「適応障害」と私…。

皆さん、こんにちは!

メンタルヘルスナビゲーターのK・HAMANOです!(^^♪

今日は、私が過去に罹患していた「適応障害」について詳しく述べていきたいと思います。

今回のコロナショックの影響で、急激な環境や生活様式の変化によって、過度のストレスを感じ「適応障害」と診断される方が数多く報告されています。

「適応障害」は、そのままの状態にしておくと「うつ病」に進行してしまう可能性が高く、早期治療によってストレスを緩和させるための治療に向けて、精神科・心療内科で「抗うつ剤」「抗不安薬「睡眠導入剤」」などの処方を受けて、「適応障害」が原因による心因反応によって、抑うつ・不眠・頭痛・めまい・吐き気・胃痛などの身体的な症状が出る前に早期治療をおこなうことが必要です。

今回は「適応障害」とは、どんな病気なのかを簡単に解説している動画をご紹介したいと思います。


このように、環境の変化により過度のストレスを蓄積していき、「うつ状態」を引き起こし、そのままにしておくと、重篤な「うつ病」に進行してしまう「精神疾患」のひとつです。

私の場合、幼少時からの発達障害(自閉スペクトラム症)が起因となっていて、父親の酒乱による暴力などの家庭環境の劣悪さや、学校で「いじめ」を受けていたことで過度のストレスにより、不安や不眠、焦燥感や倦怠感など、様々な心因反応の症状を呈していました。

そのため、小中学生の頃は「登校拒否」を繰り返すことが多くなり、学業成績も悪く、高校に進学できるかどうかも危ういほどでした。

その当時は、私はこれが「精神疾患」だなんて夢にも思わなかったので、これが「精神疾患」だなんて理解していない親からは「甘えている」「性根が足らない」と罵られ、それによって更にストレスを感じてしまうようになり、一時は「児童相談所」に連れていかれ「特殊学級」に入れられそうになったこともありました。

父親の酒乱による暴力や「いじめ」により、心的外傷ストレス症候群(PTSD)に罹っていたことが、後々になって分かりました。その時は、これが「精神疾患」だとは到底理解できず、「自分は他の子とは違うんだ。」「自分は性根がなっていないんだ。」など自責の念にかられ、自己嫌悪に陥り、更に症状は悪化し、チック症や自傷行為をしてしまうようになってしまいました。

父親の度重なる酒乱による暴力と、父親がヤクザから借金をしていて、家に取り立てにこられていて身の危険を感じた母親が、ようやく離婚を決意し、母子家庭として暮らすようになり、父親からの暴力を回避できたことによって環境の改善が図られたことで、何とか高校だけは行かないといけなと必死になり、中学三年生の時から、小学生レベルからの勉強に勤しむように徹夜で勉強し、ギリギリ、偏差値の低い公立高校に進学することができました。

高校に進学してからも「適応障害」が原因と思われる心的外傷後ストレス症候群(PTSD)による心因反応で人間不信に陥っており、クラスに心許せる友人は一人もいませんでした。

しかし、小中学校の時ほど惨い「いじめ」に遭うことはなく、それに比べたら、せいぜい同級生から無視されたり、陰口を叩かれる程度だったので、孤独ではありましたが登校拒否はしませんでした。

プロフィールにも書いていますが、高校二年の時に、離婚していた母親が三人妹弟の子供を養うために必死に働いていたのを目にして、「自分が家族を守っていかなければならない」という決意に目覚め、公務員になる決断をし、普通科がない学校の授業そっちのけで公務員模擬試験を受け続け、部活も休み、寝食を忘れて必死に勉強しました。

そして、念願の公務員(刑務官)に内定が決まりました。ついでに、学校での成績は高校三年の時には学年で首位に立ちました。「精神疾患」ではありましたが「知的障害」ではなかったんですね。

公務員になってからの経緯はプロフィールに書かれている通りですので省きますが、発達障害(自閉スペクトラム症)と「適応障害」は、障害として治っていなかったので、職場での人間関係や業務でのストレスなどによって、職場環境に適応できず、職を転々と繰り返す人生が始まりました。

