私たちはいかにヒトになったか?『文化がヒトを進化させた』試し読み
私たちは、いかにヒトになったのか? この壮大な人類史の謎に迫るべく、著者はこれまで進化の話では軽視されてきた「文化」の力に光を当て、斬新な説を提唱します。世界的な心理学者ジョナサン・ハイトが「革命を起こした」と称賛したスリリングな科学書。本書から、そのエッセンスが詰まった第1章をお届けします。
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不可解な霊長類
あなたも私も、かなり特異な性質をもった謎の霊長類の一員だ。
農耕が始まり、都市が生まれ、生産技術が発達するはるか以前に、人類の祖先は地球上のすみずみにまで広がっていった。乾ききったオーストラリアの砂漠から、凍てつくシベリアの大地まで、陸上生態系のほぼ全域に──どんな陸生哺乳類よりも多種多様な環境に──生息するようになったのだ。
しかし、不可解なことがある。人間は肉体的な力が弱く、俊敏さに欠けており、木登りが得意というわけでもない。大人のチンパンジーに簡単に打ち負かされてしまう。たしかに、人間は長距離を走るのが得意で、物を速く正確に投げることができる。しかし、走るスピードとなると、ライオンやトラのほうがはるかに上だ。また、人間の消化管は有毒な植物を無毒化する機能が貧弱なのに、ほとんどの人間は有毒植物と食用植物をなかなか見分けられない。人間は加熱調理した食物に依存しているが、火起こしの方法や調理の仕方を生まれつき知っているわけではない。人間と同じようなものを餌にしている、体の大きさも同じくらいの哺乳類に比べると、人間の腸はあまりにも短く、胃も歯もあまりにも小さい。人間の赤ん坊は、頭蓋骨がまだ癒合しないうちに、ぽっちゃりした危険なほど未熟な状態で生まれてくる。人間の女性は、他の霊長類とは違い、月経周期とは無関係にいつでも性行為が可能で、閉経後も(つまり生殖機能が失われてからも)長い年数を生きる。
そして、何よりも意外なのは、特大サイズの脳をもっているにもかかわらず、人間はそれほど聡明ではないということだ。少なくとも、ヒトという種が地球上で大成功を収めている理由を説明できるほど、生まれつき賢いわけではない。
そんなことはないさ、とあなたは思うかもしれない。
では、あなたを含めた五〇人と、コスタリカのオマキザル五〇匹とがサバイバルゲームで競ったらどうなるか考えてみよう。両チームを落下傘で中央アフリカの奥地の熱帯雨林に落とすのである。二年後にまた行って、各チームの生存者数を数える。そして生存者の多いほうを勝ちとするのだ。もちろん、両チームとも装備品の持ち込みは一切許されない。マッチ、水容器、ナイフ、靴、眼鏡、抗生物質、鍋、銃、ロープはすべて禁止。ただし、ヒトチームにだけ、衣服の着用を許可する。このような条件のもとで、両チームとも二年間、生き残りをかけて、慣れない森林環境に挑むのだ。頼れるのは、自分の知恵とチームメイトのみ。
さあ、勝つのはどちらだろう? サルチームだろうか、それともヒトチームだろうか? では尋ねるが、あなたは矢、網、シェルターの作り方を知っているか? 有毒な植物や昆虫(ものすごい数にのぼる)を見分けられるか? その毒抜きの方法を知っているか? マッチを使わずに火を起こせるか? 鍋を使わずに煮炊きできるか? 釣針をこしらえられるか? 天然接着剤の作り方を知っているか? 毒蛇を見分けられるか? 夜間に獣に襲われたらどうやって身を守るか? どうやって水を手に入れるか? アニマルトラッキング(足跡、食痕、糞などからその動物の種類や行動を探ること)の知識はあるか?
