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行き渋り。わが家の対処法

月曜の朝の行き渋り。

息子の場合、火〜金まで元気に通うことができても、月曜の朝だけは、特別なエネルギーが必要らしい。

大人でもあるもんな。楽しい週末を過ごしたあと、月曜の通勤電車に揺られ、これから1週間のことを考えてため息をつく。
いっそ、週末なんてなければ・・・なんて考えも浮かんでしまう。

NHK「ウワサの保護者会」(2021年5月8日放送)によると、「不登校」と呼ばれる子は全国に10万人、「行き渋り」の子はその3倍の約33万人いる、との調査結果があるという。

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そして、見逃してならないのが、自分の口から「行きたくない」とは言わないものの、心の中で「イヤだな」「ダルいな」と思いつつ、我慢を重ねている子たちの存在。

娘は、小4のコロナ休校の前まで、自分から「休みたい」と言うことはほとんどなかった。親の私も、娘がよろこんで学校に行くこと、勉強や習い事をがんばっていることを、当たり前と思っていた。それらがすべてお休みになり、約2ヶ月間家でのんびり過ごした結果、それまで娘がムリを重ねていたことが判明したわけだ。

もしあの時、コロナに関係なく学校がやっていて、親もなんとかして「これまで通り」を続けさせようとしていたら、どうなっていただろう、と考えると、ある意味コロナに感謝したくもなる。

現在5年生の娘は、週に1回程度休むのは全然オッケー、むしろ頑張りすぎる傾向があるから、積極的に休むよう心がけて、という担任の先生のお墨付きをもらい、いつでも保健室や家で休める、という安心感を得ている。


息子に関しては、口からは出るのは「めんどうくさい」という投げやりな言葉だけれど、本心はちょっと違うんじゃないかな、と思っている。
彼だって、同世代の子たちと遊んだり、競争したり、協力し合ったりの活動は楽しいはずで、特に行事の練習なんかは張り切って、学習発表会の前は1ヶ月間ほとんどお休みしなかった。

彼にとっては、自分が「役に立つ」「必要とされる」ことが大事で、たとえば楽器のソロパートがあったり、司会を頼まれたり、裏方仕事を引き受けたり、という役割があると生き生きとする。
そして週1回通う「ことばの教室」では、先生たちに生物学の講義をし、恐竜の骨格についてクイズを出す、という時間を大いに満喫している。

きっと普段の授業でも、教壇に立った方が生き生きするんだろうな・・・

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自分が主体になって物事を進める時と、教室で座って授業を受ける時の脳の活性度があまりにも違いすぎて、「やる気でない」「めんどくさい」に繋がっているんだと思う。

話は戻り、月曜の朝の対処法。

まずは、学校に行く行かないは関係なく、朝ごはんを食べる。

次に、息子になにかひとつお仕事をお願いする。
たとえば、「畑にいってトマトを取ってきて」とか「回覧板をまわしてきて」とか。今朝は、コンポストの中身を埋めるため、畑に穴を掘る、という結構な重労働をやってもらった。
ついでに、忘れ去られていたジャガイモも地面から掘り出して、葉っぱつきの人参を引っこ抜いて、形のいびつさにびっくり。

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そんなこんなで9時近くになり、「そろそろ学校行こっか?」と聞いてみる。

息子は朝イチでお仕事をした達成感、役に立ったぞという満足感を得ているので、たいてい「うん」と返事をして支度をする。

「行き渋る」時って、子どもの方には「罪悪感」があって、胸を張って堂々と「行きたくない」といえる子なんてほんのわずかだと思う。
以前は「なんで行きたくないの?」と問い詰めてしまっていたけど、「行かない私・俺ってだめなんだ」とますます自分を否定する結果になっていた。

「罰」としてお仕事をさせるのではなく、本当に親が必要としてる事柄で「手伝って」という。お仕事を任せる。それをやってくれたことに対し、心からお礼を言う。

「行き渋り」にはお仕事+感謝。これが効きます。

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