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初めて語られる動物の「青年期」!『WILDHOOD(ワイルドフッド) 野生の青年期』冒頭試し読み②

いよいよ今週末発売! ベストセラー『人間と動物の病気を一緒にみる』(インターシフト、2014年)の著者最新作『WILDHOOD 野生の青年期』から、「プロローグ」をお届けします。

今回は2回目。ユヴァル・ノア・ハラリも絶賛の1冊です。

試し読み第1回目はこちら

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生きるための四つの必須スキル

 最も重要な点を見ていこう。ワイルドフッドの間に直面する四つのきわめて重要な課題は、キッチンカウンターの上のバナナにいる成長途上のミバエでも、タンザニアのセレンゲティ国立公園で成獣になろうとする時期、力強く咆哮するライオンでも、仕事、学校、友人、恋愛関係、そのほかの任務のバランスを取りながらうまくやろうとしている一九歳のヒトでも、みな同じなのだ。その課題とは。
 安全でいるには?
 社会的ヒエラルキーのなかをうまく生き抜くには?
 性的なコミュニケーションを図るには?
 親もとを離れて自立するには?
 絶対不可欠なこの四つの事柄は、おとなになってからもずっと課題でありつづける。しかし、その課題はAYA世代(思春期および若年成人期)で初めて現れ、親の支えや保護なしで取り組まなければならないことが多い。ワイルドフッドでの経験によって、生きていくうえで必要なスキルが身につき、おとなになってからの運命が決まるのだ。
 危険を避ける。集団のなかでの居場所を見つける。相手の気持ちを引きつけるためのルールを学ぶ。生活の自立と目的をたしかなものにする。こうした能力は普遍的なものだ。なぜなら、そうした力は若い動物が物騒な外の世界に出ていって生き残るのを助けてくれるからだ。スキルを学ぶのは、死ぬまで順調に過ごしたいなら必須の課題だ。
 SAFETY(安全)、STATUS(ステータス)、SEX(セックス)、SELF-RELIANCE(自立)。この四つのスキルはヒトでもその体験の核にあり、引き起こされる悲劇や喜劇、壮大な冒険の旅の根底をなしている。
 おとなへと向かおうとする青年期動物にとっては、うまくいかないことのほうが格段に多い。しかし、その道程をなんとかこなせば、成熟したおとなの動物として生きていける。この図式の意味するところは常に変わらない。ワイルドフッドの間、個体は四つの課題にぶつかり、それぞれに関する技能を磨いてきた。彼らはただ年齢を重ねただけではない。「成長した」のだ。ワイルドフッドの旅路は六億年以上もの間、無数の動物がたどってきた。古代からのこうした限りない経験の積み重ねは、現代の成熟したおとなとして成功するために生き抜く方向を指し示してくれる格好の地図になると考えている。