現実を受け入れよう。大きな頭蓋をもち、やたらと自負心の旺盛なヒトチームは、おそらくサルチームに惨敗するだろう。アフリカは人類発祥の地である。そのアフリカでの狩猟採集生活にまるで役立たないとしたら、私たちの大きな脳はいったい何のためにあるのだろう? どのようにして地球上のありとあらゆる環境に広がっていくことができたのだろう?
人類の成功の秘密は、生まれつき備わっている知能にあるのではない。では、更新世の狩猟採集民だった人類の祖先がいつもさらされていたような問題に直面すると、特殊な知能が発揮されるのかと言えば、そういうわけでもない。そもそも、地球上のありとあらゆる環境で生存し、繁栄することができているのは、個々人の知能によるのではない。このあと第2章で見ていくが、私たち人間は、文化として受け継いできた知的スキルやノウハウを奪われてしまうと、どうにもならなくなる。問題解決能力テストでサルと対戦しても、あまりぱっとしない。ヒトという種がなぜこれほど成功しているのか、何のためにこれほど大きな脳があるのか、さっぱりわからなくなってくる。
実を言うと、私たちはこれまでに何度も、ヒトがさまざまなサバイバル試験を受けるのを見てきている。不幸なヨーロッパ人探検家たちが、カナダ北極圏やテキサスのメキシコ湾岸の苛酷な環境の中で、生き延びようと奮闘しながら、にっちもさっちもいかなくなってしまった事例がそうだ。第3章で見ていくが、どの場合もみな、同じような結末を迎えている。探検隊が全滅するか、あるいは、そのうちの何人かが地元の先住民に救出されるか、のいずれかなのだ。こうした先住民は、何百年、何千年も前から先祖代々、その土地の「苛酷な環境」にうまく適応して生きてきた人々だ。
もうおわかりだろう。ヒトチームがサルチームに勝てないのは、ヒトという種が文化への依存度を高めながら進化してきた種だからなのである。そんな動物はヒト以外にはいない。ここで言う「文化」には、習慣、技術、経験則、道具、動機、価値観、信念など、成長過程で他者から学ぶなどして後天的に獲得されるあらゆるものが含まれる。
ヒトチームが生き残れるとしたらそれは、エフェ・ピグミーのような中央アフリカの熱帯雨林に暮らす狩猟採集民のグループにたまたま出遭って仲良くなれた場合に限られる。ピグミー族は背丈は低くて小柄だが、はるか昔からアフリカの熱帯雨林で繁栄を続けてきた。なぜそれができたのか? 熱帯雨林で生存し繁殖するのに欠かせない知識や技能が、先祖代々連綿と受け継がれてきたからなのだ。
人類進化のプロセスや、他の動物とこれほど異なる理由を理解する上で何よりも重要なのは、人類は文化に依存している種である、と認識することだ。おそらく今から一〇〇万年以上前のことだろう、人類の祖先たちは互いに他者から学び、それを文化として蓄積していくようになった。つまり、狩りの仕方や、道具の作り方、獲物の追い詰め方、食用植物の知識などを他者から学んでは改良を加え、前世代から受け継いだ技術や知識に磨きをかけて、次世代に伝えていくようになったのだ。
このようなプロセスが何世代か続くうちに、技術や習慣のツールキットが生まれた。個人が自分の創意や体験だけに頼っていたのでは一生かかっても生み出しえない、大規模で複雑なツールキットだ。イヌイットのイグルー、フエゴ島民の矢、フィジー諸島民の魚食のタブーから、数字、表記体系、そしてそろばんに至るまで、複雑な文化パッケージの例をこのあと多数見ていく。
