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三日間の箱庭(24)藤間綾子(1)

前話までのあらすじ
■ただの中学三年生、黒主来斗は、自身が巻き込まれた死のループを脱し、それから始まった世界核大戦という巨大な死のループも断ち切ってみせた。
 メディアを味方に付け、世界に自身のメッセージを発信し続ける来斗は、図らずも、クロスライト、あるいはライトクロスの名で、世界の神となっていった。来斗が望むものではなかったが。
 そしてクロスライトを狂信的に支持する組織、CLMは、来斗の教えを忠実に実行すべく、世界で活動していた。

■死のループに囚われていた久高麻理子は、同僚であり先輩の喜屋武尚巴らに助けられ、尚巴と結婚することになる。
 それを心から喜ぶ家族、友人たち。その中に、理論物理学者、浜比嘉青雲がいた。
 幸せを掴んだ尚巴と麻理子に、青雲は「ある研究によって、三日間のループを破る」可能性を教える。ループが終わるかもしれないのだから、必ず麻理子を助けてくれ、とも。
 それは、国家機密事項だった。

 世界有数の理論物理学者集団、BSC。
 そこで天才を発揮する、もうひとりのキーマン。

 起承転結の転。
 藤間綾子編、開始。

藤間綾子とうまあやこ(1)
 5月28日、午前7時、藤間綾子のマンション。

「今日は学会だったわ」
 藤間はいつもより少し早くベッドを降り、その代わり、いつもよりゆっくりと朝食を摂っていた。

 そうだ、5月28日、この日は学会だったんだ。

 この日まで、宇宙論、相対性理論、量子論など世界中の理論物理学者は、急激に発達する観測技術がもたらした観測結果と自身が考案した新理論を検証し、更に発展させてきた。

 時間と空間の関係を宇宙の暗闇から引きずり出したのは、天才アルバート・アインシュタインだ。その理論は、宇宙のすべてを美しく記述するものと思われた。しかし、同時期に提唱された量子論は相対性理論に対し、ミクロの世界の難問を突き付ける。
 相対性理論では超ミクロの世界で物理法則が破綻することを説明できない。それはすなわち、相対性理論ではこの宇宙の成り立ちを説明できない、ということなのだ。
 だからもう何十年も、理論物理学者はこの二つを統合し、この宇宙をミクロの成り立ちからマクロの最後まで完全に記述できる理論の解明に取り組んでいる。

 でも、もういいの。

 最初の5月28日、あの日の学会はつまらなかった。日本国内の学会だったし、顕著な発見はもちろん、斬新なアイディアも提唱されない。でも、そんなことはもういいのよ。

 どうせ今日も、あの日なんだから。

 私たちは、すでに何百回も5月28日から始まる3日間を繰り返している。そしてこれから何十万、何百万、何千万回繰り返すのか分からない。分からないから私たち理論物理学者は、その秘密を解き明かさなければならない。でなければ、私たちの存在意義などないのだから。

 今日、5月28日の午前3時22分42秒がスタートだ。そしてそれから約3日後、正確には68時間37分17秒後、5月30日の午後23時59分59秒に時間はスタートに戻る。
 どちらの時間も1秒以下の数十桁まで正確に分かっている。いつも同じ。

 5月31日は、来ない。

 最初の3日間はみな普通の生活を送った。次の3日間はみな夢を見たんだと思った。それはそうだ、まさかすでに時空の狭間に囚われているなど、誰も考えはしないわ。
 でも、最初の3日で悲惨な最後を遂げた人々は違った。殺される苦しさを、凌辱の瞬間を、すべて覚えているのだ。そして時が戻る。
 世界中で復讐劇が繰り広げられた。時が戻った瞬間、その人たちは自分を殺した者の元に走った。殺される前に殺せ、だ。

 そして次の3日間、世界は混乱を極めた。時が戻るたびに殺した相手を殺し、次は自分が殺され、また相手を殺す。地獄のような死の3日間が永遠に続くと思われたわ。
 でも、その地獄は意外な結末を迎える。

 3回目の5月29日、世界に幾人かいる独裁者のひとりが核戦争の口火を切り、世界を破滅させたのだ。地球を核の炎が覆った瞬間を、全地球人が見たわ。そして次に、国家規模で復讐劇が起こった。撃たれる前に撃て、個人の復讐劇と同じ。
 しかし、それもすべてが無駄なことだと、何回目かの世界滅亡の後、ようやく人類は気づいた。そんなこと、意味がないのだ。世界の超大国どうしが核を撃ち合おうと、どこかの国が自制し、どこかの国が世界を征服しようと、すべてが元に戻る。

 殺し合いは無意味。この3日間の幸せこそ全て。

 世界中の人々にそれを気づかせたのが、クロスライトという子供だった。
 彼は言った。
「世界の人々が平等に、助けよう、泣く子がいないように。この3日間を幸せに過ごそう。それこそが全て、4日目は、ない」
 これが世界の合言葉になった。

『Closs of Lights Movement』通称クラムの誕生だ。

 今では時間が戻った瞬間に、飢餓や紛争地帯に食料と医療が送られる。世界中で泣いていた子供たちに笑顔が戻った。
 戦争をするものは、もはやいない。貨幣はその価値を失い、全世界の人々が、この3日間を幸せに過ごすことだけを考えた。