デジタル世界でおとなになること

 あとでも述べるように、動物には「文化」(他にもっといい言葉がないのでそうよぶ)があり、それによっておとなになろうとする若者にこの四つのスキルが伝えられる。ひとつの種でも、文化の細かい点は地域ごと、集団ごとで違う場合があり、それはヒトの文化に際限なく差異があるのと同じだ。
 しかし、実のところ、ヒトがほかの動物とはっきりと違っている領域がある。それは、今の一〇代の若者がおとなになるためには、ふたつの全く異なる世界、つまり自分たちが現実に生きている共同体の世界と、もうひとつはデジタル世界を両方とも生きていかなければならない点だ。
 四つの重要な技能は、インターネット世界でも、現実世界のときと全く同じように十分に通用する。ただしこのふたつの世界のカルチャーがあまりに違いすぎることがあるので、現代の多くのティーンはおとなに向かう旅を同時にふたつ平行してこなす必要がある。
 たとえば、第二部で探っていくように、社会的動物は、海にいる魚から教室に駆けこむ高校生まで、仲間うちのヒエラルキーのなかでうまく舵取りして進むことを学ばなければならない。そのために若者たちがやることのなかに、「高いステータスの者とのつきあい」とよばれているものがある。これは、学校に行ったり、仕事をしたり、社会生活を送った経験のある者にとってはすぐにぴんとくる話だ──権力を持つ人々のまわりで一緒に過ごせば、自分自身のステータスを上げられる。ヒト以外の動物の集団でそうした行動がどのような効果を発揮するか、興味深い内容を後ほどつぶさに述べたいと思うが、ここでは、現代のヒトの若者と彼らの生活に、インターネットがさらに加えた各種のヒエラルキーについて考えよう。一〇代の若者がマルチプレーヤーゲームやソーシャルメディアで時間を過ごすと、同じ電子空間につながっているメンバーたち全員と比べられて、ときに見えない形で、あるいは露骨に評価され、分類され、ランクづけされていくだろう。スポーツの花形選手やポップスターに賞賛されて自分のステータスがアップするのを想像してほしい。アイドルから非難されてものすごい屈辱を味わうことになったらどうなるかも。
 親たちやほかの年長者たちは、現実世界でAYA世代を導く経験をたっぷりしている。しかし、デジタル世界を十分に享受して年を重ねた人はまだ誰もいない。生きていくうえでのこの四つのスキルは、新たに出現した領域をもっと簡単に推し測れるカテゴリーにふるい分けするのに役立つだろう。というのも、現実世界での課題は、オンラインでも通用する部分があるのだ。トロールや捕食者から身を守るためには? ネットワーク上のヒエラルキーのあつれきを切り抜けていくには? 自分の性的関心を表現するには? デジタルな自分、つまりデジタル社会でのアイデンティティを形づくり、育て、維持していくには?

