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三日間の箱庭(18)喜屋武尚巴(1)

前話までのあらすじ
 パワハラに悩み、ビルから飛び降りる女性がいる。三日間の繰り返しの中、その最初の5秒で必ず命を落とす女性。
 時間が戻っていると確信した彼女、久高麻理子は試行錯誤の末、自分の会社の窓から見える先輩の姿を見た。
 優しい言葉を掛けてくれた先輩の姿に、ひと言謝りたいと願う麻理子。

 喜屋武尚巴は、そんな彼女の良き先輩だった。

 麻理子と尚巴の物語、開始。


喜屋武尚巴きゃんしょうは(1)

「あれ?久高チーフは?」
「あ、いませんね、いつからかな?ちょっと分かりません」
 チームのひとりに声を掛けたが、久高の行き先は分からなかった。
「そうか、まぁ、そのうち戻ってくるか!さぁもうちょい頑張ろう!」
 そうは言ってみたものの、チーフがどこに行ったのか気に掛かる。

 俺は深くため息をついた。

 昨日から続く作業。武田課長に押し付けられた、ほとんど不可能な企画書の作成。朝までに仕上がるかどうか分からないが、ともかく全力でやるしかなかった。でなければ、また久高チーフが怒鳴られる。みんなの前でこれ見よがしに、ねちねちと、終わったかと思えばまた何かを穿り出して、延々と叱る、怒鳴る。

 久高は俺にとって自慢の後輩なんだ。同じ沖縄出身だし、俺が地元の大学を出てこの会社に就職できたのはラッキーだったが、あいつは東大卒。優秀だし、今は同じ主任だが、あいつは間違いなく出世するだろう。
 それに、あいつは空手をやってる。あいつには言ってないが、俺も琉球空手の有段者だ。どこか通じるものがある。

 本当に自慢の後輩なんだよ。

 それをあの武田の野郎、久高ばっかり目の敵にしやがる。チームもその煽りを食ってるが、それでも俺らの怒りの矛先は武田だ。
 それにしても武田め、他のチームは昨日のうちに帰ったのに、あいつだけ残ってやがる。もちろん仕事なんてしてない。椅子にふんぞり返って寝てるだけだ。朝一番に俺らを、いや、久高を虐めたいだけなんだろう。
「くそ、必ず見返してやる、うちのチームの優秀さを、久高の能力の高さを、あいつに認めさせるんだ」
 いびきをかいている武田を横目で見ながら小さな声で呟いた瞬間、窓の外を何かが通り過ぎた。

 そして数時間後、俺たちは屋上から女性が飛び降りたことを知った。

 久高チーフは、帰ってこなかった。

 5月28日、午前3時過ぎ。久高麻理子は自殺した。
 俺たちの誰も、久高の通夜や葬儀に出席できなかった。いや、久高の親族が会社関係者の出席を拒んだんだ。殺人的な勤務状況やパワハラの噂を知った親族にとって、それは当然のことだったろう。
 もちろん、社内でも武田のパワハラは問題視された。人事部の監査はもちろん、警察の事情聴取まで入ったものの、俺たちが武田の処分を知ることはなかった。
 それどころか武田に対する調査も、何もかも問題視されなくなった。

 時間が戻るからだ。

 なんてことだろう。俺たちはあれ以来3日毎に、久高が落ちていくのを見なければならない。いや、時間が戻った瞬間チームの全員が下を向くから、見ることはないのだが。
 今日も窓の外を久高が落ちていく。
 あぁ、なんてことだろう。

 悪夢かよ。

 だが、何度繰り返したか分からないその日、いつものように下を向いた俺は、ちらりと窓に目をやってしまった。そして気が付いた。
 時間が戻った瞬間から数秒後、目の端に白いものがふたつ見えたんだ。

