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季節の好き嫌い

 「四季の中で好きな季節は?」と聞かれたらぼくは間違いなく冬と答えるだろう。
 理由は単純で、暑いのと湿度が高いのとが苦手だからだ。

 まあそんなわけで、夏が一番嫌いである。好ましい点もあるので、嫌いというより苦手と言っていいかもしれない。
 鬱陶しいほどの日差し、やかましく鳴く蝉、茹だるような空気の中アスファルトの上で揺らめく陽炎……。
 自分の輪郭が大気に溶け出してしまうような感覚。
 ぼくはもともと汗かきなのだが、ここ数年で自律神経がややイカれてしまったため、体温調節が一層うまく行かなくなり、夏をいかにやり過ごすかしか考えなくなってしまった。

 まあ、夏のすべてが嫌いなわけではない。梅雨明け後の7月の強く強く晴れ渡る青空は気持ちが良いし、そこに映える木々の緑も、プールバッグを持って友達とアイスを食べながら歩いた道も、美しき夏のビジョンだ。ぼくが夏を嫌う原因は全て8月にある気がする。あと少しだけ、6月。梅雨もだいぶ苦手だ。
 中高生の頃の夏休み、半日の文化祭の準備を終えてから帰る道はきつい西日に照らされていてクラクラとめまいがするようだった。でも当時は日傘がなくても今と違って平気で歩けていたから、本当にここ数年でぼくが弱って、しかも夏が強くなったんだろうなと思う。
 思えば小学生の頃学校のプールは夏休み中ちょくちょく解放されていたが、気温が低い日や水温が低い日は開いていなかった。暑いといっても常識の範囲内の暑さだった気がする。現在では暑すぎてプールに入れない日があると聞く。
 ぼくたちの記憶に淡いノスタルジーを刻みつけていく夏は終わり、ひたすら我々の生命を削るだけの酷暑がやってきてしまったというのか。
 夏はやっぱりおとなしく室内にいるに限る。他人事として見る夏は美しい。
 温度と湿度の不快感さえクリアできれば割合良い季節だと思う。

 嫌いな季節の話をややし過ぎたので、そろそろ秋と冬の話をしたいと思う。

 まず秋についてだが、ぼくは9月はあまり好まず11月が特に好きだ。
 9月を好まない理由はひとえに残暑のためである。加えて、ひぐらしの声に胸をかきむしられるような思いをする。
 毎年の夏休みの終わりは、いつもひぐらしの声を聞きながら新学期のことを考えてきた。どんなに嫌いな夏でも終わるとなるとやはり寂しいものがある。ひぐらしの声は今年の夏という二度と来ない機会が永遠に失われてしまったことをぼくに伝える。
 10月ともなればだいぶ涼しくなってきて、紅葉の兆しが見え始める頃かと思うがこの時期の蚊が1番しつこい。ぼくは蚊に刺されやすくそして刺され跡が治りにくい体質なので大変困る。
 しかし、温度も湿度もちょうどよくて良い。一年中一定の気候が続くとしたら10月がいい。
 11月の散り際の紅葉を見送り、日に日に早く落ちて行く陽を眺め、秋の虫たちの声もしなくなったことに気付き、いよいよ冬が来るのだと身構える。

 冬が好きな理由は、暑くないからというだけではない。夏は生と死とがやかましくて落ち着かないのに対して、冬は恐ろしいほど静かで澄み渡っている。
 東京の冬は「寒い」というより「冷たい」という形容詞の方が似合う気がする。どこまでも世界は冷たく、動物も植物さえも鳴りを潜めている。だからこそ夏のように周りのカオスな生命力に揉みくちゃにされることもなく、自分の輪郭が融けていくように思うことも、呼吸音すらかき消されるような感覚になることもなく、自分の存在の実感を得られる。
 防寒具に包まれて歩いていると、安心する。
 冬の夜空はすっきりしている。白く鋭く光る月を見ると、口に含んだらひんやりと美味しそうだなぁと思う。

 だが悲しいことに冬は終わる。

 一般的に冬の終わりと春の到来というのはいいことの代名詞のように扱われているが、ぼくにとって春の到来はあまり良い事とは言えない。
 気温が上がって、空気が和らいで、花が咲き始めて鳥が鳴き始めるとぼくは居ても立ってもいられない気持ちになる。
 やわらかな陽の光やあたたかな光の色が今までの進級の記憶全てを思い出させる。毎年誰かの転校とか、お世話になった先生の離任とか、どうしようもない喪失とともに進級してきた。
 そこに留まっていることは当然できなくて、仕方なく前に歩いてきた。

 ぼくは変化をあまり好まない質である。一度愛した人を末長く愛したいし、手元のお気に入りの本はずっと持っていたいし、住み慣れた街は変わらないでほしい。過去のいい思い出をずっと反芻している。
 つまりはただただ未練がましいのだ。
 
 人間関係とか周囲の環境とかそういうものが色々変わりながらぼくは十何回目かの春を迎えて、今年、とうとうはっきりと春のことが嫌いになった。
 1年間根拠もなく持っていた大きな期待が、あえなく砕かれた。それだけで季節がひとつ嫌になるのには十分だ。
 だけど、嘆いている暇もなく、三寒四温を経て4月が来る。

 ちょうど、近所の桜が咲いた。来年桜を見る時、ぼくはまたこれを書いたときのことを思い出すだろう。言い様のない喪失感はこの先、毎年の春きっとぼくに襲い掛かってくる。
 取りこぼしたものをどうにもできないまま、予定調和のようにやってくる春が嫌いだ。

 早く冬になってほしい。


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