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『北の玄武が逃げ出した』🦆🐈【第3話】漫画原作部門

調査を依頼していた協力者からメールが届いた。奴は一見普通の小さなクモだが、小型カメラと盗聴器を搭載した優秀なスパイ動物だ。

ハムーニャお待たせ。
秘書高嶺理子の自宅に潜入して情報を手に入れた。スパイ天国の日本にしてはセキュリティの頑丈な研究室だ。

まず最初に、研究室の入り口はアプリを使って解錠するタイプの鍵だ。これは秘書のスマートフォンをハッキングして解錠する。
次に監視カメラは2つだ。入り口と教授のデスクの斜め上にある。潜入時間が決まればそれに合わせてこちらでカメラをOFFにするよ。

肝心の教授のPCのパスワードと重要なファイルのパスワードも手に入れた。添付ファイルを確認してくれ。

秘書の勤務時間は10時-17時。
察時教授は朝が苦手だ。
侵入は深夜より早朝の方が良さそうだ。
報告は以上。何かあればいつでも連絡して。

幸運を祈る。

ワタクシは翌日、察時研究室に潜入することにした。

無事に鍵を開け、研究室に入るとタイミング良く司令から確認の連絡が入った。

「ハムーニャ応答せよ。」

「はい、こちらハムーニャ。」

「進捗を報告せよ。」

「ただいまターゲットの研究室に潜入。pcデータを移行予定でございます。」

「よろしい。完了次第データ送信を頼む。」

「リョハム!」

連絡が途絶えると、激しい耳鳴りがした。
そしてワタクシの頭の中に誰かの過去の映像が突然入ってきた。最近何だかおかしい。人の頭の中が急に見えるようになってしまった。

今見えているのは、先ほど連絡をしてきた司令官の過去のようだった。

スパイ国立養成学校の入学式の日の光景だ。

「入学おめでとう。君たちは1600億匹から選ばれた50匹だ。我が国の目標はただひとつ。我々どうぶつをぞんざいに扱う人間を滅ぼし、全人類を支配することだ。人間はけしからん生き物だ。必ずハムスターが権力を握る世界がやってくる。君たちが優秀なスパイとして国に貢献することを期待している。」

入学と同時に新入生の寮生活が始まった。4人部屋で眠っている自分の姿が見える。するとそこに司令官が入って来た。司令は元養成学校の指導官でもある。なんと、寝ている生徒の耳に司令が注射器で何かを注入しているではないか。何を入れているのかは、小さすぎて見えない。まさかあんなことをされていたとは気づかなかった。

その後司令は、PCの画面で誰かの脳波を見ている。右上に表示されているID番号はham862 。これはワタクシの当時の学籍番号だ。

自分の脳波が常に監視されているようだった。恐らく、寝ている間に耳の辺りから微細なチップが埋め込まれ、それが検知しているのだろう。他の生徒も同様だった。

"不都合な思考が検知されました。"

司令官が監視している画面にそんな通知が出た。学校生活に疑問を感じたり、人間に対して良い感情を持ったり、つまり、国の計画にとって都合の悪いことを生徒が頭で考えると、司令はわれわれの脳に電流を流し、思考を操作していた。


アンビエント国が脳をハッキングする技術を持っていることは知っていた。だが、国がこの技術を使おうとしているのは人間に対してのはずだ。自分にその技術が使われ、洗脳されていたとは....

これまでのワタクシの人生は自分の意思で成り立ってきたものではないのか。そう思うと途端に人生が無意味なものに感じられた。これまで忠実に国家のスパイとして生きてきたが、自分も所詮は国の都合の良いように開発されたハムスターなのか。

ショックで任務に集中できない。ワタクシは抜き取ったデータを送信せず、研究室を飛び出してしまった。

その後行くあてもなく京都の街を歩き、気づけば河原町商店街に行き着いた。人気ひとけのない 飲食店の裏口に行ってへなへなと萎れた。未来は空白だ。無計画で、一文無しで、宿もない。何よりも生きる気力を失っている。

人が近づく足音がワタクシの寄りかかるゴミ箱の前でピタリと止んだ。見上げると、見慣れた顔がのぞいている。アンビエント国の上司だった。

「逃げられると思ったか。お前の体にはGPSが埋め込まれている。」

上司の感情のない声に身震いした。

ワタクシは恐怖のあまり逃げ出した。
商店街のアーケードによじ登り、河原町通をひたすら北へ北へと逃げた。アーケードは河原町三条で終わりだ。ここで屋根から飛び降り、河原町通を右に曲がる。それから三条通を鴨川の方へ走った。鴨川が見えた時には、もうすぐ後ろまで上司が迫っている。

ここで逃げ切るには、三条大橋から川に飛び降りるしかなかった。右足首が酷く痛む。もう走るのは限界だった。政府の人間に連れ戻されるくらいなら、鴨川に身投げしたほうがマシだ。

意を決して川の流れに飛び込んだ。4月とは言え、水温は想像を超える冷たさである。そんな感覚も次第に失われ、鼻に口に喉に鴨川の水が流れ込み意識が遠のいた。

まだほんの薄っすらと意識が残っていたのだろうか、それとも死後の世界に行き着いたのだろうか。見分けがつかなかった。フワッとした温かみのある何かがワタクシの体を包んだ。

