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君には君の歌があり、僕には僕の歌がある


忘れられない人っていうのは誰にでもいるのかな。

あの時ああしていればとか、こっちを選んでいれば、とか。もしかしたら別の未来があったのかなって。

誰でも思うんだろうな。だって、選択というのはいつだって一瞬でしないといけなくて、二つに一つだったりして。Aを選んだけど、もしBを選んでいたらどうなっていたんだろう?とか、誰だって一度は思うと思う。

でも面白いほどに運命というのは、今というのは、歯車のように噛み合わさって動いて出来ていて、あの時の一つの選択が、今を構成している、と思うと不思議な気持ちになる。

過去の行動の、何か一つでもズレていたら、今という自分は存在しない。どんなに些細な事でも、今とは完璧に一致する事はない。その事は不思議で面白い。


先日、久しぶりに再会した人たちがいた。

懐かしい気持ちになった。

あの頃。

もうあの日々に戻る事は永遠にないんだろうと思うと、切なさと共に、過去がとてもキラキラしたものに感じられた。

会えばあの頃を思い出すけど、戻る事は永遠にできない。年齢も状況も心も全てが変わっていくから。


天才バンドの、"君が誰かの彼女になりくさっても"という歌のフレーズ。

"もう君の髪には 触れられないよ

夜中の電話もできないよ

今頃 どうしてるかな

優しい人に出会えたかな

君には君の 日々があり

僕には僕の 日々がある

君には君の 歌があり

僕には僕の 歌がある"


わたしはこの後半の歌詞がとても好き。

"君には君の日々があって、君には君の歌がある。"

別々の人生を歩んでる。別々の今を過ごしている。

時間というのは不思議だ。概念に過ぎないんだけれども。

過去と現在を繋ぐ一本の時間軸があって、それは人一人の中に必ず存在していて、でも自分の時間軸にもうあの人は登場しない。別の時間軸を持って、別の時間を過ごしていく。

時間軸の過去に戻ると出会う事ができるけど、それは記憶に過ぎなくて、これからリアルであの頃のあの人に出会う事は出来ない。あの頃と同じ日々を体験することは出来ない。その時の自分の感情や周りの状況など、すべてが完璧にそろってこそ成し得るものだから。今後、同じ人と同じ体験が出来ないというのは真理であって、不思議で面白くて、切ない。

これからまたリアルに出会える時が来ても、あの頃の自分たちではないのだから。

記憶っていうのは、もう今後体験する事ができない過去のおもちゃ箱みたいなもので、人は常に、今という一瞬一瞬を生きているんだと改めて感じる。

過去も未来も人が創った架空の概念に過ぎなくて、本当に存在するのは今という一瞬だけなんだ。


あの頃には戻れないけど、でも、また会えればそれでいいやと、笑顔で、あの頃は楽しかったよね〜と語り合って、それぞれの人生を歩んでいく。

私はそれがいいなと思った、それしかできないと思った。

自分のした選択は正しかったと思うし、自分の中の理性というのは自分のために役立ってくれた。理性がちゃんとあって良かった。

記憶のおもちゃ箱をたまにそっと開けよう。

これからまた会った時、笑顔で語り合えますように。新たな形として、新たな自分達として関わっていけますように。


センチメンタルな気持ちになった時は音楽を聴いてどっぷり浸りましょう、グッパイ。










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