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目を醒すとそこは田園であった。

埼玉県北部、行田市へ花手水を見に行った時のことだった。
長い間電車に揺られ、ふと目を醒すと車窓から見える風景は先ほどまで見ていたものと全く異なるものになっていた。

その日、水を張った鉢に花を浮かべる花手水が街の至る所に置かれるイベントが行われているから見に行こう、と友人に誘われ行田市に向かっていた。私は東京の端の方に住んでおり、そこから電車で埼玉県北部へ向かうのにはなかなかの時間と労力がかかる。しかし、せっかく春が来たのだから、滅多に自分からは誘ってこない彼女が誘ってくれたのだから、と言い聞かせ電車をいくつも乗り継ぎ向かうことにした。

乗り換えは3、4回で池袋から湘南新宿ラインに乗り、熊谷で秩父鉄道に乗り換え行田に向かった。湘南新宿ラインはそのまま高崎線へと繋がっており、池袋から熊谷までの長い長い道のりを電車で揺られた。
電車にはどうやら人を心地よくさせる音だかリズムだかがあるらしく、私もその心地よいリズムと朝からの乗り換えの疲れが重なり、浦和を過ぎたあたりで眠りについた。

浦和からどれほど駅を通り過ぎたのか。ふと目を覚ませば先ほどまで見えていた浦和の高層マンションやコンクリートとガラスで囲まれた新都心はいなくなっていた。そこにあったのは
遠くまで広がる田園風景だった。あまりの変容ぶりに思わず窓を振り返る。すると、目の前の田園が私の背中の奥にも果てしなく広がっていた。
「ずいぶん遠くまで来たものだ」
まず頭に浮かんだのはこの言葉だった。自分でも知らないうちにはるか遠いところに来てしまった。幸い乗り過ごしたわけでもなく今の時代にはスマートフォンもあるので、ここから帰ろうと思えばいくらでも帰れる。しかし、やはり気付かぬうちに見知らぬ土地へと運ばれるのは少しばかりの恐怖がある。そして幼い頃に迷子になった時と同じような心細さを覚える。自分の居場所はここではないと、身体の中から、頭の中から、心の中から、訴えかけてくる。そんな感覚に襲われた。

結局その後、無事熊谷での乗り換えを済ますと無人の改札を通り、秩父線に乗ることができ、行田市駅で友人と合流した。この頃には心細さは薄れており、少しレトロで田舎ならではの幹線道路を持つ行田という街への興味ばかりが膨らんでいた。

そして帰ってきて今、ふとこの時のことを思い出す。スマホの写真フォルダには花手水や友人との2ショットばかりが残されているが、頭の中ではふと見上げた時の田園風景がはっきりと熱を帯びて残っている。
そして同時に川端康成の「雪国」冒頭のかの有名な一文が思い浮かぶ。
トンネルを抜けたわけでもなければ、雪国へ訪れたわけでもない。
しかし、ふと見上げた時に自分が意図もしないような景色が目に入ってきた時の驚きや遠いところへ来てしまったことへのいささかの不安、身の置き所のない心細さ、そうしたものを物語の中の彼も感じたのではないかと思案してみる。

行田の花手水

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