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〖blog〗「ママ友」

「HANAちゃん。体調はどう?
Bちゃんも、HANAちゃんの事、心配していてね…。もしHANAちゃんが大丈夫なら、久しぶりに3人で会わない?」

数日前、こんなLINEがAちゃんから届いた。

Aちゃんも、Bちゃんも、子供が保育園時代からの友達。所謂、「ママ友」である。

「ママ友」と聞くと、付き合いがやっかいであったり、派閥や、酷いといじめまである様なそんなイメージを持つ人も中には居るのではないか。そこまででなくても、子供が関わっている時期だけ仲良くする…そんなイメージ。

私も正直最初はそんなマイナスなイメージを持っていた。しかし、私が今までに出会ったママ友さん達は、本当にいい人達ばかりだ。

思い返せば保育園時代。娘は2歳から未満児で預け、私は仕事に行っていた。
未満さんから付き合いのあるママさん達も、感じのいい人しか居なかったが、みんな仕事へ出て居たので忙しく、そこまで話をする機会がなかった。

いよいよ年少に上がる時、どっと人が増えた。
娘自身は、未満からだったのでスムーズに保育園生活が送れていた。

私は、新しく入ったママさん達が怖く感じていた。当時まだ、若いママも少なく、ほとんどが年上の方ばかりで、「おとなしくしていよう。」そう思っていたのを覚えている。

ところが、半年も経つと自然とママ達とも話せている自分がいた。それでも、敬語を使っていた私に、あるママさんが、「敬語なんて使わなくていいよ!同じ歳の子供のママじゃん!」と言ってくれた。

また時が経つにつれて今度は別のママさんが、
「下の名前で呼んでよ~。私もHANAちゃんて呼ぶし。」と言ってくれた。

嬉しかった。すごく。
それから、ほとんどのママさんを下の名前や、ちゃん付けで呼ばせて貰える仲になった。

私はママ友さん達に恵まれたと思う。
仲良しさん的な人達はある程度決まっていたが、変な派閥や仲間外れもなく、みんながみんなが、割りと仲良かった印象だった。

それは、とても1人1人が出来た人間だったんだろうなぁと思う。仲良くやるということは、大人でも難しい事だから。

そんなこんなであっという間に年長になろうとしていた時期だった。
役員決めの時期が来たのだ。

私達の保育園では、年長の親だけが役員をやる。三役に加えて、12、3人サポートとして、理事をやる。

だいたいクラスの半分が役をやることになる。
小さな保育園でクラスも一つだけ、ちなみに小学校も一つしかクラスのない学校だった。
同じメンバーで、保育園、小学校と過ごす。

未熟な私はもちろん、「今後の事もあるけど。やりたくないな。無理だよ。」と思っていた。

ある日、お迎えに行くと数人のママさん達から話かけられた。
「HANAちゃん。役員どうする?三役はやりたいって人がもう居るらしいよ。あとは理事だけど…。もしなら、やってみない?気軽に話せる人達同士でやろうよ~。」
と、言われた。

私は、「え!?私は人前に立つような事もすごく苦手だしなぁ。どうしよ…。やれないかも…。考えとく。」
と、言った。

正直、三役さん含め、みんなのやる気はすごいなぁと感心した。

そして、役員決めの日がやってきた。
司会の園長が、
「まず、三役を決めますが、会長、副会長、会計、立候補の方はいらっしゃいますか?」

すると、すぐに3人手を上げ、すんなり三役は決まった。これは、噂に聞いていた通り。
凄いなと思った。

司会「凄いですね(笑)すぐ決まりましたね。では、次に理事の方を12名選出をお願いします。まず、立候補の方いらっしゃいますか?」

すると、お迎え時に話したママさんや、そうでないママさん、パパさんもどんどん手が上がる。

一気に10名程上がった。
そして、少し間を置いて、1名の方が、
「じゃあ…私もやります。」と手を上げた。

司会「あと…1名ですね。どなたかどうでしょう。」

そう言った瞬間、お迎えの時にやろうよと話してくれていたママ達が一斉に私の方を見た。
そして、何人かが笑ながら、手を上げろ~というジェスチャーをしている。

もう笑うしかなかった。やるしかない状況だ。

私「……わたし。やらせて頂きます。」
そう言って手を上げた。

司会「凄いですね!すべての役が20分で決まりました。私、長年、園長をしていますが、全員が立候補というのは初めてです!」
と、言って喜んでいた。

そんな訳で、年長の時は理事をやったが子供達の為に色々出来、また保護者の皆さんとの繋がりも一層濃くなったと思う。

いい思い出になった。

それから私は、娘が年長の11月に離婚した。
離婚して、白い目で見られるのかと、心配したが、それは全くの取り越し苦労だった。

さりげなく、みんな暖かい言葉を掛けてくれた。

子供を連れて、自分の実家のある市へ戻ろうかとも考えた…。

でも今までの事を思い返した時。
私は、ここにいるお母さんやお父さん達と、子供を育てたいと思った。

だから、無理をしてでも、子供は転園させなかった。

春、みんなと一緒にランドセルを背負って入学式を迎えた娘は、とても嬉しそうだった。

「ママ友」とは不思議な縁である。
育った場所も、年齢も全く違うのに、同じ時に同じ場所で子供を産み、育てているというだけで繋がる縁。

でも、冒頭に書いたように、今でも私を心配してくれるママ友がいる。
町で声を掛けてくれるママ友がいる。
風邪をひけば、お菓子を持ってきて玄関に置いて行ってくれるママ友がいる。
相談事に何時間も付き合ってくれるママ友がいる。

子供を産んで良かったと思えた、私の「宝もの」のひとつだ。

若くして子供を授かったことは、大変だったし、自分の未熟さを感じた。

でも、「ママ友」との出逢いは、娘が運んで来てくれた大きな幸福だ。
これからも大切にしていきたいと、思う。







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