「ワイルドフッド」という言葉

「地球上でおとなになること」という講座で教えるときは、いつもちょっとした調査をする。「自分を青年だと思う人は手を挙げて。次は、自分をおとなだと思う人は手を挙げて」。学生たちの年齢はみんな一八~二三歳だが、このふたつの質問にそれぞれ即刻あるいは自信ありげに手を挙げる者はめったにいない。どちらの問いにも「イエス」と手を挙げる学生も多い──僕たちは青年でありおとなでもあるのです。
 もし若者が自分たちのことを言うのに「adolescent(青年期の若者)」という言葉を使わなかったら、十分に(もしくはほとんど)成長しているのに、完全には成熟していない新しい生きもののことを何とよべばいいのだろう。体は大きいが経験に乏しく、性的機能は働くようになったが脳の成長はまだあと何年もかかるような者たちをどう位置づけたらいいのだろうか?「adolescentia」という言葉は、おとなになるという意味のラテン語「adolescere」から来ており、古くは一〇世紀の中世の文章に出てきて、聖人が若いころに迎えた宗教的な転機を指すのに使われた。北アメリカでは、一六〇〇年代のなかば、ニューイングランド地方のピューリタンがこの時期を「chusing time」〔訳註 chuse はchooseの古語〕とみなし、それまでの軽薄さを捨て去り、おとなとしての務めを担うべきときとした。そのころ、そうした一人前になろうとする人々は長らく「youth」とよばれていた。一八〇〇年代後半になって、「adolescent」という言葉が代わって広く使われるようになる。
 フラッパー、ヒップスター、ボビーソクサー、ティーニーボッパー、ビート族、ヒッピー、フラワーチャイルド、パンク、Bボーイ、バレーガール、ヤッピー、X世代──こうした言葉は、二〇世紀アメリカの特定の文化に属していた若い人々について語るときに持ち出されてきた。「ティーンエイジャー」という言葉が最初に活字で登場したのは一九四一年であり、すぐに多くの人々に使われるようになる。ほぼ八〇年経った今日でさえ、「ティーンエイジャー」は「adolescent」の言い換え語として人気だ。若者の脳の発達は一三歳より前に始まり、一九歳をはるかに過ぎても発達しつづけることを神経科学者たちが明らかにし、「ティーンエイジャー」は科学的に見ると完全な同義語ではないにもかかわらず、その言葉は便利に使われている。また、過去一〇年かそこらの間は、「ミレニアル世代」〔訳註 米国で一九八〇~二〇〇〇年代初頭までに生まれた人々〕はこのライフステージ全体を占めていたが、今となっては、ほとんどのミレニアル世代が思春期・若年成人の時期を通り抜けてしまった。「GWoT世代(対テロ世界戦争世代)」は、「テロリズムに対する世界規模の戦争」というアメリカ軍の専門用語が使われているが、これは同時多発テロ事件が起きた時期に年ごろになった人々を指している。また、北アメリカでは、少年少女を指すのに最初に必ず使われる言葉として「キッズ」をよく耳にし、青年たち自身でもよく使う。しかし、彼らがいったん高校後半に進むと、キッズという言葉は幼すぎるように聞こえる。
 子どもとおとなの中間地点にいるヒトとヒト以外の動物双方を表すような、もっと適切な言葉、太古からのすべての生きものの共通性をカバーする言葉がないか、私たちは探してみた。あまりに客観的すぎる表現もあった(「前成人」「新成人」「分散者」)。不快なあるいは侮辱的な表現もあった(「亜成体」「未熟者」)。詩的な表現もあった(「巣立ちしたばかりのひな」「デルタ」「シラスウナギ」〔訳註 ウナギの稚魚〕)。世界各地の言葉では、日本語の「青年」やロシア語の「リーシニー・チェラヴェーク(余計者)」といったすばらしい言い方があるのだが、ほかを差し置いてひとつの文化圏の言葉を選んでしまうのはよくないのではとためらった。
 私たちが探していた言葉は、種の壁を越え、生態と環境が相まって成熟した個体をつくり上げる時期をすっぽり包みこむ必要があった。その言葉は特定の年齢、生理的な兆候、文化・社会・法に定められた節目にも制約されないものであるべきだ。そして、ライフサイクルのこの独特な段階にある脆弱性、興奮、危険、可能性をとらえる言葉でなければいけない。私たちの最初の著書のタイトル『Zoobiquity』は、「動物」を意味するギリシャ語の「zo」という部分と、「偏在」を意味するラテン語をつなげて新しくつくった言葉だ。本書のために、私たちはタイトルにするべく再び造語に取り組んだ。このライフステージの何が起こるかわからない状況をとらえ、動物としての共通するルーツがあることをはっきりと掲げるために、「wild」を選ぶ。そして、古期英語から来た接尾辞「hood」をつけ加えた。フッドとは「あるときの状態」を表し(「少年時代」「少女時代」などの言葉の一部)、あるいは「集合体」の意味となるので(「近所」「修道女の共同体」「騎士団」などの言葉の一部)、青年期動物の地球規模のつながりのなかに存在するメンバーであることが示せる。進化の長大なときのなか、種の区別なく見られる成長段階で、子ども時代を引き継いでおとなになるまでの一時期を、「ワイルドフッド」と名づけることにしたのだ。