こうした有用な技術や習慣が何世代にもわたって蓄積され、改良が重ねられていくようになると、文化習得に秀でた個人が自然選択において有利になった。つまり、常に増えつづける情報を、うまく取り入れて利用できる個体が生き残るようになっていったのだ。そして、この新たに登場した文化進化の産物──火、調理法、切断用具、衣類、身振り語、投槍、水容器といったもの──が主要な選択圧として作用し、ヒトの脳や身体に遺伝的な変化をもたらした。この文化と遺伝子との相互作用──文化-遺伝子共進化と呼ぼう──がヒトという種を、自然界には例のない新奇な進化の道筋へと駆り立て、他の種とはまるで異なる新たなタイプの動物にしたのである。
ところで、ヒトが文化に依存している種であることを認めると、進化論的アプローチの重要性がよりいっそう増してくる。このあと第4章で取り上げるが、ヒトがもっている、他者から学ぶ能力それ自体が、磨きぬかれた自然選択の産物なのだ。ヒトは適応力の高い学習者で、生まれて間もない時期から、どういった場合にはだれから何を学べばよいかを慎重に選んでいる。その後、大人になるまでずっと(経営大学院の学生でさえ)、名声、実績、力量、性別、民族性などを手がかりに、無意識かつ反射的に、注目すべき相手を選んで学び続ける。そして、相手の嗜好、動機、信念、戦略、賞罰基準などをたちまち自分のものにしていくのである。
こうした選択的な注意と学習のメカニズムが働くことによって、個々人が記憶して次世代に伝える内容が方向づけられ、文化は目に見えないところで進化を遂げていく。同時に、文化的情報の蓄積と遺伝子の進化との相互作用によって、ヒトの身体の構造や生理、心理が形成されていく。そのプロセスは今もなお進行中である。
ではまず、身体構造や生理について見てみよう。生存に有利な文化的情報を獲得する必要性が高まったことによって、脳容積の急激な拡大が促され、そうした情報をすべて蓄えて整理するスペースがもたらされた。同時に、幼年期と閉経後の生存期間が長くなって、こうしたノウハウのすべてを習得する時間と、それを次世代に伝える機会が与えられた。文化の影響は、ヒトの身体の至る所に見てとれる。ヒトの足、脚、ふくらはぎ、腰、胃、肋骨、手指、靭帯、顎、咽喉、歯、眼、舌、その他さまざまな部分に遺伝的変化を引き起こしたのは、まさに文化なのである。そして、他の動物よりも身体能力の劣るヒトに、優れた投擲能力や長距離を走る能力を与えたのもやはり文化なのである。
次に、心理面について見てみよう。ヒトは複雑で巧妙な文化進化の産物にすっかり頼って生きるようになり、今日では、自分の経験や天性の直感力よりもむしろ、所属する共同体から学んだことを信じるようになっている。実際、人知を越えたところで進行する文化進化の選択のプロセスは、個々人が知恵を絞るよりも賢い「解決法」を生み出してくれるのだ。こうしたことがわかってくると、一見不可解な事柄にも説明がつく。その例として、第7章では次のような疑問を解明していこう。暑い地域に暮らす人々はなぜ香辛料を多用し、それを美味いと感じるのか? アメリカ大陸の先住民はなぜトウモロコシ粉にいつも焼いた貝殻や草木灰を混ぜたのか? 古代の占いの儀式はなぜ、狩猟の成功率を上げる効果的な戦略になり得たのか?
