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ほんとのこころ、ほんとのきもち

6月。梅雨。
雨が降ったり蒸し暑かったり、
ジメジメしてたりカラッとしてたり。

I like the sound of rain.
It's comfortable.


雨の音を聴きながら寝るのってすごく
きもちいいよね。
なんか心と身体に染み入ってくる感じ。
一定のリズムが心地よいのか

人間の心と身体ってふしぎ。。


理由が説明できないもの、理屈ではないものが
たくさん存在している。
調べれば全て理屈はあるのかもしれないけど
ハッキリさせない事が時には必要だったりもする。


Just because. 何となく。
何となく。が必要な時もある。


自分の気持ちを、自分の本心を優先すべき、という言葉がよく聞かれる。
だけど、自分の本当の気持ちって?と、
分からなくなる時って多い。

本当の気持ちを優先させる前に、
本当の気持ちがなんなのかが分からない。
心の真ん中にある正体が分からない。
そんな事って案外多いのではないだろーか。


気持ちや心は24時間常に動いていて、
その時々によって変わるものだし、
気持ちや心ほど曖昧なものなんてないのかもしれない。


好きだと思っても好きじゃなくなったり、
嫌いだと思っても嫌いじゃなくなったり、
不変なものもあれば、流動していくものもあったり。


自分の気持ちをあてにし過ぎない、
自分という人間に期待し過ぎない。

好奇心や胸のときめきは麻薬のようで、
わたしはその類のものがとても好きだけど、
それによって軽率な行動を取ってしまいがちなのも事実。
後から後悔する事だって多い。

バカだったなあ‥何やってんだ自分‥
みたいなね。


だからといって、常に意志的で、
常に理性的に生きられるかといったら、
私はそれは出来ない気がする。

感情と理性、感覚と意志。
人間は不完全に作られてて、いつだって
神様に試されてるような、実験されてる
ような、そんな気分に陥る。


ほんとのきもち、ほんとのこころ。


時間をかけて向き合った先に見つかるものもあれば、見つからないものもあるだろう。
答えが出なかったり、元々答えは存在しなかったり。考えているうちに必要なくなって手放したり。

誰でも子供のように真っ直ぐに単純に
生きられたら、すぐに見つかるかもしれないね。

でも大人になって、そう簡単にはいかなくなって、色んな社会の取り決めや制度に従ったり、自分以外の人間の事を考えないといけなかったり。置かれてる環境とかも含めて。


理性をフルで働かせて決めないといけなくて、でも自分の中の子供の自分が、本当は違う、本当はこうしたいって主張していたりもして。


人間は不完全だからこそいつだって葛藤してる。
人間という生き物自体が、身体の中に、心の中に、いくつもの矛盾を抱えて生きているから。
葛藤しないわけがないんだな。

だから、完璧でない自分の思考を、自分の気持ちを、自分の行動を、必要以上に責めたり悔いたりする事も、本当はしなくて良いのかもしれない。
不完全であるという事をもっと認めていくべきだ。

完璧になりたいと願っても、完璧になれない。美しくありたいと願っても、美しくなれない。
人に優しくしたいと願っても、優しくなれない事もある。

そんな自分という人間の矛盾や不完全さを、もっと認めていくべきだ。
認めた時に、楽になる。


もちろん努力や心がけや思いやりは必要で、
向上心を持って生きる事はとても大切。

ただ、不完全な自分を、心に棲む鬼を、悪魔を、汚い部分をも認めた上で、自分という人間を愛していけたら良いと思う。

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