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ノートを綺麗に書く習慣

ノートをとるのが好きだ。
授業中に書くノート以外にも、会議の議事録やレポートの概要なども我ながらうまくまとめられる方だと思う。いつからノートをとるのが好きになり、自分なりの見易いまとめ方ができるようになったのかを思い巡らせたところ、それは小学校にさかのぼる。

小学校3年生か4年生だった頃、校長先生が変わったことで校内は一変した。ノートの取り方から音読の仕方、声のボリュームまで全て校内単位で同じ方法で細かく指導されるようになった。一見すると、子どもを徹底管理しているようで悪く映るかもしれないが、実際のところ、ここで学んだことは私のその後の人生の糧となっており、子どもの将来を考えた有効な指導だったのだと思う。そして、そんな中で学んだことの一つがノートの取り方だった。

『美しいノートの取り方』と言って教わったことには、「一マス一文字」「間違った時は消しゴムで丁寧に消す」といったごく基本的な内容から「大事なところは赤鉛筆で書く」「直線は定規を使ってまっすぐ引く」「先生の話していることで、大事だなと思った部分は自分でもメモする」のように中学・高校でも使えるようなことまで含まれていた。綺麗な見易いノートが書けると、先生はみんなの前で褒めてくれ、それを見本として見せてくれたりした。それが非常に嬉しくて、また、他にも褒められた友人が羨ましくて、どんどんノート作りにはまったいった。

綺麗なノート作りのおかげで、字も丁寧に書くようになったし、ガタガタだった線は一つもなくなった。しかし、1番の効能は頭の中で情報の整理ができるようになったことだろう。それまでは、先生の説明がまるで大きな煙のように、モヤモヤとした何かが頭の中をすり抜けていくようだった。しかし、ノートを注意しながら撮ることによって、単元の難易度は上がるのに、説明された情報をノートに文字として書き起こすことによって情報が随時整理され、理解の速度がどんどん早くなっていったのである。

そして、そのうちノートを綺麗に書くことは一つの習慣となっていった。中学に入ってからも、高校に入ってからも、その習慣は続き、私のノートはどこにいっても高評価をもらえるようになっていた。しかし、何よりもこの習慣に感謝するようになったのは、大学に進学してからだった。

中学や高校までは、先生が一人一人の進度に気を配っていてくれたところ、大学ではそのような配慮は一切なくなる。授業の出席が自由な代わりに、テストやレポートができなくても自己責任、大学生なんだからそれなりに資料やノートの管理も自分でしなさい、ということだ。最初の方こそ、私もそういったこれまでとは違う環境や、板書の少ない授業、すごいスピードで進んでいく授業などに大いに困った。しかし、ノートをとる、という点においては困ったことはなかったのだ。小学校で培われた習慣や基礎力が、ここにきて大いに私を助けてくれたのである。学ぶことがどんなに高度になっても、「字を丁寧に書く」「重要なところは目立つ色で」など、見易いノート作りの基本は変わらない。10年も前に教わったことが、自分を救ってくれた瞬間だった。

近年では、授業中もパソコンでメモを取る人が増えてきたり、オンライン授業ではそもそも筆記具を使う出番自体が減ってきたりなど、電子機器の進出は目覚ましい。しかし、私は手書きがやっぱり好きで、手書きに勝るものはないのではないかと信じてやまない。そして、何よりも一生に渡って使えるノート術を授けてくれた小学校の先生たちに感謝の気持ちで溢れている。


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