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〝溢れ返ったオモチャ箱〟から子どもたちの未来を想う。

モノで溢れすぎることは豊かなのだろうか。


3歳の娘のために通信教育を購読している。
だけれど、近頃ものすごく「違和感」を感じている。

サブスクサービスで付いてくる
どんどん溜まっていくたくさんのオモチャ。
正直絵本だけ欲しい、と感じている。
だが、売る方は「付加価値」として
研究を重ねたエデュケーショナルなオモチャを提案してくれる。
とてもありがたい。
子どもはそれでかなりの勉強ができた。
嬉しかったし、助かった。何度も助けられた。

・・・・・。

毎回お子様ランチについてくるおもちゃ。
もらった時はこどもはそれに集中してくれる。
そのおかげで親が食事をできることもある。
店員さんにお礼を言い、コミュニケーションの練習にもなる。
とてもありがたい。

モノはとても素晴らしい。
・・・・・しかし。それと同時に。

近頃はそのおもちゃがちょっと〝コワイ〟
計り知れない量のプラスチック、
その後の、オモチャの行方は?
燃えないゴミ?
全国の定期購読している数の子供たち×年数分
近頃はリサイクル提案をしてくれることも多いけれど。
親はすごくやることが多いから、
手っ取り早く捨てることで処分している人も多いだろう。


モノが付加価値として、与えられすぎることに、すごく違和感を感じる。

大人の女性雑誌でも、
豪華な付録が昨今の常識になっている。
私も地方エンタメ誌の編集業をしていたことがあったので、
手に取ってもらうための工夫、理由は納得できる。
雑誌には広告、進化した付録なんて
+モノのサービスが当たり前になりつつあるけれど。

・・・でも、モノ以外だって、全然いいと思う。

美しき未来を創るモノづくりとは


長年モノづくりに携わる鉄工所運営の父も、
「売り」に徹するオモチャ売り場を見て、思わず呟いていた。

「(オモチャたちは)子どものために造られたモノだけれど
果たして〝未来の子どものため〟になるのだろうか」

モノ以外の方法はないだろうか。
本当に欲しいものだけ、を与えてくれる方法はないか。
断ったり、要らないと言えることもできるけれど。
その前に、各々が「次」の価値を設けていくしかない。

私は現在自身の小さなメゾンで
アイテム製作をしているけれど。
「モノのその後」を常に考えるようにしている。
創り出すものの責任・エチケットとして。

もし仮に、モノだけを「ハイ」と渡されるくらいならば
心が通じる〝モノとは違った〟方法が欲しい。


子どもたちが店員さんとじゃんけんをして、
お店で輪投げをして・・・「体験」をプレゼントしてくれるのだって嬉しい。
結局のところ、お店が渡したいのは「笑顔」のはず。

モノを売らなきゃ、お金にできない。
という構造自体を移行しなければならないのかもしれない。
現在の常識とは「本当の常識かどうか?」
常に通例を疑った、ご提案を。
MAISON de Univereseでできる社会貢献を
今一度、考えていきたい。


目の前の人を幸せにできることは何か?
本来の豊かさはどこにあるのか?


まだまだ旧時代の名残がある。
今は、新時代に移行するカウントダウンの最中にある。


100年後の未来。美しき場所に、
健やかで美しきマインドの人類が溢れているように。
それは大袈裟かもしれないけれど、
大きな目標をもって
真実のモノづくり、ホスピタリティに向き合っていきたい。

ありがとうございます! 社会を明るくする企業を目標に全力で頑張ります!!