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詩作の魅力を伝える本

 高校の「国語」の授業と、受験科目としての「現代国語」はなんともつかみどころがない印象だった。

 そもそも義務でしかない面白みのない授業全体のなかでも国語の授業は退屈で仕方がなく、教科書に志賀直哉「城の崎にて」が掲載されていた年はそれだけを繰り返し読んで“暇つぶし”をしていた。「文章の達人とされる志賀の文章はどこが素晴らしいのだろう」と思ったのがきっかけだったが、結局真髄はつかめないままだった。しかし今になってみれば、文章の巧拙に意識を向けて一つの作品を繰り返し読んだことは、見えないところで自分の糧になってるかもしれないと思う。

 「詩」は、小学校の教科書に多く掲載されていた。そればかりか書くことも強要されたものだ。それなりに展開がある散文とは違い、詩はさらにつかみどころがなくやっぱり退屈だったが、創作については「書く分量が少ないからラッキー」と思っているような子だった。

 長じてからは小説や人文書を読むことが多くても、積極的に詩集に手が伸びることはない。谷川俊太郎や茨木のり子の作品が「ちょっとおもしろいな」と思ったことがある程度。あ、俵万智「サラダ記念日」の清冽さには「短歌でこんなこともやっちゃっていいんだ」と目からウロコが落ちる思いをしたが、ま、これも当時の日本人の平均的な感覚以上のものではない。

 それでも、今年の春に詩のコーナーがある社内報的なものの特別版を制作する業務があり、同僚全員が尻込みした結果としてお鉢が回ってきた。仕方なく数編を書くことになったが、「テーマ(モチーフ)を決めて、文章を紡ぎ出し、推敲で練り上げる」という行為はこのnoteと同じ方向性があり、苦痛ではないばかりか、楽しくやることもできたものだ。

 翻訳家によるブックガイド「BOOK MARK2」を読んだ。知らなかった良書が多数紹介される楽しいブックガイドで、なかでもシャロン・クリーチ「あの犬が好き」について「外国の詩がまったくダメだった私でも楽しんだ」と紹介されていたのに惹かれて図書館で借りて読んでみた。図書館では児童書に分類されているし、基本的には詩集なので、このきっかけがなければ金輪際読むことはなかった本である。

 これが大正解だった。

 「詩なんて、女の子のもんだよ」とぼやいていたジャックが、教師とのやりとりを通じてどんどん創作に目覚めてゆく姿が微笑ましく、さらにちょっとしたストーリー性も隠されている。

 なによりも掲載されているジャックや他の作家による詩(ジャックの感想つき)が瑞々しい。そう、「詩作」は「かくあるべし」などと堅苦しく考えずに、楽しんでしまっていいのだ。読了した今は、またちょっと書いてみたくなっている。滅多に味わえない読書体験だった。

 すぐに読了できるので「外国の詩なんて」とジャックのように思ってる人は、是非手に取ってみてほしい。図書館本は返却したが、購入してもいいかなと思っている。本書との出会いに感謝。
(23/11/5)

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