スパイをやめた日【前編】
一匹のハムスターが
鴨川に向かってボソッと言った。
「こんな仕事やってられるかっ」
そうつぶやいて、GPS機能付きの社用首輪を鴨川に投げ捨てた。
これは、ロシア政府から日本に送り込まれた秘密兵器、ハムスターのスパイの物語である。
ハムタコスキーはGPSを首につけられ、日々監視されている。潜入中の企業から技術や情報を盗み取り、報告するだけの生活に嫌気がさしていた。
「ハムスターはよく回し車を回すから、
勘違いされるんだ。このまま組織の歯車になんかなるものか。そもそもハムスターが労働なんて最初からおかしな話なんだ」
そうブツブツと言っていると
一羽のカモから注意を受けた。
「ちょっと君、困るで。こんなもん川にほかしたらあかん。人間のエゴでつくられたもん投げ込まれたら溜まったもんやないねん。昔からな、鴨川に穢れを流すやつはおるけど、電子機器は環境に悪いやろ」
ゴテゴテの関西弁に圧倒された。ネイティブが話すと迫力がある。
(あぁ、いけない....わたくしとしたことが感情的になってしまった)
ハムスターは我に返った。
「すみませんねえ、つい。それ、もういらないんです。とにかく手放したい。壊すなり、埋めるなり、沈めるなりしてしまいたいんです。」
ハムスターはうつむき加減に申し訳なさそうに言った。
「ゴタゴタ言うてないで、そんなもん、琵琶湖に沈めてもうたらええやろ!」
気持ちの良い即答であった。
「そ、そりゃいい考え方ですなあ。是非、沈めてしまいましょう」
よくわからないが、このカモの言う通りにするしかないと思った。
「琵琶湖までの道わかるか?」
「ああ....この辺の土地勘ないんです....」
ハムタコスキーはまだ京都に来たばかりであった。
「急ぎか?ここからやったらな、疏水泳いでったほうが速いわ。泳げるか?」
「あいにく、水も泳ぎも苦手なもので....」
「しゃあないな、連れてったるわ。乗りいや。」
そう言ってカモは羽を広げた。
「こりゃあ、ご親切にどうも。」
鳥の上に乗るというのは初めてのことであった。12月半ばにもかかわらず、なかなかに暖かい。
さすが、羽毛布団になるだけあるんだなあとハムタコスキーは納得した。
ここは丸太町橋の真下。
少し南に下ると、琵琶湖疏水と繋がる場所がある。
冬晴れの昼下がり、ハムを乗せたカモは琵琶湖へと出発した。
中編へつづく🦆