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タイフェスティバルの展示のおかしさ

今月、代々木上原にてタイフェスティバルがあった。行った理由はタイ人インフルエンサーのミミさんに会うためであった。
会場へ行くも日本一来場者が多いいイベントである。このため電波が混線し連絡が途中からつけず会えなかった。

少数民族の展示

探しているととき少数民族関連の展示があった。しかし、博物館学からみた時、展示は必ず政治の反映があると知る。万博の主催国や大使館の展示には国の思想が国際社会に宣伝される。これはフランスの通産省が主催だったパリ万博の時からこの問題は変わっていない。人類の社会生活とは政治という面が常につく。だからといってパリ万博の人間動物園(生態資料、動物としての少数民族の展示)にルーツがある彼らの人権を踏みいじる展示活動はあってはならない。

まずおかしかったのはムスリムの来場者がいても、南部ムスリムの展示がない。次にいつも通り、少数民族=山岳民という展示ばかりである。クレット島の陶器があったが、1990年以降のカビが生える食器を売っていた。コラートのダンクイアン村という政府が先住民の地域として認めているモーンの村も彼らの財産ともいうべき土の染物はあったが、彼らの村であるとはパネルには書いていない。クレットもそうだがモーンの存在が消されていた。むしろほかのブースは山岳民族の福祉ばかりが宣伝され、政治問題を伴う不平等さを感じた。大使館の職員であるこの泥染の職員に話したが、問題を理解できず笑ってくる。断片的だったが、かくかくしかじかの問題があるとわかりやすく話し、相手は部分的にわかってくれたようだ。とくに国連の先住民宣言などにある彼らの地位向上と主体性の回復に向けた教育の規約を話した。笑われたのが嫌だったので、この先住民教育の規約を話した上で日本では(岡山理科大のある徳澤教授を除いて)私ひとりで主に活動しておりその規約に則り先住民教育向けの学芸員資格を取得しているのだと言い返してやった。相手は「すごいです」の一言を言った。

捨てる神あれば拾う神あり

Facebookでクレットの親方にこんなおかしい展示があったと伝えた。当然ながら掲示板では島民が煙たがっているようであった。展示品の陶器とはいえない土器だけシェアされた。
 まるで40年前の現代アイヌを伝える展示ができなかったことに対する当時の市民の認識と似ている。多くの市民にとって「厄介ごと」だと誤認識された。厄介ごとである問題を未来永劫に放置すれば民族同化されて解決できると認識され、多くのアイヌの人権を傷つけてきた。放置する人々にはアイヌもいた。いまもこの名残で様々な人々から片親が和人であるアイヌ文化伝承者や和人の先住民教育活動家に対する攻撃がある。
 案の定、親方のチャットには絵葉書が来た。そこには「金がなければ貧乏はない…仕事がない…」と彼らが困窮した挙句に人心荒んでいる状況を伺えるメッセージだった。「教育がなければ仕事もなく金もなく本当の幸福ではない。本当の幸福とはお金だけではない。私は文化伝承者だったオットーのような教育家になる」と私は言い返した。「👍(いいね)」の返事が来て丸く収まった。インスタに大使館の展示問題を投稿したところコロナ禍でタイ民主化問題を展示活動で抗議していた画家や日本語が話せるタイのモーンの友人から賞賛された。またタイフェスティバル会場のNHKブースにはタイ人アナウンサーがいた。アナウンサーのティダーラットノイスワン先生がいた。彼女はタイを含む東南アジア(とくにミャンマーとインドネシア)の近現代史で迫害、差別あるいは虐殺の対象となっていた華人系であり、私のタイ語のタイ人恩師である。ノイスワン先生に東京外大オープンアカデミーについて聞かれた。あるタイ人教師による華人に愛国心を持たせるためのサンスクリット語名の変更、日本人僧侶への差別は良いことだと遠巻きに教え込まさせる文面を読まされたことを話した。彼女は泣いた。ノイスワン先生はあるタイ語の教材でタイの民族の多様性を語るCDを録音したことがあり、華人やモーンにルーツがある人々を紹介した。泣くのはなおさらである。その上で、このタイフェスティバルも民主化問題のせいで「多様性」がないと伝え、彼女もおかしいという。

学芸員の見習いとしての責任

 ただし私はミャンマーのモーン団体のような極右ではない。次回以降に話すが戦後の網走に疎開した樺太先住民ウイルタ族の文化財を守った日本人学芸員も利益誘導による彼らの権利を踏みいじる問題に対して観光課、出版会社などに抗議して彼らの権利を守った。並びにウイルタ当事者の博物館館長も他のウイルタに反発を喰らっていた。私はあくまでも学芸員の見習いとしてやっただけである。博物館学芸員の仕事は常に市民やさまざまな利害関係がある。利害関係を解消するには合意形成である博物館のミッションの作成が重要である。つまり博物館なりの「公共の福祉」の答えを持っていなかればならない。私は公共の福祉のためにやっている。

博物館再経営には、さまざまな利害関係:ステークスホルダーがあり、この利害関係者の合意形成に基づき、賛同者から寄付金がかかせない。というのもICOM(国際博物館会議)により博物館はNPOのため「配当金」を出さない代わりに、寄付金と社会貢献の評価によって経営されると規定されている。今後、私はクラウドファンドをやっていくつもりである。今後もよろしくお願いします

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