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イライラした時って実は、自分を知るチャンスだったりする

怒ることは、よくないこと。

いつの間にインストールされたのかわからないけど、いわゆる喜怒哀楽で言えば「喜び、楽しみ」がポジティブで、「怒り、哀しみ」がネガティブな感情だとみんなが思ってるんじゃないかな?

こと怒りに関して言えば、アンガーマネジメントなんていう心理療法プログラムがあるくらい(分類を調べたらwikiにそう記載されていた)、制御すべきもの、っていう感じがする。

確かに対人関係を構築する上で、怒りのエネルギーをぶつけられる相手としてはたまったものじゃない。最も最低な行為は、怒りで相手をコントロールしようとすることだと思う。

なんて偉そうに語る私自身が、怒りで人をコントロールしようとしてしまう傾向を強く持っている。残念ながら親に(主に母親に)、そうやって育てられたことが影響として大きい。

だけど今になって振り返ってみると、イライラした時こそ自分を知るチャンスだったな、と思うから書き残しておく。

夫と結婚した当初から、私たちは数え切れないほどケンカをした。

私は納得いかないことをとことん突き詰めたい性分で、解決しなければ次の日まで引きずってしまうからその場でどうにか落とし前をつけたいと思っていた。

でもそれはやっぱり一時的な感情の発散にすぎなくて、どこか満たされない何かをケンカするで満たしていた。感情のジェットコースターに乗って、怒りで頂点に昇り、仲直りで慰め合い鎮まるまでがアトラクションだったし目的だったんだと思う。

転換期になったのは、「怒りは二次的な感情である」と知ったこと。

怒りの根源にあるのは、自分の大切な何かを傷つけられた悲しみである、ということだった。

そこからイライラしたり、モヤモヤしたりする度に、なんでだろう?って思うように意識した。もちろん始めは、すぐに原因はわからないし、「きっとこれが悲しみの原因に違いない」と思っても間違ってたことだってあった。

例えば夫に対して、家事を全然やってくれないし私がやっても感謝してくれないってケンカした時は、自分のことを蔑ろにされてるんじゃないかって思い込みが潜んでたり。

慣れない育児に翻弄され、自分は我慢ばっかりだって絶望した時には、そもそも自分は両親に対して多くの我慢をしてきたんだということに気づいた。(それまでは両親と全面的に良好な関係だと思い込んでいた。)

もちろんこれらの例えに書いたことは、一足飛びにたどり着いた答えではないんだけど。

自分を知るにあたり、感情が揺れ動いてない冷静な時ってなかなかピンと来ない時もあったりして。

私は2014年に息子を産んでから特に自分を知ろうとする姿勢が強くなったんだけど、多くのチャンスがイライラしたり、モヤモヤしたりする瞬間にあったと思う。

パートナーや子ども、親や友人など、大切な人とケンカしたくないのにケンカしちゃうとか、イライラしてしまうことを、もし辞めたいとか減らしたいと思うなら。

その怒りの感情を打ち消そうとしないで、存分に怒りに浸って、その奥底にある悲しみまで潜ってみるのもいいんじゃないかなって

ちなみに夫婦喧嘩した時に、夫は家出する癖があって結婚当初は心配したし戸惑ったこともあったんだけど…私も半ば仕返しのように家出してみたら意外や意外、怒りの大元に何があるのかを冷静に考えられたりして。荒療治かもしれないけど、最初は「頭冷やしてくる」とか何とか言って外に出てしまうのもかなりオススメです笑

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松下はるか
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