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なぜねこまんまだけ責められる?

お米に味噌汁をかけて食べるねこまんま。「ねこまんまはお行儀悪いからやめなさい」と言われ育った私は、自身が母になり「ねこまんまはお行儀悪いからやめなさい」と何の疑いもなく子供に言っていた。しかし、ある時長男がこんなことを言ったのである。

「ねこまんまって何でお行儀悪いの?お茶漬けはいいのに」

確かに……

♪雑炊だっておじやだってユッケジャンだって、みんなみんな、汁かけるんだ、友達なんだー

と歌い出してしまうような衝撃。いや、真理。

そうだよ、長男、その通りだよ。世界には米に汁かける料理がたくさんあるのに、どうして白米と味噌汁という、誰もが認めるジャパニーズソウルフードを混ぜると、非国民のごとく非難されるのか。むしろ日本人の魂丼として羽田空港のSKYSHOPに常設しておくべき組み合わせではないか。

しかし「皆さんそうされてますよ」で何の疑いもなく従うのが日本人の習性。昔からの何となく伝わる「ねこまんまはお行儀悪い」という半公式のマナー。少なくとも私の中では、そう言われたからそうだったのだ。

お米を汚すな

私が何も疑いもなくねこまんまはお行儀悪いからやめなさいと言っていた背景に、私自身、ねこまんまが苦手だということがある。

ねこまんまに限らず、お米に何かをかける料理が苦手だ。

カレーも牛丼も、今でこそ美味しく食べられるが、20歳になるまでは一切受け付けられなかった。カレーはランプの魔人が出てきそうなカレー皿にのっていないと食べられないし、牛丼屋では牛皿しか食べられなかった。

とにかく白米が汚れるのが嫌でたまらないのだ。

だからねこまんまがお行儀悪いという、ソースは2ちゃん的な事柄も心にすっと入ってきたのは確かだ。

そのままの米が好き

「そのままの米が好き 米は白くてうまいよ ああ君には そうごはんが やっぱり似合ってる」(SMAPのオリジナルスマイルでどうぞ)

うまいこと言えてないけど。

しかし、世の中には、私のような「何もしていないナチュラルな米が好き」という白米信仰の人間が一定数いるような気がする。

逆に私の夫はご飯に梅干しだったり納豆だったり、何かをつけないと食べられない。「おかずが無くなったからもうごはん食べられない」というので、その理由を聞いて愕然とした(妻としてではなく白米至上主義者として)

「だってお米って味しないじゃん」

私が屈強な百姓だったら、ちゃぶ台ひっくり返して「表へ出ろー!!」と家庭内暴力の事案発生するところだった。一介の主婦なので、「えー甘いじゃん!うまいじゃん!米だけで米食えるわ!」と思うにとどまった。

味覚は人それぞれ

全てはそれに尽きる。

私がおいしいと思うものを他の人がおいしいと思うとは限らない。

逆に他の人がおいしいと思うものを私がおいしいと思うとは限らない。

でも誰かが一生懸命作ってくれた食べ物を平気でまずいと批判家気取りでグルメサイトで書いてしまう小生たちは苦手だ。お前の舌はセンターオブユニバースかと。味覚はみんな違って当たり前という事実に気付かず、天上天下唯我独尊に振る舞うグルメ家たちが、休日のアイシングクッキー作りで生地もアイシングも塩と砂糖を間違えますように、と願うほどには苦手だ。

しかし夫は別に米がまずいからおかずが必要と言っているわけではない。決して米の味を感じられない舌音痴というわけでもない。むしろお米に味がない、というのは表現としては拙いが、主食として絶対的スタンダードなのだということの裏返しだ。

私の味覚では、米は甘い、うまい、だからそれを味わいたいから何もつけたくない、という結論に至る。

なので、私は夫の味がない(米があまりに標準化されているからこその表現だと思う)という意見を尊重するし、夫も私の白米至上主義を尊重してくれる。

お互いを尊重する。味覚だって個性。

だから、私は「ねこまんまはお行儀悪いからやめなさい」と子供たちに言うのをやめた。なぜなら、我が家の子供たちはねこまんまが大好きだからだ。好きなものをおいしく食べる。それに勝る幸せがあるだろうか。勝るものは他にもあるだろうけど、人生において上位の幸せであることは確かだ。

それでも、ねこまんまをする時に一つだけルールがある。

米を飲まない、まずは半分咀嚼して食べてから

一口目からねこまんまを許すと、あっという間にご飯を平らげてしまう。夫婦と7歳・4歳の4人家族で月20kg消費は食べすぎだ。彼らは食べているのではない、飲んでいるのだ。ねこまんまにした途端飲み物に変化するのだ。咀嚼が足りないから満腹中枢も刺激されず、1日6食求められ、おなか空いたらまずは水を飲みなさい……と母が白目になる辛い状態に陥る。

なので我が家では、とりあえず半分はしっかりよく噛んで食べよう。それが出来たら味噌汁をかけてオッケーと言っている。そう言うとそれはそれは嬉しそうに「やったー!」と叫び、ごはんに味噌汁をかけておいしいおいしいと食べている。そうだよ、それだよね。ごはんはおいしいよね。

周りに不快感を与えない

食事のマナー、何が大事かと言うと、人に不快感を与えないということだと私は思う。出されたものはきれいに食べる、くちゃくちゃ食べない、生産者を含む作ってくれた人と食べ物に感謝する。

そう言う点では、もしかするとねこまんまは不快感を感じる人が多いのかもしれない。だからこそお茶漬けはいいのにねこまんまはなぜ悪いのか論争になるのだ。(今回そこを掘り下げなかったのは、同じ論点のブログが数多あるため)

だから現時点で我が家的には、ねこまんまはおうちだけでやっていい特別な食べ方ということにしている。

だからおうちごはんはおいしいよね。

とこのnoteのテーマバッチリにしめられてめでたし。

なぜねこまんまだけ責められるのか?

→責められるべきはねこまんまではなく犬食い。

では!


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