職種自体は6回転職をしていますが、職場は21回も変わっています。なので、履歴書には書ききれないので、再就職するときは、職歴はかなり端折って書いていました。

一番最悪の時は、過労で重度の「うつ病」(大うつ病)を発症してしまい、精神科で処方された薬を用法用量を守らず服用し、重複受診を繰り返し、多量の精神安定剤を入手し「薬物依存症」に陥っていました。

この時は「適応障害」や「うつ病」の症状以上に、「薬物依存症」のせいで、まともな判断や身のまわりのことが自分で出来なくなっていたのと、薬の離脱症状で酷い精神的苦痛を伴っていたので、とうとう観念して、自ら精神病院に入院しました。

三ケ月間の閉鎖病棟での入院生活を経て、退院してからも薬物に対する渇望感は完全には払拭してたわけではありませんでした。

ちょっとストレスを感じると薬の欲しさで葛藤を繰り返し、一度や二度スリップをしたりしましたが、通院治療で徐々に減薬していって、依存症患者の自助グループに参加したり、自己啓発の学びを深めたり、体力作りに励んだり、気導術や心理カウンセリング、ヒプノセラピー(催眠療法)を受けたりして、積極的に「薬物依存症」から克服するための努力をし、一年半かかって、ようやく完全に断薬することができました。

一般的に「依存症」は「回復」はするが「完治」はしないと言われています。なので油断していると、いつまた渇望感との葛藤に苛まれるやもしれないと思うと、常にストレスから回避する環境づくりと、対処法を身につけておかなければならないので、極論での判断ではありましたが、自らが「癒される立場」ではなく「癒す立場」になって、クライアント様と常に接する環境に身を置くことで、クライアント様を過去の自分の写し鏡として捉え「癒す側」に専念することで、心に隙を与えないように心掛けました。

今でも、多分「適応障害」自体は、西洋医学的には完治したわけではないと思いますが、セラピストとしての経験や「ホリスティック医学」の知識と実践を積み重ねることによって症状を克服して、西洋医学的に言えば「寛解」の状態に落ち着いています。

なので、薬に対しての渇望感もなくなり、ストレス耐性(レジリエンス)の強化も功を呈して「精神疾患」の苦悩からは解放されました。

結びに、未だ「適応障害」などの様々な「精神疾患」に苦しみ続けている方に伝えたいのは、これは決して「あなたのせい」ではないということです。自分の「甘え」でもなければ「性根がない」訳でもなく「社会不適応」のものでもありません。

「病気」や「障害」を単に否定的に捉えるのではなく、むしろその深い意味に気づき、生と死のプロセスの中でより深い充足感のある「自己実現」をたえずめざしていくことによって、克服できることは十分可能なのです。

本来の「自分らしさ」を諦めることなく追及し、自分を許し、他人を許すことによって、あなたの「霊性」が高まり、精神を司る「霊性」の向上に努力することによって「精神疾患」は自ずと克服することができるのです。

西洋医学的に言わせれば「脳の器質的障害や機能的障害」による不治の病として考えられています。「霊性」の概念は西洋医学では、まだ認められていませんが、「ホリスティック医学」の概念では、これは明確に定義されているのです。

その証拠に、この「ホリスティック医学」の定義に基づいて見識を深め、それを実践することによって、不治の病とされていた病気が治った実例は数多く存在します。

あなたは、どんな状況にあろうとも、あなたが思い描く理想の自分になることができるのです。

「大いなる存在」は、その人に克服不可能な試練は与えないと言われています。

克服する決め手は「決断」と「治ると思い込む」ことと「あきらめないこと」に尽きます。

過去の延長線上に今日がある必要はありません。今日の延長線上に明日がある必要もありません。大事なのは、精一杯「今を生きる」ということだと考えます。

「過去」のことは、もういい…。

「今」の積み重ねが、自分の未来を築くのです。

どうか、あなたの未来に幸が訪れることを願ってやみません。

最後までご高覧ありがとうございました。

                メンタルヘルスナビゲーター

                          K・HAMANO

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