産後、見える世界が広がって面白くなったよ。

noteに登録して1年と4ヶ月が経った。

2019年1月、年初めの気合を入れるために目標なんかを書いてみたけれど、それらはほぼ達成することなく終わった。

書いた2週間後には、妊娠が発覚し環境が大きく変わってしまったのだ。

妊婦は幸せ全開とか言われるけれど、私はそういう気持ちの中だけにはいられなかった。

ただ産後の今はとても落ち着いていて、何なら「出産最高!」と周りの大人に言いたいくらい変化した。

産前に感じた、不安と気儘な自分時間がなくなることへのストレス

妊娠当時の私は現在の配偶者と同棲を始めたところ、そして仕事ではようやく異動の希望が叶い、自分の業務へのモチベーションが高まっていたタイミングだった。つまり幸せを感じる以前に、妊娠について実は100%の気持ちで喜べたわけではなかった。

所謂なキャリア志向ではないけれど、自分の業務で通用するようになりたいと思っていたので、それが一時停止してしまう心配もあったのだろう。

おそらく、20代後半の働く女性の中にも、そのことを思い妊娠を躊躇っている、もしくはまだ早いと思っている人は多いのではなかろうか。私も予定外の授かりがなければ、今もきっと子どもとは無縁の生活を送っていたと思う。

そして仕事以外でも出産まではストレスを感じやすい日々だった。

妊娠前は、東京に暮らすメリットを最大限享受するかの勢いで過ごしていた。元々、アートや音楽が好きな私は、常に興味関心がある展示会にワークショップ、そしてライブに出向いていた。大好きなお酒を飲むこともや旅行ももれなくである。

しかし妊娠を機に、体調の面で上記のことの多くに参加が難しくなったことで、これらがいかに自分の欲を満たし、心の安定剤となっていたのかを思い、享受できないことのストレスが溜まった。

自由気儘な自分が殺されてしまったかのような気持ちが募ってしまったのだ。

お守りにしていた、先輩のことば

そんな不安と心配を少しでも落ち着かせてくれたのが、妊娠がわかってすぐに相談した会社の先輩に言われた「子どもが産まれたら、見える世界がぐっと広がって面白くなるよ」という言葉だった。

子どもが産まれて、見える世界が変わるのは当たり前

子どもが生まれると見える世界が変わるのは当然のことだ。だって育てるために必要なことはこれまでの生活では全く知らないことだったから。

ただそれが世界をこんなにも面白く見えるようになるとは、思いもしなかった。

7ヶ月しか経っていないけれど、子どもと共に過ごすことで生物としての成長の面白さを日々感じる。と同時に現代社会で生きる営みの中で、選択する一つ一つを改めて捉え直す毎日だ。

食料品の買い物ひとつにしても、それを食べる子どもの身体に入ることを考えて、調理法や農薬のこと、そして先の地球環境を考えた選択をしている。もしくは家で消費している電気の元を考えて、自然エネルギーに変えてみたりもしている。

(ただ時間やお金は無限ではないので、できることも限られるけれどそれもまた大事なことだ)


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↑お祝い事も子どもが自分で選択できないので、気を使うが、端午の節句は、元々男女問わず厄払いが起源ということもあり、鯉のぼりモビールを準備することに。手作りの民藝品、そして小さな家なのでコンパクトに飾れるところも決め手。


もし1年4ヶ月前と変わらず、自分だけの身体で気の赴くままに過ごしていたら、その得た経験で見える世界もあっただろう。だけど、それでは私は満ち足りることはなく、そのまま何年もただ忙しく過ごして、生きる営みの尊い選択を見過ごしていたと思う。


そしてこのまだまだ続くであろうコロナ禍の今、とこれからを生きるためには、この選択を大事にすることが、精神衛生上にも、そして子どもの未来を少しでも明るいものにしてあげるためにも大切だと強く思い、このnoteに記録していきたい。






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