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無知と短絡 ~人を傷つけないで生きていく~

忙しくてなかなかnoteが書けない日々が続いた。言い訳ですね笑。毎日のように更新できる方は凄いと思います。そして尊敬もします。


本当のことを言うと、多忙なだけではなく、ずっと考え事をずっとしていて、それが悩みに発展してグズグズしてた。どうにかしたかったけど、その悩みをうまく言葉にできない、文章としてまとめられない。ここ最近そんな感じだった。

考えていたことというのは、無知について。この世の中、何かに関して、てきとーに浅はかな発言をして、どこかの誰かを傷つけてしまう、といったことが往々にしてあるな、と思ったわけです。

その軽はずみな発言が誰かを傷つけるかもしれない


知っているようで知らなかった病気

僕の持病になった、糖尿病という病気がある。僕はこの病気に種類があるなんて知らなかった。代表的なのは1型と2型。生活習慣が悪くて発症しやすいのが2型(他にも原因は考えられる。だから一概に不摂生とは言いきれない)。1型は、原因不明に発症する。原因を特定するのが難しいらしい。細く言えば、もう数種類ある。僕がなったのは1型糖尿病

病気になる以前は、糖尿病になる人は、甘いものばかり食べていたり、運動をしないから、そんな病気になるんだよ、と思っていた。

病気になりたくないし、健康でいたいと常々思っていた僕は、同年代の中では、かなり健康に気を遣う生活をしていた。甘いものを食べない、飲まない、運動が好きでよくしている。夜ふかしをせず、8時間は寝る。お酒は弱いから飲めない。

だけど病気になった。

まあショックだった。わりと、すんなり受け入れることができたものの、これから一生にかけて、食べる前に注射をしなければいけない、と考えると、ちょっとしんどい気持ちになる。

それでいったい何が言いたいのかというと、最近糖尿病の方で、新型コロナウィルスに襲われて亡くなったという辛いニュースがあった。それに対して、SNS上で、「不摂生だから死んだんだろ」「自業自得」といった声がちらほら見られた。

僕なそれを見て、ああ、悔しい。と感した。そして悲しいと思った。もし僕がコロナに罹って重症になったり死んだりしたら、同じことを言われるのか。落ち込まずにはいられなかった。暗い未来を思い浮かべ続けた。


自分はどうなんだ

一旦考えてみよう。僕が1型糖尿病になっていなかったら、この件についてどう感じ、何を思っただろう。

心の奥底で、自業自得だろ‥と思ったかもしれない。よほど酷いことでなければ、人に対して自業自得だ、なんて思わない。けど絶対に無いとは言い切れない。確実に公然と発言することはないが、思ってしまうだけならあるかも。思慮の浅い人間だから。

そして、もし、友人や知人に糖尿病になった、と告白されたら、僕はなんて思うだろう。

真っ先にその人を気遣い、励ますことができるだろうか。他の病気だったらどうだろう。


広く浅いの罠

現代は、素早く、簡単に情報を入手することができる。これはとても素晴らしいこと。困ったことがあっても、ググれば1分で解決できる。多くの情報を短時間で得ることができる。僕自身もこの恩恵を受けている。

しかし、有能感を抱きやすくなるといった罠があるようだ。自分は多くのことを知っている。なんでも知ってるから、自分は頭いいんだぜ、みたいな感覚になりやすい。それで、様々な事件に首をつっこむように、「俺はこう思う。それを知ってる。あなたは間違ってる」と勝手に話しだす。

自分がその物事に対して、どれだけ深く知っているか、知っていたとしたら、それは正しいものなのか、と思惟をしないで、発言してしまう。これは集中的に意識をしないと、改善できない。

SNSなどに意見を書くことがないし、批判的なことは基本的に他人に言わないようにしてる。それでも、人と会話をしているときに、ふいに言ってしまうかもしれない。

短絡的な判断をしない、すぐさま答えを出さない、このことを意識し続けるのは大変だ。


困難な理想への道

知は危険だ。知らず知らずのうちに人を傷つけてしまうかもしれない

だから、僕は知らないことについては、語らない努力をしたい。浅はかな考察は、胸に秘めておきたい。ウィトゲンシュタインの『語り得ぬことについては沈黙せねばならない』を常に意識して、忘れないようにしたい。

ひどく難しいことだけど、僕はできるかぎり、人を傷つけないで生きていきたい。それが人生における、ひとつの目標だ。



生涯勉強!大切に使わさせていただきます!この感謝を忘れません