私たちはもっと、自分のことを大切にするべきだと思う

会社へ行かなくなってから、ちょうど1ヶ月が経とうとしている。
(昨日、心療内科を受診したところ、3月末までお休みを延長することになった。)

正直、お休みをもらうことになってから、ずーっと葛藤していた。

お世話になっていた上司や同僚に、迷惑をかけること。

9年間、積み重ねてきたものを、失ってしまうような不安を感じた。

学生時代から、ずーっと乗り続けてきた「レール」のようなものから、初めてドロップアウトしてしまったような、そん感覚。

だけど、今になって思う。

なんてちっぽけな思い込みに縛られて、自分自身をないがしろにしていたんだろう、と。

大切な人には、いつだって自由に生きてほしい

私の夫は、大企業からベンチャーへ転職し、今はフリーランスとして働いてる。

夫には、いつだって自由に生きてほしい。

結婚したことで、守るべき家族が出来たことで、その自由を失ってほしくない。

そんな風に思って、いつだって応援してきた。
(仕事と育児で余裕がなくなって、八つ当たりすることはしょっちゅうあるけど。ごめんよ、夫。)

そして、今までで一番、楽しく仕事をしているんじゃないかと思う。

もちろん、仕事は苦労もたくさんあるけど…

それでも、イキイキしているように思う。

夫はいつも、「はるちゃんのおかげだよ、ありがとう」と言ってくれる。
(というか、言わなきゃいけない雰囲気を私が醸し出してる。笑)

大切な人には、いつだって自由に生きてほしい。

夫だけじゃなくて、子どもや親、友人、みんなそう。

もっともっと自由に、のびのびと生きてほしいと願っている。いつだって。

自分のことは、自由にしてあげられているか?

じゃあ、自分のことは自由にしてあげられていただろうか?

私は、自信を持って「YES」とは言えない。

というか、心身に支障をきたして初めて、自由に出来ていなかったことに気づいた。

こればっかりは、自分が自分を縛り、許してあげられない限りは、ずっと何も変わらないんだ。

ナチスの強制収容所に拘束されたって、心の自由を保ち続けることが出来る人もいれば、現代という戦争もない平和な時代に生き、恵まれた環境にいるにも関わらず、心の病を発症する場合もある。

私を縛っていたのは、他でもない私自身だった。

大切な人の自由は願っていたのに、自分には自由を与えようとはいていなかったんだ。

大切な人の大切な人=自分を、大切にしよう

自分の調子が悪くなって、お休みさせてもらって、やっと気付いたことは。

「自分=大切な人の大切な人」なんだということだ。
(えっ?当たり前だって?でもやっと気付いたんだもん。)

大切な人には、いつだって自由でいてほしい。

そうやって自分のことも、誰かが願ってくれてるはずなんだ。

それなのに、私は自分のことをこんなにも痛めつけて。

バカだなって思う。なんだか、書いてて泣きそうになる。

疲れたら疲れたって言っていいし、やりたくないことはやりたくないって思っていいし、頑張れないときは休んだっていい。

それなのに、こんなんで疲れてるなんて甘い、やらなきゃダメだ、まだ休んじゃダメだ、なんて…

そんなに追い詰めなくても良かったんだ。

私みたいに、痛めつけてから気付く前に。

あなたはもっと弱音を吐いたっていいし、わがまま言ったっていいし、休んだっていい。

だって、大切な人には、自由でいてほしいって願ってるわけでしょ?

自分が自由でいることも、もっと許してあげてほしい。

あなたが自分を大切にしたら、きっとあなたの大切な人は、安心するはず。

私たちはもっと、自分のことを大切にするべきだと、私は思う。

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