生存や繁殖に有利な情報が人々の頭脳に貯えられていくにつれて、ヒト社会には、それまでになかった新たな社会的地位が生まれた。プレスティージ(信望・名声)に基づく地位である。ヒトの社会では現在、祖先のサルの時代から引き継いだドミナンス(腕力・権力)に基づく地位と並んで、プレスティージが力をふるっている。
プレスティージの偉力を理解すると、さまざまな謎が解ける。人はなぜ無意識に成功者のしゃべり方をまねるのか? レブロン・ジェームズのようなバスケットボールのスター選手に、なぜ自動車保険を売り込む力があるのか? パリス・ヒルトンのような、有名であることで有名なタレントがいるのはなぜか? 名望家はチャリティーイベントでは真っ先に寄付すべきだが、最高裁判所のような意思決定機関では最後に発言すべきなのはなぜか? プレスティージの出現とともに、ドミナンスにまつわるものとはまったく異なる情動や動機やディスプレイ行動が生まれていった。
社会的地位以上に、ヒトの遺伝子を取り巻く環境を変化させたのが、文化が生み出した社会規範だった。親族関係、結婚、食物分配、育児、助け合いなど大昔から最重要だった領域も含め、広範囲にわたるヒトの行動が社会規範の影響を受ける。人類の進化史を通してずっと、社会規範はヒトの行動を規制してきたのだ。食のタブーを無視する、儀式をないがしろにする、姻戚に狩猟の分け前を与えないといった規範破りを犯すと、評判を落とし、陰口を叩かれ、結婚の機会や仲間を失うはめになった。たびたび規範破りを犯すと、村八分にされ、場合によっては村人の手で処刑されることもあった。
このようにして、文化進化によって生まれた自己家畜化のプロセスが、ヒトの遺伝的な変化を促し、その結果、私たちは向社会的で、従順で、規範を遵守する動物になっていった。共同体に監視されながら社会規範に従って生きることを、当然のこととして受け入れるようになったのだ。
重要な疑問の多くが、この自己家畜化のプロセスで説明できる。第9章から第11章では、次のような問題を掘り下げていく。儀式には社会の結束を強め、共同体の調和を促す力があるが、儀式が人々の心にこれほど強い影響力をもつようになったのはなぜか? 結婚規範が良き父親をつくり、親族関係ネットワークを広げるのはなぜか? 損得を考えず、無意識かつ直感的に社会規範に従おうとするのはなぜか? よく考えた上で利己的に行動するのはどんな場合で、それはなぜか? 信号が青になるまで待つ人は、他者と協力して行動する傾向があるのはなぜか? 第二次世界大戦は米国の「最も偉大な世代の人々」〔Great Generations 。従軍した兵士やそれを陰で支えた人々〕にどんな心理的影響を与えたのか? 自分と同じ方言の人と付き合ったり、その人から学んだりするのを好むのはなぜか? 人類は、何百万人もの集団で生活できる、最も社会性に富む霊長類になったが、同時に、最も身内びいきで好戦的な動物にもなった。それはなぜなのか?
人類の成功の秘密は、個々人の頭脳の力にあるのではなく、共同体のもつ集団脳(集団的知性)にある。この集団脳は、ヒトの文化性と社会性とが合わさって生まれる。つまり、進んで他者から学ぼうとする性質をもっており(文化性)、しかも、適切な規範によって社会的つながりが保たれた大規模な集団で生きることができる(社会性)からこそ、集団脳が生まれるのである。狩猟採集民のカヤックや複合弓から、現代の抗生物質や航空機に至るまで、人類の特徴とも言える高度なテクノロジーは、一人の天才から生まれたのではない。互いにつながりを保った多数の頭脳が、何世代にもわたって、優れたアイデアや方法、幸運な間違い、偶然のひらめきを伝え合い、新たな組み合わせを試みる中から生まれたものなのだ。
規模が大きく、しかも成員相互の連絡性が高い社会ほど、高度なテクノロジーや、豊富なツールキット、多くのノウハウを生み出せるのはなぜか? 小さな共同体が突如孤立すると、高度なテクノロジーや文化的ノウハウがしだいに失われていくのはなぜか? いずれも、集団脳の重要性で説明できることを第12章で示す。後ほど詳しく述べるが、人類のイノベーションは、個々人の知性よりもむしろ、社会のあり方に依存している。言うまでもなく、共同体の分断や社会的ネットワークの崩壊をいかにして防ぐかということが、長い歴史を通じてずっと、人類にとっての重要な課題だったのだ。