 そして世界は、この3日間の幸せを支えるために働いてくれている人たちを称賛した。働いて役に立つこと、それが幸せだと考える人も多かったし、世界中のクラムがその人たちを支援していることも大きな要因だった。
 でも私たちは、そんな宗教めいた活動とは無縁だった。私たちは自身の存在を賭けて、この現象の秘密を解き明かさなければ。

「さぁ、そろそろだわ」
 そうつぶやいた藤間の前で、タブレットが通知音を鳴らす。オンライン会議の知らせだ。
 藤間は慣れた手つきで会議に参加した。

「藤間君、今日は遅いじゃないか、東大は今日休みだったか?」
 この冗談は前にも聞いたことがある。京大の竹山教授だ。
 竹山明たけやまあきら、日本の理論物理学をリードする人物。年齢的にも人間的にも、私たちのリーダーと呼べる人だ。
 この会議には、世界中の理論物理学者や数学者、天文学者が参加している。世界各国でユニットが組まれ、それぞれがこの現象について仮説を立て、推論し、計算している。そしてそれを検証するユニット、記憶するユニット、3日間の始まりにその成果が全てのユニットに提示され、また同じ作業を進めていく。
 果てしない作業だし、報われることはないのかもしれない。それでも私たちを突き動かすのは、科学者としての信念だけ。私たちには国も人種も性別も、年齢すら関係ない。ただ真実を追い求めるだけなんだ。

『Belief of Scientists Community』
 その言葉の意味は、科学者たちの信念、略称BSC。
 それが私たちの名前だ。

「おせぇなぁ。もう世界中から前回の計算結果が届いてるぞ?俺もとっくに送信済みだけどよ」
 沖縄科技大の浜比嘉教授も声を掛けてきた。陽気な人だ。話していると楽しくなる。

 この現象が始まって世界が混乱から立ち直った後、BSCは自然に発生した。その仕組みもそれぞれの得意分野で整理統合され、強力な頭脳集団として機能している。特に重要なのは、一般的にサヴァン症候群と呼ばれる症状を持つメンバーたち。流れる風景や床に散らばるヘアピンの数などを写真のように瞬間記憶できる。このメンバーたちが我々の導き出す数式を記憶し、時間が戻れば瞬時に再現してくれる。恐ろしく優秀なメモリー。
 この能力者がいなければ我々の活動は成り立たない。そして、我々のユニットにもその能力を持つ人物がいる。

 浜比嘉青雲教授だ。

「ふたりとも、まいったなぁ、これでも今日は少し早く起きてたんですよ?まぁ、朝ご飯はゆっくり食べてましたけど」
 私は起き抜けで寝癖の髪を手ぐしで解きながら応えた。これから3日間、ほとんど休憩なしで計算の日々なんだ。身なりにはあんまり興味がない私だけど、本当はシャワーも浴びたかったな。
「おいおい、世界中の頭脳が結集しないと、この問題は解けないんだぞ?大体3日間計算しても、その結果をデータとして残せないんだから、我々の頭脳ひとつひとつがCPUで、メモリーなんだ。それに世界中の計算結果が同じになるとも限らんのだ。だから計算結果の正当性も検証しなきゃならん。そこで選ばれた結果が次の3日間に引き継がれるんだから、君の頭ひとつだって、自分のもんだと思うなよ?」
「はいはい、ご説ごもっともです。ただね竹山教授、その話、もう百回目くらいですよ?」
 そしてこんなやり取りも百回目か。私は少し笑顔になっていた。
 そこに浜比嘉教授が割って入った。
「そうだな、これから何千回あんたらのやり取りを聞くかと思うとたまらんから、ちょっとこれまでのことを整理しないか?」
 いい提案だった。今この瞬間も、世界中で次の3日間への計算が進んでいる。このユニットでも、現時点で10名以上が計算している。
 私たち3人が抜けても、後で彼らの計算を確認して参加しても遅くないし、それよりこの現象とこれまでの計算結果を検証して整理してみるのも悪くないわ。
「そうですね浜比嘉さん、竹山教授もどうですか?」
「む、う~ん、頭みっつ分か、真面目に計算してる誰かから文句が出そうだが、まぁいい!で、どう整理する?」

 とりあえず私が先陣を切った。


つづく

予告
 これまでの研究結果を整理する竹山、藤間、浜比嘉の三人。
 そこで、浜比嘉青雲の発言をきっかけに藤間綾子のインスピレーションが爆発する。
 それは世界の研究者たちにインスピレーションを与え、研究は急展開を見せる。
 この三日間の現象は解明できるのか?そしてそれを破ることは可能なのか?
 あなたは天才理論物理学者、藤間綾子が展開する理論を理解できるか?
 

おことわり
 本作はSF小説「三日間の箱庭」の連載版です。
 本編は完結していますから、ご興味のある方は以下のリンクからどうぞ。
 字数約14万字、単行本1冊分です。

SF小説 三日間の箱庭

*本作はフィクションです。作中の国、団体、人物など全て実在のものではありません。



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