年3月15日に、横浜市日ノ出町で生まれ、1963年6月11日にお亡くなりになりました。明治から昭和にかけて活躍された文豪です。
大衆文学の父と称される先生は、数々の作品を残されました。

大衆文学の定義となりますと、中々小難しいものがあります。一般的には、芥川賞が純文学、直木賞が大衆文学とされています。これについては、かなり偏った見解ですので、僕は好みません。
では、大衆文学とは何か? 
おそらく、ただの定義付けの一種だと思います。僕もそうですが、定義付けをしていると、物事を整理し易いですし、第三者に説明もし易いものです。ですから、作家が生み出す文章を、身勝手に定義付けしているだけ。
作家が、「俺は大衆文学を書いている」「俺は純文学を書いている」と思ったとしても、出版社の意向で、逆転することもありそうですからね。
言葉の定義は千差万別ですので、このくらいにします。


さてさて、冒頭の小話についてになりますが、長谷川伸先生の小説を読んでいますと、刀を持った男らが出てきます。時代背景はわかりませんが、刀を持って斬り合うシーンもありますので、江戸時代とか?? 1876年には廃刀令が出されていますから。

両者が出会い、『名を聞こう!!』 と言うシーンがあります。

このシーン、僕は時代を表していまして、とても好きな場面です。名乗る男は、自分の名前や家系に自信を持っており、堂々と名乗ります。推測になりますが、自信を持つために日々精進をしているでしょうし、名を汚さぬように倫理観を磨いていることでしょう。おそらく。

現代は、名を名乗ることは減ってしまいました。何故なら、実態のないバーチャルが世界の主として動き、その周りを肉体を持った人間がヨロヨロと動いていますから、名を名乗る必要がないからです。これが悪いとは思いませんが、匿名の誹謗中傷などは、いかがなものかと。

長谷川伸先生の本は、あくまでも小説ですので、昔の日本が実際にどうだったのか? は分かりません。ですが、火のないところに煙は立たない、と言われるように、日本人には本来、自分の名前に自信を持っていたり、自分の家系を大事にしたりする文化があったのではないでしょうか・・・。


と、いろいろ書き記しましたが、そんな深く考えずに、読むことをお勧めします。カラッと乾いた文章に、登場人物の人情味が溢れ、心地よい物語が運んでいきます。読後感が抜群ですよ。これが大衆文学かあ〜。

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さてさてさて、そんな長谷川伸先生の文学碑が、横浜のみなとみらいにあります。
先日、仕事の後に行ってきました。
京急の日の出町で下車します。何故なら、長谷川伸先生の生まれた場所ですから。

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この街の、どこで生まれられたのだろうか??

歓楽街として有名な街です。飲み屋さんが櫛比しています。感染症がなければ、人がごった返しです。

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閑散としてますね。街始まって以来の珍事かもしれませんねえ。

海へ向かって歩いて行きますと、文学碑を発見。

神奈川県横浜市西区みなとみらい2丁目1−8


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ランドマークタワーを背にするこんな喧騒な場所に建てなくても、と思いましたが、それもまた良いでしょう。


文豪、永遠に。


花子出版   倉岡 






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