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「書かざるを得ない」あなたへ捧ぐ本

図書館で資料本を借りる折、私の目に留まるべく置いてあるような本を見かけた。

さっそく手にとってページを開き、間違いなく今読むべき本だと確信した。

「図書館で借りた」というと万一著者の目に触れた際にがっかりさせてしまうので添えておくが、読み終えてすぐ手元に必要な本と考えAmazonで発注した。次著の「本を出したい」もあわせて予約済だ。

わかりやすく表紙にある通り、書く技術の本ではなく、書き続けるために必要な「書く以外の技術」を自身の体験として記した本だ。
序文をみるに、著者もバイブルとは思ってほしくないだろうし、そのような表現は適切でない。だからこれは、いうなれば書くことを一生続けたい人に宛てた「背中を押す本」だ。

読んでみて、10年前に読みたかった本だと感じた。
書いてあることには頷ける点も多く、それは私が苦労しながら体得した心構えと似ていたからだと思う。
そして、まだ私が経験した事のない「本業としてのライター」に必要なことも書いてあった。これですべてではないが、不安を払拭し前に進むには十分だった。

この本は小説家でなくライター、つまり発注を受けて書く職業人向けだが、「書く上でクオリティよりも優先すべきこと」「SNSでの否定的なコメントから心を守る方法」など、普遍的な課題へのひとつの回答が書かれている。
したがってライター志望でなくとも、学べることは多いと感じた。
本著に後押しをされたことのお礼を兼ね、この本で学んだこと、考えたことを以下に言語化したい。

本著に書かれているテーマ

本著は、著者がファッション誌のヘアライターや書籍ライターの経験を元に「潰れないで書き続ける職業人としての心構え」を説いた本だ。
巧みな文章術で突き抜けるような本ではないため、文章に関しては6~8割できれば上出来という姿勢だ。
代わりに著者が徹底するのは取材前の準備、読者層の相場観をはかる、編集者の意向とすり合わせる、といった他の職業でも通用しそうな仕事術だ。
「突き抜けた才能がない」と伸び悩む人にはうってつけの本といえる。

また、本著は書き手につい欠けがちな「どうやって稼ぐか=どう営業し価値を担保すべきか」の視点にも厚い。単純に新規の案件を募るだけでなく、「一本書き終えた後に発注を途切れさせない方法」など、企画を得意とする著者ならではのアドバイスが盛り込まれている。

面白い試みとして、文章術の項では「短文と論理構成」の二点だけを重視して伝えている。これの意図は、誤読を防ぐことで「ライターの心を謂れなき中傷から守る」という後の章の内容にもつながってくる。
理屈としては単純ながら、本全体を通して「誰に・何を体得してほしいか」の主旨が首尾一貫していることに驚いた。

誰の方を向いて仕事をするか?

書籍の内容を書くだけでは芸がないので、代わりに本を読んで思ったことを書いてみたく思う。

私が本著を推すのは、「仕事をする相手を見よう」というメッセージに満ち溢れているからだ。
書き手が忘れてはならないことのひとつに、「すべての仕事は受け手がいて成り立つ」という原則がある。
読者や取材対象のことはすぐに思い浮かぶだろうが、仲介してくれる会社や編集者のことも頭から抜けてはならない。
顧客は何に困り、どんな情報やサービスを求めているか。このサービスの強みは何か、企画として求められるのは何か。
そうした肌感を打ち合わせなどで調整しながら、GOサインが出る方向でまとめていく必要がある。

気軽にコミュニケーションがとれるような土壌の形成から、赤を入れてもらうことで修正を図る方法まで、留意すべき点をあらかじめ示してくれるのはありがたいことだと思う。

誰も教えてくれない「心の守り方」

この本を薦めるもうひとつの理由に、多くの書き手が事前に聞くことのできない「心の守り方」が書いてある点が挙げられる。

「匿名掲示板をみないように」ぐらいのことは言えるかもしれないが、SNSの発展した現代では否定的なコメントは簡単に書き手の元に届いてしまう。
実名であれ匿名であれ、何か発言をする・制作物を発表することは「好き」という肯定的評価だけでなく、どこかで必ず「嫌い」を呼ぶ。

曲がりなりにも書く仕事を続ける中で、お恥ずかしながら私もお叱りの声と無縁ではなかった。成長した今ではもっとやりようはあったと後悔しても、覆した水は盆には戻らない。
私だけではない。続けていてほしい、応援したいと思っていた同胞のいくらかが姿をくらました。かくいう私自身も、一時期物書きから退いていた時期があった。

ものを書くことは難儀な仕事だ。
一度文章や原稿という媒体を挟むがために、時折「私たちもただの一人間である」という事実は忘れ去られる。
それは単に構造上そうなってしまいやすいというだけのことであり、辛辣なコメントを書いた人をとやかく言っても解決することではない。

批判を向けられると多くの人は委縮し声に従いそうになるが、本当にそうすべきかは検討の余地がある。
なぜかといえば、自分を嫌う人のために仕事をするより、自分を好いてくれる・好きになってくれる人の方を向いて仕事をする方が格段にいい仕事ができるからだ。
本著にあるようなしたたかな心の守り方を、10年前の自分がすぐ実践できたとは思わない。
ただ、「こういう考え方もある」と念頭に置いていれば、いくらか視野も広がりダメージも違ったのではないかと思う。

書くこと、生きること、不可分である二つの事象

私事になるが、私は一時期ブランクを挟み、「物書く人々」の界隈に再び戻った。
他の経験をして、二度は戻らないだろうと思いながらもつい戻ってしまったあたり、いい加減本性とあきらめざるを得ないのかもしれない。
本業でも結局何かしら「書く」役目が回ってきた上、余暇の時間を「魂の本業」とさえ思う始末だ。

私の好きな歌に、筋肉少女帯の「踊るダメ人間」という歌がある。
歌の最後ではオーケンこと大槻ケンヂが「それでも! 生きていかざるを得ない!」と叫ぶのだが、私の中では「書いていかざるを得ない」に代えてもしっくりくる。

かの村上龍氏は小説家を「最後の職業だ」といったと聞く。大いに頷くところで、わざわざ目指すべきではないというのに、この世には一定数、書くことから逃れざる運命にある人もいる。

そうした人がキャリアを築く、つまり「書き続ける」ためにはどうすればいいか。先達の示したひとつのたたき台に、敬意を表したい。

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