「今のは、手のひら?」

 しかしそれを確かめるために、俺はまた、“次の瞬間”を待たなければならなかった。
 そして3日後のその瞬間、俺は顔をしっかりと窓に向け、目を見開いた
 そこに見えたのは、俺に向かって両手を突き出した久高麻理子だった。
 久高の目は、はっきりと俺を見ていた。
 俺の目は、久高の唇が動くのを捉えた。

「たすけて」

 久高はそう言っているように見えた。
 久高麻理子は頭から落ちたはずだ。それが足から落ちている。それに、窓に向かって手を伸ばしている。
 そうか、久高は何回も何回も落ちながら、助かる術を探して、実行していたんだ。
 そして俺に、助けを求めている。
「そうか、そうだったのか」
 俺の心に、可愛い後輩の心に初めて触れたという思いが芽生えた。

「必ず助ける」

 俺は決心した。


 次に時間が戻った瞬間、俺はひとりで動いた。
 すばやく窓に駆け寄り、正拳を窓ガラスに打ち込んだ。
「どぅえいっ!!!」
 裂ぱくの気合を込めた正拳のはずだったが、ビルのガラスは思ったより強かった。
「硬い!割れんっ!!」
 瞬間、落ちていく久高麻理子と目が合った。久高の目は、嬉しそうに笑っていた。
「喜屋武さん!どうしたんですか!」
「なにやってるんです!」
「チーフが!久高チーフっ!!」
 久高チームのメンバーたちが口々に叫ぶ。
「久高っ!くそっ、くそっ!!」
 咆哮がフロアにこだました。メンバーの叫びをかき消すほどに。
 そしてこの3日間にやるべきこと、俺たち久高チームのプロジェクトは決まった。
①窓ガラスをどう打ち破るか?
②屋上から落ちて来る久高麻理子をどうやって受け止めるか?
である。