領域横断的アプローチ

 本書のために私たちが集めてまとめた科学的証拠は、UCLAとハーバード大学での五年間の研究成果である。その研究領域は進化生物学と医学が交差している地点に当たるため、両方の分野の強力な研究ツールを利用できた。さまざまな種の青年期を比較する研究に対して大規模なシステマティックレビューを行い、その結果を使って、系統学的観点からさまざまな生物の進化の道筋を考察した(システマティックレビューとは、ここ二〇年の間に進歩した検索技術を利用して、世界中の科学データベースに狙いを絞って徹底的に調査することだ。また、系統樹とは、異なる種どうしの進化のうえでの関係を示した図で、単純な系統図になることもあれば、何千ものデータポイントが含まれる複雑なコンピューターモデルになることもある)。また、世界中を回り、大自然のなかや野生動物保護区域でフィールドワークを行い、青年期動物を観察した。ヒトの青年期の専門家や、野生生物学、神経生物学、行動生態学、動物福祉学の研究者たちにインタビューも重ねた。
 この本はさまざまなグループの人たちにとって重要な意味合いを持つと考え、科学者と一般読者の双方に読んでもらえるように書き進めた。本文と直接関係のある参考資料は巻末の註に記した。私たちの研究、一次資料、興味深いコンテンツへのリンクなどを含む幅広い参考文献・資料一覧は、オンラインで入手できる。若者を育てる、教える、研究する、治療する、導く、指導する立場の人々、あるいは、若者と一緒に働く人たち、そして一番大事なのは、若者たち自身がこの本を読んで、さらに考えを深めていってほしい。
 著作していた時期と場所は二一世紀初めのアメリカであり、内容はその様相を反映するはずだ。私たちは青年期の個別の困難や喜びまで理解できるとは考えていない。とはいえ、本書を執筆している間、私たちはひとつの個人的な動機を抱えていた。私たちの子どもはちょうど青年期に入っていたのだ。計画が動き始めたとき、キャスリンの娘は一三歳、バーバラの娘と息子はそれぞれ一六歳と一四歳だった。三人とも今では大きくなったが、当時、青年期のヒトの母親であったのはあれこれと役立った。私たちはワイルドフッドの実情を身近で確かめられたのだ。北極圏、成都、メイン湾、ノースカロライナ州などへの現地調査旅行を終えて戻るのは、あふれんばかりの活力あるティーンたちがいるわが家だった。そして、その年ごろの複雑だが束の間の不思議さを思い知らされたものだ。

挑戦の旅路はみな同じ

 私たちのオフィスはハーバード大学の比較動物学博物館のなかにあり、この本の大半をそこで執筆した。博物館には別世界とつながる秘密の通路がある。その特別な吹き抜け階段を上がり、(左に行かずに)右へ曲がると、ピーボディ考古学・民族学博物館へと行きつく。そこは人類の文化遺産を収集・保存する施設だ。ときに仕事で頭がいっぱいになっていると、ひとつの世界にいたかと思えば、次にはまるっきり違う世界で迷子になった。片側は、恐竜の骨から分子遺伝学まで、比較動物学の成果の世界。もう一方は、数千年のヒトの創意工夫、粘り強さ、協力、愛が、物の形となって現れている世界だ。双方の領域──動物学と人類学、動物とヒト──これは、地球上の生命の多様性にほかならない。
 象徴的な境目を越えてふたつの異なる世界を何度も行き来するうちに、私たちは実地に見た動物のなかから青年期の個体を見分けられるのと同じくらい、ピーボディ博物館の収集品のなかから青年期のしるしを選び出すのがうまくなった。おとなになるというメッセージの伝わる工芸品を、私たちは身近に感じ、ほとんど愛着といっていい感情を抱いた。太平洋の真ん中の小さな島のよろい一式であろうと、五世紀のメソアメリカの若者のつけていた金のペンダントであろうと、北米の先住民ラコタ族の求愛の毛布であろうと、イヌイット族の若者の雪かき用シャベルであろうと、ヒトとしての試金石の数々は、この特異的である一方で普遍的な成長段階をより親しみ深いものにしてくれた。
 言うまでもないが、古今の成長物語で、若者は必ず冒険の旅をつづける。彼らは家を追い出され、あるいはもめごとの末に逃げ出し、あるいは孤児となって、波乱万丈の世界へ向かう。危険なまでに準備ができておらず、その様子はときに滑稽なほど、あるいは致命的に無防備だ。親のもとを離れて旅するなかで、彼らは捕食者や搾取者を撃退する。友人をつくり、敵を見分けるすべを学ぶ。恋に落ちることもある。そして、自力で生きていけるようになる──自分の食べるものを見つけ、自分の住むところを確保し、それから物語の最後はだいたい、自分が生まれ育った共同体に再び加わるか、あるいはそれを拒んで新しい共同体を自分で築くかを選ぶことになる。
 本書では、四匹の野生動物が生物学者たちによって数カ月、数年とかけて追跡されて明らかとなった彼らの実際の成長物語を通して論じていく。主人公はヒトではない。ただし、四匹とも青年期を迎えた動物だ。南極大陸にほど近いサウスジョージア島で生まれ育ったキングペンギン、アーシュラは両親のもとから出発した最初の日に、恐ろしい捕食者に出くわせばほぼ間違いなく殺される海域に入りこんでいく。シュリンクは、タンザニアのンゴロンゴロ・クレーターで生まれたブチハイエナだが、ハイエナ版高校内ヒエラルキーでなんとか暮らしていこうとする際にいじめに遭いながらもがんばって、一方で友情も結ぶ。ソルトは、ドミニカ共和国の近くの海で生まれ、北大西洋海域群に属するザトウクジラだ。毎年夏になるとメイン湾まで移動してそこで過ごす。そのソルトは性的欲求に目覚める時期となり、パートナーに何を望んで何を望まないのかを伝える方法を学ぶ。そして、最後は、故郷から遠く離れ、苦しいが刺激的な旅に出たヨーロッパオオカミのスラウツ。自分の食べるものを狩ろうとし、新たな共同体を見つけようとするが、餓死寸前となり、溺れかけ、極度の孤独に追いこまれる。
 彼らの話の記述は物語体を選んだ。おとなに向かう青年期のそれぞれの旅路でほんとうに起きたドラマをきちんととらえたいと考えたからだ。しかし、物語の形をとっていても、GPS・人工衛星通信・発信機付き首輪を使った調査データ、査読つき論文、公表された報告書、かかわった研究者へのインタビューをもとにして、細かな点まですべて事実だけを記している。
 何億年もの進化の道筋の間に、四匹の野生動物はそれぞれ異なる種となっているが、共通の体験、課題、ワイルドフッドという成長段階を通じて、実は互いに、そして私たちヒトとつながっているのだ。
 南極圏に近い危険な海域、タンザニアの草原、まばゆいカリブ海、死のトライアングルと、どこで経験しようと、ワイルドフッドは、大自然のあらゆるところで、そしてヒトの生活のなかにまで見られる。それはおとなになっての運命を形づくり、ときには決定づけもする。地球上のすべての生物がともに受け継いでいく、はるか大昔から遺されてきたワイルドフッドは、若い動物が立ち向かってくるのを待っている。

