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なぜ、なぜ、なぜと自問自答してみる

「どうしたんだい、今日は一体!?」

「うーん。なんでもないというと嘘になるよね。」

「そりゃあそうさ。」

「それがさ、、、最近読んだメルマガに、”なぜ”って言葉が書いてあって。その二文字が、妙に気になってさ。」

「なぜ?」

「なぜって。気になったものは、気になったのさ。」

「もっと具体的に言ってくれないと、わからないじゃないか。」

「いや、それがさ、なぜって自問自答したら自分のことをもう少しわかるかなって思ってさ。最近さ、なんだか安易な答えをつかもうとしてしまっている自分がいるなって気づいたんだよね。そういうものしか扱っていないっていうかさ。考えることを途中でやめちゃっているというか。どこかセーブしているというかさ。」

「なぜなんだい?」

「うーん。。。。そこなんだよね。。。。」

「言葉にしてみないとわからないじゃないか。」

「考えるということから距離を置いているような、どこか”答えはない問い”というものを自分で持つということをここしばらくやってないのではないかとふと思ってね。考え続けるということに息切れしてしまったと言うか、そういうことにエネルギーをかける前に、その手前でこれ以上進むと大変になってしまう、苦しくなるということを感じ取って、息切れする手前で、その先に行くことを止めてしまっているそんな感じかな。楽な場所を見つけてしまって、そこにすきあらば行く、いや留まっているそんな感じかな。」

「ずいぶんとお気楽なもんだね。それで楽しいの?」

「楽しいわけないよ。できて当たり前のことをただやっているだけで、挑戦とか、ちょっと無理かもと思うことには手をつけていないのだからね。」

「そういう認識はあるんだね。じゃあ、どうしたいのさ。」

「うーん、今の状況は変えていきたいと思っている。いや、すでに今の状況の中で、動き出した感じはあるんだよね。渦中にいたときには、こんな風にには言葉にすることはしていなかった。できなかったんだ。ちょっと前までは、火達磨の如く、身軽に段階的にはしようと試みてあがきもがいてはいたものの、どれもごてごてに回っていたような感じなんだ。」

「なぜそんな感じになっていたの?」

「うーん、やることが絶対的に多すぎて、余裕がないってことだと思う。そういう言い訳を自分にして、できないという状況もしかたがいないんだと、どこかで言い聞かせていたんだと思う。そういうささやきが心地よく魅力的に感じて、自分の弱さがそっちの方向を選び取ってしまっていたんだよね。エネルギーを注ぐことができないから、そういう状況がいいと思っているわけではないのに、だけどそういう状況にいることでどこかほっとしているというか、苦しくないところで呼吸をしていたんだ。だって、自分はいろいろあって大変なんだ、忙しいんだって、そんな状況では、そこまで気が回らないと言うか、余計なことは考えたくないと、安易な方向に思考が行くそういうくせがいつの間には常態化していたような気がするんだよね。」

「やることを減ってきたんでしょ?」

「それは、この数年取り組んできて、かなり減ったと思う。相当スリム化はしてきていると思うんだよね。予定表も、ずいぶんを白紙の日も増えているしね。」

「ふーん。で、今もまだ余裕はないの?」

「いや、今は結構考えるという時間も持つことができている。移動するということが減っているから、その分だけでもかなり精神的にも余裕ができているね。それと、時間に追われていないということも大きいかな。分単位というか、細切れの時間の中で、とりあえずこなしていくという感じになっていたからね。」

「君って、仕事していたんだね。知らなかったよ。」

「そういえば言ってなかったか。朝から夕方まで、平日はあるんだよね。土日も仕事意外で、何かしらの予定が入っていて、そのために駅まで行って、電車に乗って移動して、そこで話したり一緒に食べたり、遊んだりするわけだよ。だけど、今はそういう予定もほとんどなくなっていて、あってもオンラインという状態になっているよ。」

