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「伝統」ってそんなにありがたいの?

「伝統の田植え競技会」


 ある朝のニュースで、東北地方の高校が田植えの速さと正確さを競う「田植え競技会」を開催した、とトピックス風に伝えていた。女子生徒はインタビューに対して「泥で汚れたことでクラスの仲も深まったのでよかったと思います」と楽しげだ。郷土愛を育むことにもなっていることがうかがえる。

 ニュースは「この競技は生徒たちに農業と食の大切さを知ってもらおうと70年前から始まった伝統行事だということです」としているが、さて、たかが70年の歴史を「伝統行事」とするのは違和感がないだろうか。もし自分が書くなら、せめて「恒例行事」にしたと思う。

 どれくらいの歴史があれば“伝統行事”なのか。これはなかなか難しい。

 岐阜県の高校生が卒業式後にセーラー服のネクタイなどを川に流す「白線流し」。ドラマなどで有名になった。当該高校のホームページによると昭和13年ころに自然発生的に始まったもので、「旧制中学以来の伝統行事」と記載している。うむ、こちらは「伝統」感があるぞ。分水嶺は太平洋戦争なのか?

ポイントは歴史における“シェア”?

 80年以上続いている「白線流し」は、その高校(旧制中学時代を含む)にとっては「歴史のほとんど感」なのだろう。学校がいつ創立されたのかまでは、知らないが。

 他方、田植えは日本人が1000年以上続けてきた営み。70年前は「つい先ごろ」でしかない。だから「伝統」と呼びにくく、「せめてちょんまげ時代にまでは遡らないとなあ」などと思うのかもしれない。

「伝統」でハクづけ

 ニュース原稿で「伝統行事」と書くウラには、「昔からずっと続けているんですよー。すごいですねー、ありがたいですねー」という心理がある。「2年前に始まりました」だったらわざわざ原稿には盛り込まないだろうし、そもそもネタとして取り上げることもないかもしれない。

 陸海空のそれぞれの自衛隊を揶揄する四字熟語で、海自は「伝統墨守・唯我独尊」と言われる(ちなみに陸自は「用意周到・動脈硬化」、空自は「勇猛果敢・支離滅裂」)。「古くからあるものをむやみにありがたがって、前進することを放棄している」というニュアンスだ。これに限らず、「伝統だから」と思い込んでいることが、実は案外最近決められていたと知って拍子抜けさせられることも多いもの。

 いにしえからのものを大切にするのは素晴らしい。しかし、「伝統だから」を錦の御旗にして思考停止に陥ってはいないだろうか。自戒を込めて。
(22/5/26)

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