大切な君が苦しんでいる時、側にいることしか出来ないけれど
私には大好きな親友がいる。
彼女とは大学時代にサークルで一緒にキャプテンをして、嬉しいことも悔しいことも全部共有してきた。
テニスも私より全然上手で、責任感も強くて、いつも彼女の背中を追いかけていた気がする。
(そんなことを彼女に伝えたら、きっと私の良いところをたくさん並べて「私だって同じこと思ってた」って言うような優しさも持ってるからもう完璧。)
そんな彼女は4年前、私より2週間先に母になり、その後私より1年前に2児の母となり、学生時代から願っていた「専業主婦」になっている。
いつも、私のちょっと先を歩いている彼女を、お姉さんのよりに頼りにしている私がいる。(誕生日は私の方が1ヶ月前なんだけど)
私が第二子の育休に入った時には、下の子を連れて何回もお宅に遊びに行かせてもらった。
いつも美味しい手料理と手作りのお菓子でおもてなししてくれて、私が片付けの資格を取ったと伝えたら、家中の押入れを開けて見せてくれて、ブログもいつも楽しみにしてくれて、応援してくれた。
…って、これは本題じゃなくて前置きです、実は。いくらでも思い出や彼女の素敵なところを話せるくらい、私たちはたくさんのことを共有してきた。
* * * *
そんな彼女が私の育休中、何度目かの訪問の時に、打ち明け話をしてくれた。
「夫との関係性で、悩んでいるの」
時を同じくして私は彼女に母のことを相談したり、夫との信頼関係が飛躍的に改善したことも包み隠さずに話したりしていた。
だから彼女も、話してくれたんだと思う。
私は、何とか役に立ちたいと、彼女の話を聞いた。何に悩んでるのか、求める夫婦像はどんな姿か、そこに対して何が足りないのか、旦那さんに対して何を不満に思うのか…ただただ、彼女の話に共感し、聞き続けた。
だけど、結論から言えば、私は彼女に対して「直接的には」役に立てなかった。
彼女は、夫婦関係を改善するコンサルティングに通うことにしたから。
私は彼女が苦しい時に、ただただ話を聞いて側にいることしかできなかった。
それがとても悔しかった。
だけどこのnoteが半年程かけて熟成し、発酵しはじめた今思うことは、「私は彼女に何かをしようとしなくて正解だったんじゃないか」ということ。
彼女の側にただ寄り添って、苦しみや悲しみを共有する役目。
それは、親友である私だからこそ、出来ることだったんじゃないかと。
彼女たち夫婦のカウンセリングは一度終わりを迎え、旦那さんのみ本人の希望で延長して通うことにした、と聞いた。
「人ってすぐには変わらないよね。でも一歩踏み出して気持ちが整理されたよ。背中を押してくれてありがとう。」
そんな風に言ってくれた彼女が、いつか家族みんなで心の底から笑って過ごせるようになることを、私は側でずっと祈ってる。
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