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共に働くことは、共に生きること〜共働き夫婦の新・幸福論〜

子どもが生まれた後、共働き夫婦としてのキャリアに迷う全ての人へ

共働き夫婦を取り巻く環境は、正直言って恵まれてるとは言い切れない。

思い付くトレンドワードは、保育園落ちた日本しね、ワンオペ育児、共働き家庭は過労死寸前などなど…

それだけギリギリ追い込んで生きているにも関わらず、産休・育休で穴が開けば昇進が遅れ、復帰後も時短勤務や残業ができないことでキャリアに差が付いていく。たとえ時間あたりの生産性で言えば、こちらの方がずっと高かったとしても、だ。

もはや共働き夫婦の未来は詰んでるんじゃないのか?と、感じてしまうのも無理はない。

だけど数十年前はサラリーマン&専業主婦が当たり前だったわけで。
今では女性が管理職・役員に登用されたり、男性が育休を取得したりと、過去と比較すれば夫婦2人でキャリアを築く新たな門戸は開いている。

共働き夫婦がどちらかを犠牲にすることなく、2人でキャリアを築ける時代に、今まさに変わりつつあるのだ。

ただその「時代が変わりつつある端境期」だからこそ、何が正解なのかわからずに迷い、悩んでしまうんじゃないだろうか。

なんてったって他でもない私が、息子を産んでからこの5年間、散々迷って悩んでここまで来たから。

巷には共働き家庭のための時短術、夫婦の家事分担、家計の管理といったハウツーは溢れている。

だけど、どうやって家庭と仕事と向き合えばいいのか、自分たちの人生はどうすれば幸せに向かっていけるのか、本質的なことを誰も教えてくれなかった。

夫婦で共に働くことは、共に生きること。

私たち夫婦はこれまで全力で走って、壁にぶち当たって、傷だらけになりながらもやっと、自分たちなりの幸せのカタチに手が届いた気がする。

だからこれから、共働き夫婦が共に働き、共に生き、家族や仕事とどうやって向き合えば幸せに向かっていけるのか、をnoteに書いていこうと思う。

手始めにまず、私たちがこれまでがむしゃらに駆け抜けてきた5年間で一体何が起き、何を感じて今に至るのか、書き綴らせてもらいたい。

もし同じように、壁にぶち当たって傷だらけになって、立ち往生している人がいるとしたら。

私たち夫婦はあなたやあなたの友人のようにごくごく普通の家庭であり、それでも「新しい幸せのカタチ」を作れるんだということを感じてもらえたら嬉しい。

大切な子どもを預けてまで、働く意味って何だろう?

1986年生まれな私たち夫婦の母親世代は、専業主婦がマジョリティだった。

将来は専業主婦になるんだろうなーなんてぼんやり思いつつも4年制大学に入り、何となく就活しつつも一般職はピンと来なくて、総合職で就職した。

やがて結婚して、子どもを授かり産休育休に入り、そのまま何となく流されるままに保活をした。

働くことは嫌いではなかったし、社会とのつながりが断たれたような育休はなかなか結構しんどかった。

辞めるのはいつでもできるし、とりあえず復帰してみようと。そんな程度だった。

息子が生後半年の11月頃に保育園入園希望の申し込みを出し、当落結果が出て来る前の年末年始。

息子は川崎病に罹り、生死の境を彷徨うことになる。

いつもとは違うぐったりとした息子の小さな足や手の甲の、細い細い血管に点滴用の管がつながり、グルグルに巻かれて固定されているその姿をただ見守ることしかできない、無力な自分。

