夏休み前、終業式の小学生みたいな
最終出社日でした。
辞めるわけじゃないんだけど、今日から完全在宅。
それなりに長く働いてきた。蒼井優好きの、ゆるモラハラ気質な彼氏(一昨日のニュースで、ちょっとザマミロと思ったのは内緒だ)と付き合っていた当時、「そんな遊びみたいな仕事いつまで続けるの?」と言われながら、慣れるまでひーひー言って試行錯誤して。
請負(業務委託)で一本いくらの仕事だったから、自力で時間単価をジリジリ上げて、音楽の仕事と両立させて。
移転もあったし社長交代もあった。
件の元彼とお別れしたあと、最高にして最強のパートナーと出会えたのもこの場所だった。
だから、感慨がないわけじゃない。ただ、いつものように起き上がるのがちょっと大変な日で、だから、最後だからといって朝から妙に背筋がのびる……なんていうこともなく、どちらかというとエンジンのかかりも遅いくらいで、なんとなくしまらない。そんなスタートだった。
それでも、最後の仕事をそこそこにこなし、そこそこに引き継ぎをし、そこそこに私物を引き上げてゲラ(紙の原稿)整理をやっつけた。
実は、このフロアで働き始めてからはまだそんなに経っていない。そもそも私たちの部署は事務所移転からフロア移動、とたらい回しにされてきた経緯もあり、この職場に長くいたといっても、自分の席に愛着があるかというとそうでもなかった。
どちらかというと、移転、フロア移動の順に人が多くなって、その人の多さが単純にストレスだった。
そういうのはわがままなんだろうけど、物理的に、人の気配がずっとあることや、音や光が刺さるのは体質みたいなものなのでどうにもしがたいものがあった。蛍光灯の光が閃輝暗点を誘発するような気がして、いつも頭が重かった。ブルーライトカット眼鏡を常用していたけど、真上からの光は防ぎきれない。
ピッチのズレたbeep音がずっと鳴っているのも、慣れるまでは気が狂いそうだった。それは言いすぎか。
柄にもなく、そして(辞めていく人でさえ)そういうことをする風習もない職場ではあったけど、一応、ちょっといいお店でお菓子を買ってきて、配った。
長く一緒にやってきた人たちには個人的に挨拶をした。といっても数えるほどだ。
なんだか変な会社で、すぐ後ろのデスクで働いて仕事上の会話があるような人でも、部署が違えば挨拶しても返してもくれない。そういうものらしかったから、その人たちにはなにもしなかった。
べつに嫌いなわけでも気に入らないわけでもない。「そういうもの」という、謎にドライな職場だったなと思う。まあ同じフロアにいて、あなたと私しか残ってなくて「お先に失礼します」と言った時くらい反応してよ、とは思ったけど、10回やっても一度として返ってきたことはない。
いろんな仕事やバイトを経験して、SCのロッカールームでよそのお店の従業員とすれ違ったって「お疲れ様です」くらい言うのが当たり前だった私にはとても、不思議だ。
とはいえ、もともと社交的とは程遠く、できれば一言も人と話さず仕事をしたいくらいの内向型には、そのドライさはありがたくもあった。気楽だった。仕事中にイヤホンをしている人も少なくない。そんな風土。
私もピッチのズレた不快音から耳を守るためにイヤホンをしていた。
ロッカールームがなく、自分の使うスペースは完全にデスク周りだけだったので、片付けるほどの私物はそんなになかった。ほとんどは捨てれば済むもの。職場で足を楽にするために皆好き好き、サンダルなんかに履き替えてしまうのだが、そのサンダルも捨ててきた。使うあてがない。また必要なら買えばいい。
それでも、自分なりに紙類の整理をするため持ち込んだスタンドやボックス、文房具、予備インク、ペントレイ、小さなUSB扇風機など、こまごましたものを詰め込むとそこそこの荷物になった。
多くはないが、ちょうど終業式後の小学生くらいの荷物だ。前日までに少しずつ持ち出そうと思っていたのに、ついそのままにしてしまった。こういうところ、三つ子の魂百までっていうよね。変わらない。
最後だし、時々4駅ほどウォーキングしていたコースを歩いて夜の散歩と洒落込みたかったけど、荷物が重くてそんなどころではなくなってしまった。
夜の散歩が大好きだった。
田舎育ちの私には考えられないくらい、どの道を歩いても明るくてキラキラしていて、どこか安心した。きっと夜のあいだじゅう車通りがあるのだろうと思った。新宿や渋谷のような賑やかさがない中央区でも、私にとってはじゅうぶん「眠らない街」だった。
いろんな言葉が浮かんでは流れていった。東京の夜は私を一人にしてくれた。やさしい孤独が私を守ってくれた。
時間の許すかぎり、どこまでも歩いてみたかった。このとき決まって聴いていたあの曲のことはきっと一生、この景色と一緒に刻まれていることだろう。
結局、その日最後までフロアにいたのは私だった。だから他の人が帰り始める前のタイミングで、挨拶をして回った。
「お世話になりました」
というと、皆、
「辞めるわけじゃないんだからさ」
「これからも、よろしくね」
と言ってくれた。
これきり一生会わない人もいるのだろう。そんなことを考えてしまう自分のことが少し苦手だ。そんなの、いつだって、誰だってそうなのに、無駄にセンチメンタルになる。
本当は、そういうことを感じ取りたくないから、あまり人と関わりたくないのかもしれない。
ここに来るのも、あの歩き慣れた夜を歩くのも、最後かもしれない。そう思い至った時はじめて、かたちのない感情が像を結んで、「さみしい」という言葉になって私の体の中に響きわたった。
苦手も不都合も詰め合わせて、それでも愛おしい日常がそこにあった。
こうして思い返してみるとやっぱり、感謝しかない。散々ワガママ聞いてもらって、好き勝手させてもらってしまった。
ものすごく自由な働き方をさせてもらった。もちろん、そういう形態なんだから当然の権利だったけれど。
そういう意識も含めて、私にフリーランスとしての第一歩を与えてくれたのは間違いなくこの場所だった。一本のしごとに誇りを持てた。矜恃を持って人とぶつかることもあった。「これが、私の仕事なので」と言わせてくれた。そんなふうに仕事を扱ったのはここが始めてだ。
それまでは、「まわりに合わせて、上の人に従って、そつなくこなす」ことが一番大事で、それが社会で働くことのすべてだと思っていたから。
大きな荷物をふたかかえ、よいしょ、と電車にすべりこませる。最後とはいえ、座れない電車はやっぱり苦痛だ。ましてやこの荷物で肩身も狭いし頭も痛い。
だから、これでよかったのだ。
今日までの日常がしんどさと安心の綯い交ぜだったように、明日からの日常も、気楽さと不安の綯い交ぜできっと続いていく。
そうやってきっと続いていく。
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