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マスメディアの持続可能性について

朝日新聞の「マスメディア 持続可能性を探る」と題した特集記事(8月18日朝刊)についてあれこれ考えたことを、コンパクトに要約してここに録しておきたい。


メディアの最も重要な役割は権力者に緊張感を与えることだといわれているが、今日のスマホ・SNS社会において、市民一人ひとりがメディアと化しているので、新聞やテレビといったマスコミの役割は小さくなっている。そもそも、権力に歯止めをかけるのはジャーナリズムだけでなく、与党に競合する野党の存在がより重要である。新聞をはじめとするマスコミは、権力に対する市民の相対的無力を前提に、その代弁者として市民の信認を得てきたが、こうした前提や構図が維持できなくなったいま、メディアは各政党の機関紙として生き延びるのが合理的かもしれない。

みんながスマホをもちSNSを使いこなす時代、マスコミは「もっと新聞を読もう」ではなく「もっとSNSを通じて自身の発信力を高めよう」と呼びかけた方が誠実かもしれない。そして、権力を批判するのであれば、ジャーナリズムという中立性・第三者性に安住するのではなく、各政党の「代弁者」として積極的に機関紙化した方がよいかもしれない。政治と遠ざかるのではなく、むしろ近づいて、政党政治を活発にしていく。将来的には、政党に買い取られ吸収される展開にもなると。各社各党の言論が互いの牽制になって、多元的に権力を均衡させることが期待できる。

国民は十分に力をつけたから、もう国民に寄り添うジャーナリズムはいらない。国民が無力という前提で寄り添うと、結局、強者をより強くみせ、弱者をより弱くみせるアンバランスが最も居心地の良い居場所になってしまう。それよりも、自身の批判にさらに実効性をもたせ、また高いレベルで切磋琢磨するために、積極的に政党の機関紙になっていく。「第三者機関の発想」を卒業し、自身が利害と競争にまみれることを厭わないこと。そうして同じ土俵で戦うことで結果的にそのつど均衡が達成されるというビジョンを普通化すること。

現状こんな感じで、マスメディアの持続可能性を考えている。

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