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あたらしい月がはじまります

 なんとなく、気持ち的に一区切りついた感のある、6月でした。

 悔いが残ったといえば、せっかく甕を譲ってもらったのに、漬けようと思って追熟させていた梅をうっかりカビさせてしまったことかな……もう出てないよな、梅……。


 そういえば、去年の梅の季節に、文章を書き始めました。
 いえ、書くこと自体はもちろん昔から好きだったのですが、「書きたい」と思わせてくれるような文章に出会って、「読んでもらう」ことをはじめてきちんと意識して、そういう書き方をしはじめたのが、ちょうど去年の今頃。

 最初に書いたのが梅しごとの話だったんです。

 防音室の中いっぱいに甘酸っぱい梅の香りがひろがっていて、すこしでもその感じが伝わればいいなと思って書きました。でも、思うように上手に表現できていたかどうか。


 一年後、こんなに書くことをのびのびと楽しんでいる自分のことは想像しなかったし、(作詞は別にしても)少なからずお仕事で文章を書かせてもらうようになるとも思っていなかった。


 文章のことだけではなく、この一年で変われたことがたくさんあります。
 でもなにより、素直に自分と向き合うことができるようになりはじめたことが大きいかな。

 去年の今頃の私は、今よりもっといいかっこしいで、動じないためにいろんなことから逃げていたし誤魔化していた。……気がする。
 ダメじゃないのに、自分がダメかもしれないことを怖がって、見ないようにするから不安がよけいに大きく感じられて。
 そういう、自分で作りだしたおばけの姿にすごく怯えていた。

 今ならそれが「認知のゆがみ」っていうやつなんだということがわかる。

 ああ、やっと楽になってきたし、幸せと思えるようになってきたなって。


 幸せという言葉はとても含みが多くて、裏にべったりと「不幸」が貼り付いたようなものもある。
 あのころの酷さにくらべたら幸せ、この細い平均台みたいな道から外れない限り幸せ、あやういバランスのうえで、なんとか幸せ。
 これまで、そういう感覚を「幸せ」と呼んでいた自分がいる。
 安心、っていうのは、とりあえず今日が大丈夫なことで。
 安全、っていうのは、とりあえず今日が脅かされないことで。

 それらはつねに、すぐに取り上げられてしまう危険とセットのものだということに、ようやく、気づき始めている。

 いろんなことが符合して、歯車が噛み合って、うまくまわりはじめた。そんな6月でした。

 だから、7月がとてもとても楽しみ。
 また今年も一年が半分過ぎた、って嘆く気持ちはまったくなくて、きっと楽しい夏が、秋が待っているなって、そんなふうに迎えられそうです。


 いつもありがとう。

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