高度なテクノロジーや複雑な社会規範と同様に、複雑で精緻な言語もまた、文化進化の産物であり、こうした情報伝達手段の出現によって、ヒトの遺伝的進化が大いに促された。文化進化は、複雑な道具や儀式を生み出すのと同じような方法で、生存に有利な情報伝達手段を次々と生み出していったのである。
言語が文化進化の所産であることがわかれば、次のようなさまざまな謎が解けてくる。温暖な地域の言語のほうが朗々とよく響くのはなぜか? 大規模な共同体の言語のほうが、単語数も音素数も文法ツールの種類も多いのはなぜか? 小規模社会の言語と現代社会の主流言語との間にこれほど大きな違いがあるのはなぜなのか? もっと長いスパンで見た場合、このような情報伝達手段の出現によって、ヒトの遺伝子に選択圧がかかり、その結果として、喉頭の位置が低くなり、目の強膜が白くなり、鳥類のような音声模倣の能力がもたらされたのである。
言うまでもないことだが、言語にせよ道具にせよ、文化進化の産物はどれもみな、私たち個々人を賢くしてくれる。少なくとも、現在の環境を生き抜くための知能を高めてくれることは確かだ。あなたは生まれて以降、おそらく膨大な量の文化の所産をダウンロードして受け取っているはずだ。便利な十進法やアラビア数字、(英語が母国語なら)およそ六万語の語彙、そして、滑車の原理や、ばね、ねじ、弓、車輪、てこ、接着剤などみなそうだ。また、直感的な経験則(ヒューリスティクス)や、文字認識のような高度な認知スキル、さらには、そろばんのような知能を補う人工物も、やはり文化から受け取ったものだ。このような人工物は、もともとヒトの脳や身体の機能に合わせて生まれたものだが、ある程度まで、ヒトの脳や身体機能を変化させる力をもっている。
ところで、後ほど述べるが、私たちがこうした道具、概念、技能、ヒューリスティクスなどをもっているのは、ヒトが賢い動物だからではない。文化によって生み出された膨大な道具、概念、技能、ヒューリスティクスなどのおかげで賢くなっているのだ。ヒトを賢くしているのは文化なのである。
文化は、ヒトの遺伝的進化の多くを駆動し、「自己プログラミング」を(多少とも)可能にしただけではなく、遺伝的変化とは別のやり方でヒトの生理や心理に入り込んでいる。文化は、長い歳月をかけて少しずつ、制度、価値観、世評、技術といったものを取捨選択することによって、ヒトの脳の発達や、ホルモン応答、免疫反応に影響を及ぼしてきた。また、文化的に構築された社会に適応しやすいよう、ヒトの注意の向け方、知覚、動機、推論法に調整を加えてきた。第14章で取り上げるが、文化的に獲得された信念ひとつで、痛みが喜びになることもあれば、ワインが美味しく(あるいは不味く)感じられることもある。中国占星術を信じている者は寿命さえも変わってしまう。ヒトの脳は、言語ルールを含めた社会規範の影響を受けながら鍛錬され、形成されていく。海馬を大きくしたり、脳梁(右脳と左脳をつなぐ情報ハイウェイ)を太くしたりと、そのプロセスは多岐にわたる。
遺伝子は変化していなくても、文化進化によって、集団間に生物学的差異や心理学的差異が生まれる。たとえば、先ほどの技能や経験知を文化からダウンロードしたことによって、あなたはすでに生物学的に変化しているのだ。
第17章では、このような視点に立つと、次のような重要な問題についての考え方がどう変わるかを探っていく。
① ヒトをユニークな存在にしているものは何なのか?
② ヒトはなぜ、他の哺乳類に比べてこれほど協調性に富んでいるのか?
③ 社会によって、成員の協調性に大きな開きがあるのはなぜか?
④ ヒトはなぜ、他の動物に比べてとても賢く見えるのか?
⑤ 社会にイノベーションをもたらすものは何か? インターネットはそれにどんな影響を及ぼすか?
⑥ 文化は今もなお、ヒトの遺伝的進化を駆動しているのか?
このような問いに答えていくうちに、文化、遺伝子、生物学的特性、制度、歴史といったものについての考え方が変わってくるし、ヒトの行動や心理に対する見方も変わってくる。こうしたアプローチはさらに、私たちがどんな制度を築き、どんな政策を立て、社会問題にどう取り組み、人間の多様性をどう理解するかという実際的問題にも非常に大きな意味をもってくる。
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