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『WILDHOOD 野生の青年期』紹介ページ

■著者紹介

バーバラ・N・ホロウィッツ
ハーバード大学人類進化生物学客員教授。
カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)心臓内科教授。
進化・医学・公衆衛生に関する国際協会(ISEMPH)会長。
バウアーズとの前著に『人間と動物の病気を一緒にみる』がある。

キャスリン・バウアーズ
科学ジャーナリスト。
UCLAとハーバード大学で動物行動学とライティングを教える。ワシントンD.C.にあるシンクタンク「ニューアメリカ」フューチャー・テンス・フェロー。ロサンゼルスのNPO「ソカロ・パブリック・スクエア」編集者や「アトランティック・マンスリー」誌編集員を務めた。

■訳者紹介

土屋晶子
翻訳家。
訳書に『フューチャー・イズ・ワイルド』( ダイヤモンド社) 、『寿命100歳以上の世界』(CCC メディアハウス) 、『人間と動物の病気を一緒にみる――医療を変える汎動物学の発想』( インターシフト) などがある。

■目次

プロローグ

第I部 SAFETY(安全)
第1章 危険な日々
第2章 恐怖の本質
第3章 捕食者を知る
第4章 自信にあふれた魚
第5章 サバイバル・スクール

第II部 STATUS(ステータス)
第6章 評価される時期
第7章 集団のルール
第8章 特権を持つ生きもの
第9章 社会的転落の痛み
第10章 味方のちから

第III部 SEX(セックス)
第11章 動物のロマンス
第12章 欲求と抑制
第13章 初体験
第14章 強制か同意か

第IV部 SELF-RELIANCE(自立)
第15章 旅立ちまで
第16章 生きるために食べる
第17章 ひとりでやり抜く
第18章 自分を見つける

エピローグ

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