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ドラマ・コードブルーと私

こんばんは。


医療ドラマ「コードブルー」の3rdシーズンが放送されたのは、確か私が小学生の時だったと思う。

 小学生の時、私は母から10:00には寝るように言われていたので、唯一見ることが出来たのが月9ドラマだった。

コードブルーの放送が始まり、1話を見た瞬間から虜になった。今思えば、小学生だった自分にどれほど良さが分かっていたかは不明だ。

それに私は、1st・2ndシーズンを見ていない。それゆえストーリーがよく分からないことも多かった。

そうであっても毎週月曜日、テレビの前に張り付いて食いつくようにドラマを見た。こんなに夢中になったことは無かったと思う。


そしてその時から、医師という職業に憧れを持つようになった。


ただそれは最初、本当に「憧れ」でしかなかった。


正直な話、中学校に上がってからも勉強はできる方で、高校も何となくで県で1番偏差値の高い学校を目指した。

よく進路相談で、将来の夢について聞かれた。そういう時私は「まだない」と言っていた。実際のところは、そういう質問をされた時、私の頭には常に「医師」の文字があった。どこか、自分なら目指せばなれるのではという思いもあった。しかし、憧れの職業を自分の人生の大事な選択にして良いのか、自信が持てなかった。


高校に上がり、私の成績は急降下した。


周りは親が医者であったり小さな頃から塾に通って勉強してきた子ばかりで、いわゆる地頭と呼ばれるような思考力に大きな差を感じた。


さらに驚いたことに、医学部は自分が思っていたよりはるかに狭き門だった。国立の医学部は、現役合格割合がおよそ3割。何年受けても受からない人もいることを知った。


自分は絶望して、医学部志望、医師志望なんて言葉を誰にも言えなくなった。


そして、2年に上がるタイミングで文理選択があり、私は理系を選んだ。


数学が本当に苦手で、1年の時の担任には強く文系を勧められた。しかし強引に理系を選んだ。


文系に行ってしまえば、おそらく医学部に入る道は絶たれる。どんなに数学が苦手で周りに忠告されようが、希望は捨てたくなった、いや捨てれなかった。


 なんやかんやあって理系クラスに進学し、2年の担任に初めて医学部に行きたい旨を話した。担任は驚いてはいたが、色々なアドバイスとめちゃくちゃ頑張りなさいというお言葉をいただいた。


 後押しする言葉の一方で、同時に難しさについても伝えられた。そこでも自分の心は揺らいだ。こんなに成績が悪い私が、医学部に合格出来る確率などたかが知れている。やっぱり違う職業を目指すべきなのか。そう思うことが多々あった。


というのは、意外と最近の話。


そしてついこの間、TVerでコードブルー1stシーズンが配信されていた。


もちろんのこと、配信開始と同時に視聴した。今、ちょうど全話を見終わったところだ。


感想を言うと、やはりこのドラマはすごい。コードブルーというドラマでは、毎話人が死ぬ。それでも医療者や患者、患者家族それぞれが日々色んな苦しみを抱えて、明日を生きていく。


 1stシーズン最終話に黒田先生が藍沢に向かって言った言葉が記憶に残っている。



藍沢「医者に出来ることは結局、死ぬまでの時間をほんの少し延ばすだけのことなんじゃないでしょうか?」


黒田「その通りだ。それが10分かもしれない、1時間、1日、1年かもしれない。だが、そのわずかな時間が時に人生の意味を変える。そのために腕をみがく。そのことは決して間違っちゃいない」


これを聞いて、どんなに報われなくても、どんな努力が必要であっても、自分はやはり医者になりたいと思った。


この先多くの時間を払っていかないといけない。自分のための時間など無いかもしれない。しかしどんな犠牲を払ってでも、私はやっぱり医者を目指す。


決意は決まったから、あとはひたすら頑ばる他ない。




コードブルーという一つのドラマが自分の人生を変えた。いや、これから変えるのかもしれない。



[続]



拙い文をお読みいただき、ありがとうございました。

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