次の瞬間、息ができることに気づいた。

水中から出たのだ。

そのまま視線は垂直に上昇し空へと昇っていくのがわかる。あぁ、ついに死んだのだろうな。天へ昇っているのだろうか、人間があれほど憧れている天国という場所へ向かっているのだろうか。

目は半分も開かず、耳に水が詰まって周りの音はあまり聞こえない。しかし微かに誰かが自分に話しかける声がする。

「スピード出るで。しっかり掴まってや。首んとこ掴んでええから。」

左右には茶色い鳥の羽の中に紫色が美しく輝いているのが見える。カモのようだ。

「すみません、あの、その、ワタクシまだ生きてるんでしょうか」

「生きてんで。そんな簡単には死なれへんのや。」

カモは続けて聞いた。

「どないしたん、えらい追われてるやないか」

「えぇ、どんなに逃げても無駄なんです。いつも監視されているから...」


「酷いことする人間がおんねんな。」

「助けていただいたこと、感謝します。でも、このままだとあなたも危ない。今もきっと奴らに追跡されてます。」

「ははは。そんなら心配いらんで。ええとこ連れてったる。」

カモは自信げに言った。

その後、しばらくの間カモは沈黙した。

京都市の上空から見える景色は絶景だった。
京都中の桜が満開で、街全体が桜色に染まっている。左下には御所、右には大文字山、前方には下鴨神社が見えている。カモはどうやら鴨川の真上を北上しているようだ。鴨川が大きく二手に分かれる場所を過ぎると、方向を変え西へと向かった。そして何やらお寺の集まる場所が見えると、高度を下げ始めた。

しばらく沈黙を守っていたカモが口を開いた。

「着陸すんで」

カモは寺の中庭に降り立った。

日は沈みかけていて、庭のキリシタン燈篭の灯りがやさしく地面を照らしている。

庭から和室の中を眺める初老の男性が床の間に軸を掛けていた。

和尚おしょう様、来たで〜お客さんもおるわ」

カモは友達のように声をかけた。

和尚様はゆっくりとこちらを振り返り穏やかな笑みを浮かべている。

「あぁ、朱雀すざくか。珍しいなぁ、こんな時間に。寒そうやわ。上がってや。」

和尚様はワタクシの存在に気づいているようだが、驚きもせず迎え入れようとしてくれた。

庭から縁側にのぼると、朱雀と呼ばれるカモが奥にある和室へと案内してくれた。

「まだ体が乾いてへんなあ。火鉢の前座ったらええわ。」

火鉢にあたると、感じたことのないジンワリした暖かさに包まれた。

和室の中には正方形の穴があって、その中に赤く静かに燃える炭が重なっている。和尚様は何も言わずに、大きな茶釜を持ってきて、その炭の上に釜をかけた。

日本の寺院の中に入るのも、和尚様と呼ばれる人間を見るのも初めてだ。

「残り物やけどこんなもんでよかったらどうぞ。」

そう言って和尚様がワタクシと朱雀の前にお椀を置いた。

蓋を開けると柚子の香りがふんわりと香り、湯気が顔を覆う。何やら、美味しそうな里芋の揚げ出しに湯葉あんかけ。一口食べると体中の血液がどくどくと勢いよく流れ出した。生き返った気分だ。

茶釜の湯が、ジリ、ジリ、ジリと鳴り始めた。辺りはもう真っ暗で、真冬の静粛な茶室によく響く。

ワタクシは考えた。

この寺は不思議だ。ワタクシのようなならず者を快く受け入れ、もてなしてくれる。何か裏があるのではないか。それから人間が鳥と当たり前のように話しているのも不可解だ。そもそもワタクシが人間の言葉を話すことに何故この和尚さまとやらは疑問を持たない?自分の中の常識を逸脱した現象が起きている。

そんなことを考えていると、ジリジリと鳴っていた釜はジーーーと1つになった。和尚様は釜の蓋を開けて、茶碗にお湯を注ぎ、何やら緑色の粉末を湯でかき混ぜてワタクシに差し出した。

もしや、これが噂のマッチャというものか。きっとそうだ。ひとくち飲むとまろやかで口当たりの良い泡に驚いた。不思議なほどに甘くてやさしい。


しまった。気が緩んだのかいつの間にか眠ってしまったようだ。目が覚めると朝になっていた。ワタクシは4畳半の狭い茶室の布団の上にいる。何やら隣の部屋から会話が聞こえてきた。昨日助けてくれた鴨の声と、他に知らない声の主が2人いるようだ。

「なんやて?魔物が北から入った?」

「ほんとよ。アタチ、昨日鴨川疏水で見たんやから。」

「それ、あかんやつちゃうの?」

「玄武がおったらそんなん入ってこられへんやろ?」

「それがさ玄武のやつ最近見なくてさ」

「まさかあいつ、またおらんようになったんか?」


何やら深刻そうな雰囲気だった。

しかしいつまでもここにいるわけには行かない。お礼を言って早くここを出なければ上司に場所をつきとめられる。

ワタクシは勇気を出して隣の和室の襖を開けた。

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