見出し画像

図太いHSP

 これは自慢かもしれないし自慢じゃないかもしれない。

 私は「HSP」という特性に当てはまるタイプの人間だ。
 HSPも、最近はちょっと意味が独り歩きしているというか、拡大解釈されているきらいがあるのかもしれない、と思ったりもする。
 しかし考えてみれば医学用語というわけでもないので、元々の定義そのものが曖昧なのかもしれない。というわけで真偽を問うのも野暮というものかもしれない。

 前置きはこれくらいにして、本題に。

図太いHSPらしいのです

 いろんな人の話を聞いていて、
 大きな音や怒鳴り声がダメ、というのはよくわかる。
 人の悪意を感じ取ってしまうというのもわかる。
 人から否定されたりするように感じると辛い、これは私にはあまりないみたい。

 私はレッスンなんかでけっっこうキツイ言い方する先生に当たったりもするのだけど、そういうのは平気である。ダメ出し、ガンガンしてもらいたいほう。
 自分と違う人の意見も聞くのは平気。怒鳴ったり罵ったりという付加的なことがあるとそれは嫌だけど、意見を言い合っているのはわりとビクビクせずに受け止めることが出来る。
 だけど、人の感情のうねり(映画を観た時、怖いニュースがあった時、政治的な対立の中で心無い応酬がなされている時など)にはすごくもっていかれる。なので、やはりHSPには違いなく、また、それを感じ取る精度もそうでない人よりはやはり敏感なようだ。
 体の不快、不調にもわりと敏感だと思う。

時と場合によって橋渡しや防波堤をしたがる

 端的に言うと私が苦手なのは「感情のうねり」そして「悪意のあるキツイ口調」であって、一般的なHSPの人ともしかしたら違うかもしれないのは、「悪意のないキツイ口調」は大丈夫、というところだと思う。
(先生の言い方がキッツくても大丈夫なのは、「この人は私が伸びると信じているからこそ、熱いうちに打ってくれてる」と感じられるから。もちろん、無駄にパワハラではないことや、信頼関係があることは大前提で)

 なので、ときどき「あ、この言い方はこの人にはキツイな」という人と「この言い方には悪意がないな」という人がかち合ってしまいそうなとき、間に入って翻訳したり橋渡ししたり、時には防波堤になったりということをするように動いていることがある。

きっと繊細だろうなという人が信頼を置いてくれると感じることがある

 そういったことは、瞬間瞬間で感じ取った時にその都度動いているだけのことなので、大仰に「助けた」とかそういうような事件として残るわけでもない。私自身もそこそこ忘れるくらい小さな動きではある。

 ただ、昨日、またその前にも別の人から貰ったメッセージなどから、私自身も少し思うところがあった。
 つまり、この(私が感じているのと同じようなベクトルで)繊細な人達が、すくなくとも私のことを「この人は害さない人」と感じてくれているのだなあということが文面から感じられて、
 これはすごくありがたいことだと感じたし、めちゃくちゃ嬉しかった。

 単に頼られる、信頼されるという以上に、自分の弱さとしてのHSPが生きて誰かへの安心感を作っているということは、自分のこの特性をすごく肯定してくれることだ。
 悪意のあるなしだけではなくて、こういった感覚は持っている人にしかリアルなところは伝わらなかったりするものだから、当事者がそのこと(=伝わらないこと)で負う苦労はとても多いのだ。
(もちろん、そういう私も誰かによからぬ刺激を与えてしまっている瞬間もあると思う。強い言い方になってしまったりとか。気をつけたい)

わたしは、一対一の人

 HSPに関係なく、私はどちらかというと「あなたとわたし」一対一で接したい人間だ。だからある意味、大きく目立つ人ではないと思う。

 目の前にいる人が自分と似ていようと似ていなかろうと、その人を全力で聴きたいし、知りたいし、似ていることを喜んで似ていないことを面白がりたいのだ(このあたりは、ウェルスダイナミクスについて学んですごく強くなった思いだったりもする)。
 あなたとわたし、の間にレッテルいらないし前提よりもなによりも今この瞬間話すあなたの言葉をなにより尊重したい、と思って話を聴きたいと思っている。

 私が、何かしらの要素によって「無害」と思っているもらえることが多いなら、
私が持って生まれたHSPや、一筋縄に理解されない性質や性格が、ものすごくうれしいリターンになって返ってきているよな、と思うわけなのです。
 人畜無害万歳、です。

#ひらめきラジオ #HSP #人畜無害 #日記 #エッセイ #毎日note #毎日更新

この記事が参加している募集

サポートしていただければ今後の創作・表現活動に大切に使わせていただきます。めちゃくちゃ喜びます。萌える毛玉になって跳ねます。