人の命はいつ消えるともわからないことを、産後半年で唐突に思い知らされたのだ。

幸いなことに回復し、退院ができたけれど、またいつ入院するかもわからない。経過観察は5年ほど続くという。

退院後2週間ほどの、まだまだ日常のリズムを取り戻すのに必死だった1月下旬、保育園の入園通知が届いた。

11月に何となく入園申し込みをした時から、たった2ヶ月弱で、ちっぽけな人生観がガラッと変わってしまった。

大切な宝物である息子を預けてまで、働く意味があるのか?が、命題になった。

いつか子どもと仕事の話ができるようになったとき、自分の仕事に胸を張って、仕事って楽しいよと言えるママになりたい。

そうじゃなきゃ、川崎病になった息子を預けてまで、働く意味がない。

夫婦で育児も仕事も楽しむためのキャリアチェンジ

同じく1986年生まれの夫の実家は、父親が自営業を営み、母親が専業主婦として家庭を支えていた。

祖父母、両親、妹2人と計7人で暮らしていて、父親はたった一人で家計を支えるために昼夜問わず働き(付き合いの酒やゴルフも欠かさず)、ほぼ家にいなかった。

そんな家庭で育ったことを反面教師として、夫は共働き推奨&育児にも参加したいと考えていた。

とはいえ蛙の子はなんとやらで、自分の仕事に誇りを持ち、信念を突き通したいタイプ。

つまりは父親同様、自営業志向。

結婚当時はいわゆる大企業に夫婦で勤めていたが、私が育休から復帰した数ヶ月後の夏、夫はキャリアチェンジをはかるべく行動を開始する。

このまま大企業の看板で仕事をし、発注書作りや調整だけに関わっていても、自分に技術力がつかないと、焦りを感じていたのだった。

ここから私たち夫婦にとっての「新しい幸せのカタチ」を見つける旅が始まった。

まずは夫からキャリアチェンジ

先に独自のキャリアを歩み始めた夫は、大企業での勤務を定時で終え、プログラミングスクールへ通うようになった。

スクールを修了した後は社会人インターンを経て、半年後の冬に念願のベンチャー企業へ転職しエンジニアとして働くことになる。

平日は毎日終電帰り、土日も働きに出るような状態だったため(そして薄給)、一時的に私が家庭を回し大黒柱として支える構図になった。

夫と違って特にやりたいこともなかったから、ワンオペで大黒柱ってハードな経験はなかなか出来ないよねーって軽いノリで飛び込んだ。

大企業のSEという安定した地位を捨てた夫は、ベンチャー企業の社員第一号エンジニアとして、毎日イキイキと働いていた。

転職したときはスズメの涙のようなお給料だったのが、サービスをリリースして資金調達をしていくうちに、少しずつ増えていくのを一緒に喜びながら。

気付けば転職して2年が経ち、私は2回目の育休に入っていた。

だけど順調に夫の会社が拡大路線に入り、エンジニアチームに2人の社員が新たに入社してから環境は一気に変化した。

諸々はしょるが、夫は人間関係に悩んだ末、体調を崩してしまったのだ。

図らずもフルタイム大黒柱ワーママに

平日は終電帰り、土日も働いていた夫が、諸々の事情からメンタルと身体に支障を来してしまったのは第二子の育休復帰前、2月のこと。

大学で心理学を専攻していた私は、本格的に精神を病んでしまったらどうなるのか、想像がついていた。

大切な人が健やかに、ただ生きてくれていることの尊さは、息子が0歳にして命を失いそうになったときに痛感したことだ。

「仕事、辞めていいよ。っていうかすぐ辞めた方がいい。心が壊れたら、一生苦しむことになる。」

ここで言わなきゃ、女がすたる。そんな気持ちだった。(夫には決断が男前だと良く言われる。)

夫は晴れて専業主夫に、私はフルタイムで復帰することになった。

正直言って、夫がそのままベンチャー勤めをしていたら私が時短勤務をするしかないだろうなと思っていたところだった。

当時私が勤めていた会社では、時短勤務とフルタイム勤務の間にキャリアアップの差があった。

フルタイムで復帰できることは結果オーライ、キャリアには好都合だった。

夫の仕事が軌道に乗り始め、今度は妻が体調を崩す

育休復帰後の夏頃まで、夫には家事・育児を担ってもらい、仕事らしい仕事はせずに休むようにしてもらっていた。

私は元の職場に復帰はしたけれど、別の業務を担当することになり、慌ただしく過ごしていたのだが。

平たく言えば、その業務があんまり楽しくなかった。

夫がベンチャーへ飛び出した変化を眼前で見ていたし、育休中に私も片づけの資格を取ってワークショップを企画してみたりと、自分で仕事を生み出す楽しさを知ってしまったから。

