見出し画像

【エッセイ】後発組の憂鬱

後発組の憂鬱

様々な分野の後発組は不利を被る。時代を経るにつれてより多くの高度な知識と長い歴史を学ばねばならなくなる上に、ライバルも増加するからだ。研究・創作をするにしても先達がほぼ未開拓分野に手を付けていて、比較的簡単に実現しそうなことはやりつくされてしまっている。

後発組の憂鬱

それ故に、何がなされていて、何がなされていないのか業界・分野の全体像を把握するのがまずもって難しい。何をどうすれば良いのか分からない迷子になりがちな後発組に残されているのは(1)実現不可能と思えるほどレベルの高いこと、あるいは(2)しょうもないと見なされて誰もやっていないことくらいだ。つまり、どんどん功が立てにくくなる。

「昔は良かった」と言っている人は過ごした時代は色んなことが黎明期にあって、多くの人にとって新鮮で、素人でも挑戦すればレベルは低くても認められるとても贅沢な時代を生きることができたのだろう。しかし、そんな時代に戻ることはもうない。

時代の変遷とともに法律や倫理による縛りが増えただけでなく、先達が挑戦をすればするほどできることはどんどん少なくなるのに、要求されるレベル・面白さは天井知らずに上がっていく。このような三重苦をデフォルトで背負わされている後発組が「最近の若いもんは……」などと言われる筋合いなどないと思うわけである。

「こんなに美味しいものがあるのにどうしてお前らは手を伸ばさないんだ?」と雑に食い荒らされた残飯をすすめられている気分になる。現代になってそのツケとも言えるような「SDGs」に自分が感じる空虚感はそれである。後発組のやれることを奪い、手つかずのままだった昔を思うままに楽しんだ先達はそりゃ大層良かっただろうよ、と文句の一つは言いたくなる。

「ためになるわ」と感じて頂ければサポートを頂ければ幸いです。よろしくお願いいたします。