「このビルの窓ガラスは強化ガラスなのか?」
 俺は誰ともなく聞いた。
「いえ、違うようです。ただ、普通のガラスよりは強い、倍強度ってやつみたいです」
 佐久間真一さくましんいちが応える。
「倍?強度が倍か、俺の正拳じゃダメだった。でも、強化ガラスってわけじゃないんだな?」
「そうですね、強化ガラスだと相当な強さですよ、車のフロントガラスみたいなもんで」
「なるほど、フロントガラスよりは弱い、か。じゃ道具を使えば割れるな!」
「でも喜屋武さん、あの瞬間に使える道具なんて、ないでしょ?」
 伊藤彩いとうあやが割って入った。
「そうだよね、ドライバーだのなんだの、準備できればいいのにね」
 佐久間も伊藤に同意する。
「いや佐久間、ドライバーとかそんな小さな道具じゃガラスに穴が開くだけだろ?窓全体を割らなきゃ駄目なんだよ」
 穴だけでは久高を助けられない。俺はそう考えていた。
「そうか、じゃ、椅子ですか?」
「佐久間分かってるじゃないか、椅子をぶん投げるぞ」
「いや喜屋武さん、離れたところから椅子を投げたってガラスは割れませんよ。すぐそばで叩きつける勢いでぶん投げなきゃ」
 佐久間の言うことももっともだが、それでも倍強度ガラスを破るのは容易ではないはず。しかし佐久間はなぜか自信ありげだ。
「うん、そうだな、確かにそうだが、佐久間、自信あるのか?」
「ん~、100%かって言われるとちょっと、でも俺、高校大学とラグビー部だったんすよ、まぁその辺はちょっと自信あり、って事で」
 意外だった。細身に見える佐久間が元ラガーマンか。
「おぉ!じゃ、おまえがまず全速力で窓に走ってそこの椅子を掴んで窓ガラスに叩き付ける。失敗できないからな、窓ガラスを完全に破壊する勢いでやるんだぞ」
「はいっ!任せてください!完全にぶっ壊してやりますよ、こんなガラス!!」
 佐久間がいつになく頼もしい。そこに伊藤が割って入る。
「え~、でもそんなことしたら、ガラスは割れても下の人が危ないんじゃ、それに椅子も落ちるんでしょ?」
 それももっともだ、だが心配はない。
「伊藤~、あんな時間にそうそう人なんかいないよ。しかもだ、あの瞬間に人が落ちてくるってみんな知ってるから、近くにいてもすぐ逃げてるよ」
「あ、そうですね。あっ!でもでも、椅子がチーフにぶつかっちゃったら?」
「それはあるかも、どうですか?喜屋武さん」
 伊藤の発言にまた佐久間が同意する。
「うん、俺が窓に走って正拳を入れたとき、まだ久高は来てなかった。割れなかった瞬間目が合ったんだよ、だから間違いない」
「ていうことは今の計画なら、久高チーフが通り過ぎるのは窓ガラスが割れた直後、ってことになりますね」
「あぁ、そうなるな。勝負はおそらく3秒以内、か?」
 久高を救う計画は着々と進んでいるように思えたが、そこにひとりが口を挟んだ。
「だから椅子を叩き付けるだかぶん投げるだか、と?」
 それまで話を聞いているだけだった新田理央にったりおだった。
「そう、誰かが椅子をぶん投げる。じゃないと間に合わないんだよ。そして割れた瞬間、俺が」
「喜屋武さんが素手でチーフを掴む、と?」
 また新田だ。
「おいおい新田、いちいちなんだ?この案はダメか?」
 どこか引っかかる物言いの新田に、俺は少し苛立ちを覚えながら聞いた。
「いえそうじゃなくて、その計画ではちょっと足りないかな?と。私、こんなの持ってるんですけど」
 そう言う新田が机の下から取り出した物を見て、全員の目が点になった。
「それ、え?玉網?」
 玉網と言ったのは俺だったが、新田はそれを否定するように、ぶんぶんと首を横に振った。
「釣りに使う玉網じゃないのか?」
「喜屋武さん違いますよ。これはランディングネットです。東京湾のシーバスで使うんですけど、メーター級も来るからこんなに大きいんですよ」
「それを玉網っていうんだろ!ん~、まあいい、で?お前はなんで会社にそんなもん持ってきてるんだ?」
「あ、私、ショアとかオフショアのシーバスゲームが好きで、会社の帰りにちょっとベイショアとか、オフショアでストラクチャ周りとかの船に乗ったりするんですよ。もっとも最近は全然行けてなくて、とってもストレスですけど」
「いや、その難しい釣り用語は置いといて、なんで会社に持ってきてるんだ?って聞いてるの」
「駄目でしたか?」
「いや!駄目じゃないんだけど!!」
「ロッドもリールも、ルアーもありますよ?リールはステラです。8万円です。見ます?」
「あ~!もういいや!!」

 作戦は決まった。時間が戻った瞬間、まず佐久間が窓に走り、手近の椅子を渾身の力で叩き付け、ガラスを破壊する。
 佐久間と同時に、俺と新田が窓に走る。新田はもちろんネットを持って、そして俺が窓際でネットを受け取り、外に差し出す。
 新田と伊藤は俺が久高と一緒に落ちないように、後ろから俺を引っ張る。
 佐久間は俺の横について、ネットに引っ掛かった久高を一緒に引っ張り上げる。

 完璧だ。

 次に時間が戻ったとき、久高も戻ってくる。そんときは、そうだな。
 まず武田を殴ろう。


つづく。


予告
 久高麻理子のチームメンバー、喜屋武尚巴を始めとする4名は、時間が戻ってわずか5秒で屋上から落ちてくる麻理子を助けるというプロジェクトを実行する。果たしてそれは上手くいくのか?そしてその成功は、運命は変えられるという希望を人々に与えるものだった。

 運命が大きく動く、たった1日の物語。

おことわり
 本作はSF小説「三日間の箱庭」の連載版です。
 本編は完結していますから、ご興味のある方は以下のリンクからどうぞ。
 字数約14万字、単行本1冊分です。

SF小説 三日間の箱庭

*本作はフィクションです。作中の国、団体、人物など全て実在のものではありません。

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