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悩みながら育てる

春休みが終わり新学期のスタート。
子供たち、今朝は少しそわそわしながら出かけてきました。

うふふ。
やっと一人時間の復活です。長かった~!

家事は子供が登校するタイミングで終わらせてしまうので、そこからはゆっくり自分の時間が取れます。

今朝は最近モヤモヤしていたことをノートに書きだして見ました。
春休み中に子供に学年の復習ドリルをやらせていたのですが、その進め方がうまくいかなかったんですね。
それについて、どこに問題があったかを考えていました。
年齢、特性に合ったやり方ができていたか。環境はどうだったか。そもそもなんで勉強しないといけないのか。しなくてもよいか。

結局、どう育ってほしいのかっていうところにたどりつくことが多いです。
私が嫌いな言葉なんですけど『育児の軸』ってやつです。
死ななきゃいい
これに尽きますけどね。
でも、幸せになってほしいとか、困ってほしくないとか、損をしてほしくないとか。望んでしまうんです。

一人目を育てているときに「愛される子になってほしい」という思いが強くて、小さいうちから厳しくしてしまった苦い経験があります。だから、下の子の名前を付けるときには親の期待を押し付けないようにしたいと、丈夫に育てば良い!という思いで名前を付けました。

でもいざ、小学生になって通知表とか他人から評価される場面がでてくると不安になります。
テストの点数が悪いわけでもないのに、評価が低かったりすると本人もモチベーションが下がるみたいで。自分はこれでいいんだ!とあっけらかんとしてるならいいのですが、だんだんわかってきちゃうんですよね。
あの子は頭がいいとか、あの子はサッカーが上手いとか。習い事をやっている子たちとの差を本人が感じ始めてるようです。自分も負けないぞ!とか習い事を始めたい!とか前向きな感じならいいのですが、帰ったらのんびり過ごしたいんだそうです。

子供って興味があることなら楽しんで頑張るから、電車、恐竜、動物、ポケモンの名前はたーくさん言えるし、九九は習い始めですぐ覚えた。都道府県も地図を毎日読んだりする。習っていない割り算も取り組む。冷静に見ると結構前向きさんなんですけどね。

比較される評価って人を縮こまらせるというか、できない方のレッテルを張られちゃうことがつらいみたいです。聞いてみると「バカにされるのがいや」って言ってました。(小さいころ褒めすぎた??)
学校で実際に言われるってことじゃなくて、そう感じるってことみたい。

「ほんなら、頑張らんかい!」って思っちゃいますけどね。人間ってラクしたいし、辛いことは嫌いでしょ。子供なんて尚のこと。
習い事に通わせればプロにお任せできるんですが、家で親が教えるとなると、動機付けをしたり、励ましたり、厳しくしたり、褒めたりと何役もやるのって戦略が必要みたいです。自分が何重人格にもなるみたいで目が回る。私は子供の感情に反応しやすくって、それも難しいです。

過保護なのかな?自分の不安を解決するために頑張らせたいのかな?なんて自問自答。きっと反抗期が来たら聞く耳も持たないでしょう。それまでに、ある程度のことは押さえておきたいと焦る気持ちがあるのも、正直なところです。

今の時代の日本じゃなければこんな感情もわかないのかな~。と現実逃避したりしています。でも、今のこの時代を生きていく子供だしな。
うんうん。
でも、子供の心からは目をそらさないように。

きれいな花に憧れるけど、とにかく根っこを潰さないように。踏まれても、起き上がる雑草のように。心が丈夫に育てば生きていける。
死ななきゃハナマル。
これからも悩みながら大切に育てていこうと思っています。

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