「細切れの時間ではなく、あまり時間を気にすることなく、生活ができているということなのかな。」

「うん、そうなんだ。そのことはかなりでかいと思う。同じような境遇だと、同じようなことを感じているんじゃないかな。」

「そうだろうね。」

「考えるということをするためには、時間もエネルギーも必要だけど、そのどちらかが欠けてもダメだと思うんだよね。目の前のことに追われてしまって、時間が細切れで十分なエネルギーを避けなかったり、かけられるだけのエネルギーがなかったりしてさ。そうなってしまうと、気持ちはあっても、動けないという状況に陥ってしまうんだよね。」

「なるほどね。それはなかなかしんどいね。」

「だけど、寝る時間を削ってまでやるという気合いは持ち合わせてなくて、結局気になっているけど、やらないという状態のままに時間だけがすぎて行ってしまう。そんな日々をここしばらくはすごしていたんじゃないかなと思う。だけど、この数ヶ月の状況の変化の中で、自分にとっては今の自分を見つめる、自分自身と向き合ういい機会を、そういう時間を持つことができる環境に今あるんだよね。このことはとてもラッキーだね。もしこうした状況になっていなかったら、とにかく動くしかないという状況の中で、でも止まることはできずに、ただひたすらに目の前のことに対応したり、対処したり、すべてはこなしていくという感じになってしまっていたんじゃないかなと思う。考えるだけで、ゾッとするね。必要な時間をしっかりとかけて、質を高めていくこと。自分が納得のいくところまでは持っていくということを、意識的にやればできるということが今はできているのは、自分自身がやっていることに対して、自信を積み上げていくということにおいては不可欠なことだなと実感しているんだよね。」

「それはなぜなの?」

「ううーん、ここしばらくはやることなすことどれも中途半端で、そのことが場にも出ていて、いろいろと空中分解しているような状況や状態が目に見えてあったんだよね。だけど、そのことに対処するだけで、そのことを変えるということまではできていなかった。どこから手をつけたらいいかも見えていなかった。だから、どんどん自信を失ってしまっていたんだよね。負のスパイラルで、自分じゃない方がとか、他の人を頼ってしまったり、自分でやるということから逃げていた。自信がないから、やってもうまくいかなくて、失敗をしたくないと思うと、余計動きが鈍くなってさ。」

「そっか、それはなかなかしんどいね。」

「そうなんだよね。だけど、そういうしんどいという状況をも引き受けて、そこを乗り越えていかないとたくましく自分自身で自信を掴んでいくということにはならない。そこは楽して手に入るってものではないんだよね。当たり前のことなんどさ。一度深みにハマってしまうと、そういう当たり前のことが当たり前に見えたくなってしまう。当たり前を当たり前にやるって、なかなか難しいというか、日々の努力をちゃんとしていて、そのたまものなんだよなって改めて思っているよ。」

「そっか、当たり前を当たり前にか。」

「うん。手を抜いたり、サボっているということで、そのときその瞬間は楽ができるかもしれないけど、いずれはつけが回ってくる。そうすると、もう黙って目の前のことをやっていくしかない。」

「もう痛いほど実感したようだね。」

「うん、目が冷めたよ。かなりたるんでいたと言うか、存在として腐っていたね。でも、そのことからは脱したし、もっと自分を表現していかないとなと思う。思ったことは、勇気をもって伝えたり、かたちにしていくということをもっとやっていったほうがいいなってさ。確証はなくても、いいなと思う方向に進んでみることを、もっと試していこうと思っているよ。こうして君と話すことで、言葉にするということを自分に課すことを通しても、自分自身を確認することにもあるし、試されているなと言う感じがしているよ。とにかく思いついたことはやってみることにするよ。」

「なぜ」

「なぜはもういいよ。なぜって、今はもうこのくらいにしておいてくれよ。また、話すからさ。」

「うん、わかったよ。ちょっと楽しくなっちゃって、ついつい調子に乗ってしまったよ。」

「じゃあまた。」

「うん。ご機嫌よう。明日は気持ちのいい天気になるといいね。」


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