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体感してはじめてわかること
2011年3月11日。私は出張で広島市にいて、東日本大震災の揺れを体感することはなかった。
大きな揺れに見舞われたのは、その後仙台入りしてホテルに滞在していた4月7日の深夜だった。クタクタになってシャワーを浴びた直後の揺れ。仙台市内は震度5強だったはずで、ベッドの上で頭から毛布をかぶることしかできなかった。「やっぱり人間はいざという時はとっさに頭部を守る本能があるんだなあ」と他人事のように思った次第。
取材に出るために部屋を飛び出して非常階段を降る。しかし気が動転して足が震えていたのだろう、足首がふにゃふにゃしていて何度も転びそうになった。
きのうは地元の防災訓練で、人工的に揺れを発生させる「起震車」を体験した。
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小学生以下の子どもは「震度5強まで」「震度6弱まで」など細かく制限されているが、なにしろせっかくの機会だ、こちらとしては「おーい運ちゃん、一丁、強めでやってくれい!」ってな気分で、震度7をお願いした(もちろん、そんな言い方をしたわけではない)。
おなじみの緊急地震速報の警報音が鳴り、モニター上には「3、2、1・・・」とカウントダウンが現れて、気分が盛り上がってくる。
始めはガタガタユサユサという小さな横揺れからのスタートで、「ほおー、始まったな」と余裕綽々。しかしほどなくガッコンガッコンと上下左右に激しく揺さぶられ、その勢いはハンパない。床に固定されたテーブルを必死につかむことになる。
想像以上だった。震度5や6とは大違いだ。首に痛みを感じたほどで、これは軽いむち打ち症だろう。
なるほど、実際の大地があれだけ揺れたら古い家屋などはひとたまりもない。
阪神大震災の現地では、ぺしゃんこになっていたのは古い建物が多かったように見えた。建物の耐震基準が厳しくなったいま、東日本大震災は津波さえなければあれだけの犠牲は出さなかったのかもしれない。
災害は必ず起きる。
日本の防災技術は確実に進歩している。50年前ならもっと甚大な被害になっていたであろう災害でも、いまは多くの市民が命を落とさずに済む。
それでも、防災に「完全」はない。
あの激しい揺れを体感して、その恐ろしさがよくわかった。こうした啓蒙活動も幅広い意味での「防災」になっているのだな。
(22/11/28)
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