この業務、誰がやっても同じだな。っていうか、何ならこの業務自体が不要だな、と感じてしまった。

このままではもったいない、と新しいプロジェクトを発案してみたものの。

新プロジェクトをよく思っていない別チームの課長から、小言を言われて妨害をされることになる。

その人のことを若くて優秀な人だと思っていたから、絶望した。

彼に対してではなく、失敗が許容できずにチャレンジを潰し、既定路線を良しとする管理職を生み出してしまう、組織に対して。

仕事中に突然、訳もなく涙が出てくるようになった私は、適応障害で休職することになった。

幸いなことに、夫は少しずつフリーランスエンジニアとしての仕事が増え始め、家事育児との両立が難しくなり始めた時期だった。

ついに妻のキャリアチェンジ

療養のために休職期間に入り、夫に代わって最低限の育児と家事を淡々とこなした。

日中はなるべく休み、近くの温泉に通ったり、針治療へ行ったり。

月に1回は自分の上司との面談があり、3ヶ月の休職期間から延長するとなると復職するための訓練が厳しくなることを知らされた。

組織に絶望していたので、戻っても事態は改善しないと気付いてた。だけどぷっつりと辞めたところで、ちっぽけな私に新たな稼ぎ口が出来るとは到底思えなかった。

3ヶ月という期限が切られ、緩やかに死んでいくモラトリアムのような時間の中、登録して放っておいたビズリーチのアカウントにスカウトメールが1通届く。

それは業界内でも有名な外資系IT企業からの求人だった。

私はその蜘蛛の糸を地獄の底で掴み取り、何とかその糸を切らずに地上へ這い上がった。

夫婦の幸せは、2人3脚で走りながら見つけるもの

晴れて私の転職が決まり、夫もフリーランスのエンジニアとして2年目に突入して生活も安定。

保育園の送迎は夫婦でうまいこと分担しながら、平日19時には家族で揃って夕飯を食べられる環境になった。

夫婦2人で大企業に勤めていたときは、夫は平日に早くても20時頃しか帰って来れなかった。今ではフリーランスエンジニアとしてほぼ在宅で仕事をしている。

私の新しい職場はフルフレックスで、在宅勤務も自由に使える。新しいチャレンジを奨励してくれる組織風土だし、何より気の合う仲間がいることが仕事を楽しく感じさせてくれる。

生後半年で川崎病に罹った息子は、その後インフルエンザにすら罹らず元気にすくすくと成長している。(下の娘は言わずもがな、パワフルである。)

ここ5年間で私たち夫婦の人生は、大きく変化を遂げた。

大切なのは、パートナーと向き合い、自分自身と向き合うこと。やりたいことはすぐに見つからないから、いいなと思ったら思い切って行動してみること。

私たち夫婦は、エンジニアリングにおけるチームビルディングの方法を取り入れながら、理想の生活を思い描き、夫婦2人でキャリアを築いてきた。

巷に溢れる時短術、効率化、家計管理のようなテクニックに、端から飛び付く、その前に。

自分自身が、夫婦が、家族が、どうありたいか、どう生きたいか、目を逸らさずに考えてみよう。

すぐに答えなんて見つからないから、行動を起こしてみて、振り返って考えて、また前に進む。間違えたっていい。その先にまた思わぬ未来が待ってるかもしれないから。

私たち夫婦も暗中模索だったし、まだ発展途上。

でも少しずつ、自分たちなりの新しい共働きの幸福論を、見つけつつあると実感してる。

ただでさえ変化の多い時代に差し掛かり、選択肢は無限に広がってる。だからこそ悩む。

きっと夫婦1組1組、幸せのカタチは違うから。

共働き夫婦の新・幸福論を実現するために、わが家が取り組んできたこと、具体的な考え方について書いていきます。

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