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美しい言葉の湖に浸りたい。      国木田独歩先生  逗子

こんにちは。

国木田独歩先生のお話を少々。

国木田独歩先生は、36歳で夭逝されました。今現在の平均寿命から考えましても、半分にも満たない年齢です。しかし、その美しい文章は後世に偉大な影響を齎しました。非常に綺麗な文章でして、自然の描写の文章を眺めていましても、山の声、木々の騒めき、小川のせせらぎ、そして四季の舞踏が瞳に宿ります。決して、押し付けがましくなく、且つ秘められた麗々しいを、そっと心に残してくれます。

好きな一節を。

代表作の『武蔵野』を含めた短編集、『武蔵野  新潮文庫』の中にあります、『星』の中の一節です。

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夜は愈更け、大空と地と次第に相近けり。星一つ一つ梢に下り、梢の露一つ一つ空に帰らんとす。万籟寂として声なく、ただ詩人が庭の煙のみ愈高くのぼれり。

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初冬、都近隣に住む詩人の、抒情的な短編小説です。一ページ半ですので、非常に短いのですが、節々にあります自然の描写は、目を見張るものがあります。
まず、夜が更けてゆく描写を、大空と地平線が近くなるという視点に脱帽です。そうですよね。考えてみますと、昼間は、空と地の境界線が明瞭です。しかし、夜になりますと、闇が地を覆いまして境界線が希薄になります。
梢に張り付く露に、か細い星の明かりが当たり、朧げに輝くさま。『空に帰らんとす』、との視点が秀逸です。
万籟「ばんらい」とは、風に吹かれて起きる物音や、全ての物音。その音が、ひっそりしている。
現代的に例えますと『静かですねえ』と表現するよりも、もっと生々しい静かさを感じることが出来ます。

詩人が見ている情景を、まるで切り取った映像のように見えるのは、僕だけでしょうか。先生は詩人でもいらっしゃり、1行1行が無駄なく簡潔ですが、どこをとっても、詩のような表現です。いえ、詩そのものなのです。



そのような、国木田独歩先生の文学碑が神奈川県の逗子にありますので、以前に訪れました。

〒249-0005 神奈川県逗子市桜山9丁目


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逗子の砂やま草かれて 夕日さびしく残るなり     
沖の片帆の影ながく 小坪の浦はほどちかし

風光明媚な地で、先生は詩を読まれました。僕が赴いた日は、低い雲がありまして、遠くの富士や伊豆山は見えませんでした。透き通った日ですと、相模湾越しに、素晴らし情景が待っていることでしょうね。また、訪れたい。


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ウィンドサーフィンしている人が多くいました。



花子出版     倉岡

文豪方の残された名著を汚さぬよう精進します。