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【はじめの自己紹介5】震災の日、私は東京にいたから

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【はじめの自己紹介】なぜ短大を選んだの?

電柱と地面が波打つ都会の街を見た

そろそろ就活か編入か決めなければと思いながらも、のんびりした毎日を過ごしていた2年生の春休み、2011年3月11日の午後。
私はバイトもあり福島には帰らず東京に残っていました。
テレビを見ていた時のこと。突然視界と身体が大きく揺れて、咄嗟に「地震だ、外に出なきゃ」と飛び出しました。
玄関からでたところ、コンクリートの地面と電柱が波打つように揺れていて、下校中の小学生たちが動けなくなっていたのを今でも鮮明に覚えています。

少しして地震が止み急いで部屋に戻りテレビを見ると、地震速報が流れていました。
急いで母に電話すると、幸いにもすぐに通じて無事が確認できました。
ただし、その後は何度連絡を取ろうとしても電話が繋がらず。加えて、連日テレビで流れる津波や原発の報道で当時の私の心身は病んでいきました。
帰省のためのバスも新幹線も運転見合わせとなり「このまま一生福島に帰れないんじゃ?」と本気で考えていたし、被災して放射線に怯える福島の人たちを考えると、涙が止まらなくなりごはんも食べられない日が続きました。

進路をまだ決めきれておらず編入か就職か悩んでいた当時、多くの企業で採用活動がストップしたり、福島の企業の多くが営業停止しているということを知りました。

編入して、未来はあるのか。
自分はどうしたいのか。
東京に残りたいのか、地元に戻りたいのか。

人生をかけた選択はなかなかすぐに決められず、悶々とした短大2年生を過ごすことになります。

福島に戻ろう

結局、あれだけ離れたいと考えていた地元(結局今は地元ではなく、同じ県内の別の市に居ますが)に戻ってきたのは、震災で大変だった当時、何もできなかった自分が嫌で「こんな自分でも、もしかしたら誰かの役に立てることがあるかも知れない」と思ったから。

その後私は、福島に本社のある企業に就職を決めたと同時に、福島に帰ることを決めました。

戻ってきてからは震災後のリアルな福島の実情に対面しながら、その時々で自分にできることは何か?を問い続けて今まできています。

そして、今の夫と出会い、結婚して、2人の子どもと共に福島で生きていくことを決めました。

もし震災が無ければ、今頃私は当時憧れていた横浜の青葉区で暮らし、別の人生を歩んでいたでしょう。
結婚もしていなかったかもしれません。

人生には色々な出来事が付きものですが、例に漏れず私もこうしてnoteに記す程度の経験をして、今を生きています。
今後も、何か感じたことや、残しておきたいことを、時間を見つけて書いていきたいと思っています。

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